見出し画像

「推し」がわからないというコンプレックス

 「推し」ってなんだろう。


本文:シャル。主人公。
〔〕:精霊さん。イマジナリーフレンド1号。
〈〉:妖精ちゃん。イマジナリーフレンド24号。


〈……今回はやけにシンプルなのね〉
 いやあ、あのね。

 人々が「推し」に熱中するのは「推してる自分」というアイデンティティを獲得するためでもある。
 そして、このようにアイデンティティの確立に他者を利用するようになったのは、相対的に見て平等になった時代がもたらしたアイデンティティの希薄化が原因である。
 よって他人のアイデンティティの確立を助ける「推される側」は現代において必要かつ重要であり、そんな存在に私はなりたい。

 ―――みたいな話をしようとしたの、今回。
 でもね、この話、かたっくるしいし、えらそうだなって。
〈まあ……否定はしないけど〉
 この堅苦しさと高慢さをどうにかできないかなって考えてた。
 そこで、僕自身は「推し」に対してどういう感情を持ってるか素直に考えてみようとした。
 そしたら…
〈そしたら?〉
 僕には「推し」がいないなって。

〈好きなキャラやVTuberはいるのに?〉
 たしかに、みんなが「推す」対象によくなってるもので、僕が好きなものはたくさんある。
 そして、おそらく「推し」は「好き」の延長線上にある言葉だということもわかる。
 ただ、どうも、周りで語られてる「推し活」のような感覚はわからなくて。
 いや、わからなくはないんだけど、そこまで熱を持てないよなって…。

〔以前、「萌え」に対しても似たようなことを言ってましたね〕
 あ、たしかに。
〈「萌え」ってたしか…「可愛い」の延長線上にあるような言葉でしょ?〉
 たぶんそう。
〈たぶん?〉
 「萌え」もねぇ、なんとなくわかるけど、そこまで強く、深く感じられるかというと、自信がなくて……。

 そして、ここからが問題なんだけど。
 「推しが、萌えが、わからない」ことがコンプレックスになってる。
 「推し」がわからない、「萌え」がわからない、そんな僕には、作品やコンテンツを好きと叫ぶ資格が無いのかなって感じてしまう。

〔……自分で言ってて、「そんなことないのに」と思ってませんか?〕
 …………思ってる。
〈そうよ。感覚は個人それぞれでしょ。気にせず「好きだ」って言ってもいいんじゃない?〉
〔「推し」や「萌え」は好きを表現するひとつの言葉にすぎません。無理に合わせようとしなくても、自分の好きが損なわれることなんてありません〕
 そうだよね。
 もっと、堂々としていても、いいんだよね。
〔もちろんです〕


 今回はこのぐらいで。
 この「今回はこのぐらいで」から最後の挨拶までを、アニメの構成にあやかって「Cパート」と呼んでいるんだけど、何を書けばいいのか悩ましい。
 基本的に、僕達らしさがより強調される、素直さの塊みたいなものを書きたいと思っているのだけど…。
〔本文の内容と乖離しすぎるのも考えものですよね〕
 そうなの。
 と、いいつつ、今回は本文の内容に全く関係ないこと書いているんだけどね。
 ま、こういう回があってもいっか。

 それでは、次回の記事で。
〔またお会いしましょう〕
〈ばいばい!!〉

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?