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夜というのに派手なレコードかけて

昨日は恩人の命日だった。ぼくが東京に住み始めて一年半ほどぶらぶらしていた頃(十年前)にひょんなことから働きはじめた広告制作会社の社長だ。亡くなって五年になるが「今年はコロナもあるので会社としては献杯の行事は自粛することにした」と言う旨の連絡は数日前に来ていた。来年、盛大に七回忌をする予定だという。

死んだ日を「命日」と呼ぶのはなぜだろうか。命の日。であるならば、生まれた日だって命日だ。英語で訳すとDeath day,または death anniversary,となるが、アニバーサリーと言うのはなんだかしっくりこない。なんでもかんでも記念日の響きにするのはすきじゃない。とにかく昨日は恩人(社長)の命日だった。

社長との出会いは知人の紹介で、当時、ぼくは二十四歳を迎えた頃だった。社長はすでに還暦を迎えていて、第一印象は「紅の豚」の主人公・ポルコそのもの。大柄で肉厚で金髪。ハットがよく似合う。日本人離れしていたそのビジュアルは西はイタリア、東はタイや沖縄あたりにいそうな風貌だった。大手外資広告会社を二十代後半で独立して個人事務所を設立。1970年代後半からはじまるコピーライターブーム真っただ中から現代に至るまでを生き抜いてきた職人気質のコピーライター。学生時代は安保闘争の真っただ中で、知識と思想と(主に)若さを武器に、権力に立ち向かう血気盛んな学生だったらしい。そういえば社長がいたるところで「革命しようぜ!」と書いたり話していたらしいので、社会に出てからはゲバ棒をペンに持ち替えて戦っていたのかもしれない。事実、そうだったのだろう。知らんけど。

そんな社長の元で働きはじめたぼくだったが、一年を待たずに退社することになる。「お前はコピーライターに向いてない」と宣告され、実質、クビになったのだ。徒弟制度の厳しい会社だったが、弟子ですらなかったと思う。その後、ぼくはアルバイトをしながら宣伝会議のコピーライター養成講座に通い、R社へ転職。求人広告を担当することになる。その頃に一度、挨拶に行った際に初めて褒めてもらい、とても嬉しかったのを覚えている。同時に、「芸能もいいんじゃない?」と唐突に言われたのも覚えている。からかってくれただけだろうけど。

社長は生粋の酒好きで、基本的には赤ワインばかり飲んでいた(そういうところもポルコそっくりだ)。だが、社長にとっても、会社にとっても大切なお酒があって、それがバランタイン17年だった。明確な理由は知らない。だが、社長は若い頃からウイスキーはバランタイン17年ばかりを飲んできたと聞いている。結果、ぼくにとってもバランタイン17年は人生で初めて飲んだ高級ウイスキーであり、いまなお飲み続けているとっておきのウイスキーだ。

社長は読書家で音楽も好きだった。そして博識だった。80年代の広告業界はバブル大国日本のきらびやかな消費社会の先導役でもあり、キャッチコピーやテレビCMだけでなく、歌謡曲やポップスの作詞、洋楽の和訳、番組の構成、演出、MC、脚本執筆など、幅広く活躍するコピーライターが多数いたらしい。社長もある時期まではそんな時代を駆け抜けるコピーライターの一人だった。

ある日、社員みんなでカラオケに行ったことがある。社長はジュリーこと沢田研二の「勝手にしやがれ」を歌った。ハットをかぶり、酒をあおり、豪快で、それでいてシャイな社長が上機嫌に歌う姿は、事務所内で見せる広告人や経営の顔ではなく、素敵なおじさんだった。いつか、こんな顔をできる大人になりたいと思った。

いまの自分を形成するもの。それらはきっと、二十四歳のぼくが日々、びびりながら空回りしながら必死で向き合っていたあの頃のすべてなんだろう。いまでもテレビ番組よりも合間に流れるCMの方が気になるし、新聞を開いても街を歩いても広告に目がいく。本は好きであいかわらずいろいろ読むけれど、へたな小説や雑誌よりもコピー年鑑をめくる方がワクワクすることも多い。社長がポルコに似ていると言うだけで「紅の豚」はジブリでいちばん好きな映画になったし、バランタイン17年は生涯飲み続けたいウイスキーになった。いま、こうして芝居や音楽の活動をしているのも、社長が「いいんじゃない?」と言ったひとことが根っこにある気がする。それらすべては、社長に出会ったことからはじまっている。

昨晩、献杯用の花をバランタイン17年の空き瓶にさした。久しぶりに、「勝手にしやがれ」を聞いた。あらためて歌詞を聞いてると、単なる男女の別れの歌だと思っていたのに、シャイで熱血で人間くさくダンディな社長そのものの歌に聞こえてきた。気取った男の歌詞にやたら派手なBGMがなんだかおかしかった。

夜と言うのに、派手なレコードかけて、
朝までふざけよう、ワンマンショーで。
by,沢田研二「勝手にしやがれ」

朝までふざけてこんな文章書いてしまった。午後には大事な面談があるというのに。でもまあ、命日くらい良しとしよう。

では社長、また来年。
献杯!(嗚呼〜Ahh〜 ♩

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