見出し画像

ニュートラルの中にあるネガティブ性

最近、エネルギーの揺れが何だかおかしくて考察していたことがある。
そして、それが何だか分かった。

時折、そんなふうには見えないのに、
「不安や恐れ、自信のなさ」
を奥に感じる人がいた。

その人たちの共通点は、

他者のネガティブな発言に対して
一言一言全てニュートラルに言い換える人。
(「全て」がポイントです。会話の中で1、2度ではなく、全て。)

「私、背が低いのが嫌なんだよね・・・。」
「それって、可愛いってことじゃん!」

「これ、すごい奇抜だよね」
「個性的ってことじゃん!」

一見、「中庸な人」に見えるかもしれない。

でも、実は、ジャッジとネガティブを持ち合わせている。


その人の中に「これが正しいこと」というのがあって、
それに反するものをジャッジしている。

つまり、
「ニュートラルが正しい」
「偏りはダメ」
があるから、

他者の偏った発言を訂正する。

それが正しいと思っている。

その人の中に「正しい人でなくてはいけない」がある。

そして、
「ポジティブは良い」
「ネガティブはダメ」
が大体同居しているので、

他者のネガティブな発言に対してはポジティブな意見や見解、言葉をもって訂正する。

一見、人格者的な良い人。に見える。

でもその奥には
「ポジティブでなくてはならない」がある。

つまり、自分の中の
「ネガティブも偏りも許せていないし受け入れられていない」

自分の中にそれらがあるということを認められていない。
でも、自分の中に確かにそれは存在するから、
相手の中からそれと同じものを引き出してしまう。

そして、言葉で訂正する。

その場を楽しめない。
ように自分でしている。

本当のニュートラルは、全てを受け入れている。
つまり、「愛」

他者の発言にいちいち反応しないし、
まして、訂正したりはしない。

「この人はそう感じているんだな」

で終わる。

相手を受け入れている。

ただ、そのままを受け入れる。

ということは、

私は「愛が全て」「愛が正しい」
と思っているの?





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?