心配されたら元気にならねばと重く考えてしまう
〈このときのシャル、ちょっと素直じゃない〉
えー…。
〈もっと堂々と、「元気がない!」ってうつ伏せにばたーんと倒れていればいいのよ〉
でもそれだと心配されそうで…。
〈そうじゃないでしょ〉
えっ。
〈心配されることを心配してるんじゃないでしょ〉
………そうかも。
心配されたとき、それに応えられないことが、心苦しい。
そのことを心配してる。
僕は、誰かに慰められて、それで元気になったことがあまりない。
慰められると、ちゃんと嬉しい。
だから、慰められるのが嫌いって訳じゃない。
だけど、誰かに心配をかけて、慰めてもらったら、「元気にならないといけない」と、自分で自分を追い込んでしまう。
慰められた嬉しさより、そっちのほうが強く訴えかけてくる。
そのプレッシャーが、さらに僕の元気を削ぐ。
あるいは。
慰められて、一時的に元気になったとしても。
暗い波が続く限り、またすぐ落ち込んでしまう。
つまり。
心配かけて、慰めてもらったとしても。
その言葉で元気になれる自信がない。
それが申し訳なくて。
だからといって、もう、元気なフリはしたくない。
元気なフリをしすぎたかつての僕は、ちょっと壊れちゃったから。
それでいて、時間が経つと勝手に回復するんだ。
それを見た周りがどう思うか。
「あんなに慰めたのに、それじゃあ元気にならなくて、しばらくしたら何もなかったかのように元気になって。慰め損だ」と。
実際、離れていった人もいる。
だから、僕は、慰めてもらっちゃいけないんだ。
そのためにも、心配をかけたくないんだ。
〈じゃあ、元気のないシャルとは関わらないのが正解?〉
うーん………さみしいけど、それしかないんじゃないかな。
〈そんなわけないでしょ!〉
えぇ…?
〈今までの人は、慰め方が合ってなかったのよ。シャルのことをなんにもわかってなかったんだわ〉
そうかなぁ…?
〈そうよ。私にもわからないものが他の人にわかってたまるもんですか〉
なんか説得力あるね。
〈だけど、私は、声の掛け方はわからなくても、何をすればいいかは知ってるんだから〉
そうなの?
〈そばにいると伝えて、本当にちゃんとそばにいる。これが好きでしょ〉
……よくわかってるじゃん。
〈えっへん〉
〈私はそばにいるわ〉
うん。
〈読者さんだって、優しい人たちよ。それに、声をかけられたら、ちゃんと嬉しいんでしょ?〉
うん。
〈でも、プレッシャーは感じなくてもいいの。声をかけられて、元気になってもいいし、ならなくてもいい〉
…うん。
〈元気がないときぐらい、わがままでいいの〉
じゃあ元気なときはわがままじゃダメなの?
〈私にはいいわよ〉
……わかった。
〈よろしいっ〉
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