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さようならエリザベス・ヴィクトリア・マルサス✋#12

こんばんは!モモです。

 毎週日曜日の夜に✋
 ソーシャルワークに恋をしてともに旅する世界ー序章ー

 初めての方はようこそ!
 リピータの方、心からありがとうございます!

 今夜も一緒にゆったりゆったり旅をしていきましょう。
 理想は「アナザースカイ」のような感じで。そして、始める前に旅のアテンション♪
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・連載ですが、初めてでも大丈夫。この旅だけ参加でも大丈夫。
・眠いから途中で寝ますも大丈夫。むしろ先にお伝えしておきます。」「おやすみなさい^^」
・ゆーっくり、眠たくなりそうでオッケーです^^」
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それではよろしくお願いします!旅のスタート!

これまでのざっくりあらすじ

旅の舞台は、19世紀、産業革命最盛期の格差社会イギリス。

 ヴィクトリア女王の時代、イギリスの目まぐるしい発展の裏側で貧困対策がなかなかうまくいかない状況。そこで、当時の貧困対策を考える上で、欠かせない人物、イギリスの古典経済学者トマス・ロバート・マルサス氏に会いに来ています。

前回までの旅のおみやげ
①マルサスの研究結果「人口が増えるから貧困拡大する、人口が増えなければ、貧困は縮小する。」という考え方はとても画期的で先駆的なものだった。

②マルサスは、人口抑制論によって貧困は抑えられると考えた。そうして、できた新救貧法は、貧困層の支援にはならなかった。
 
今回の旅は、マルサスとの最後の時間を過ごしたいと思います。ちょっと長過ぎましたかね。

さて、今何を紐解いているかというと、新救貧法という当時の貧困対策が貧困対策にはならなかった原因について謎解きをしているところでした。そして、彼のたてた人口抑制論「人口を増やさないような政策が貧困対策につながる!」という仮説が、その法律の根拠になっているというとことまで、確認したところでした。

新救貧法を思い出そう

では、改めて、新救貧法の中身を一緒に確認させてください。

1834年新救貧法=エリザベス救貧法の改正Ver.=============
1:救済水準を全国均一とする
2:有能貧民の居宅保護を廃止、救済をワークハウス(労役場)収容に限定
3:劣等処遇の原則の明示による
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そして、3つをめちゃくちゃ分かりやすく説明するとこんな感じでした。

 1つ目の救済水準を全国で統一
 なんとなくよさそうですよね。地域でばらばらだった法律の適応範囲を1つにしたのですからひとまずオッケー。

 2つ目の労役場に収容
 「働ける生活困窮者は、最低限の衣食住の支援をする代わりに強制的に施設に収容して働いてもらいます。」刑務所・・・!?ひどい?

 最後3つ目の劣等処遇の原則
 「救済のレベルは、何とか自力で最低限の生活をできている人々の生活レベルよりも低いレベルにします。」・・・ノーコメント

こんな感じでしたね。どうでしょう、現代でいう貧困に苦しむ人々を救済するという、福祉的概念からは明らかにかけ離れています。

謎解き&種明かし

劣悪な環境に収容される…「こうした状況に陥りたくない」という思いから、人々が家族を養えないという状況=大家族にならないように=貧困層が子供を産まないように、、、そんな風に誘導していく、人口が増えてこういった環境に陥る人が増えないようにする・・・・そういった、ニュアンスをイメージできますでしょうか。

なんとも大胆な仮説&想定ですね。人権がという概念が確立した現代ではありえないことかもしれませんね。

ただ、それは現代に生きているからそう思えるのかもしれません。制度という制度がなかった時代には、すべての制度が初めて、手探りの世界です。

ここから、わかるのは、現代の福祉的概念、社会的な弱者と言われるような生きづらさを抱えた人を制度として支えるそういった制度がそもそもなかった、ゼロからのスタートだったということですね。

ここ数回のざっくりまとめ

少し話を大きな視点にしてみましょう。超ざっくり、超簡単なこれまでの旅のまとめです。

イギリスでは、主に17世紀から18世紀にかけて、ピューリタン革命~名誉革命~権利の章典~と絶対王政から議会制民主主義の時代に変わってきたところでした。

王政の下で、自由のない時代から自由を手にした人々は、経済発展の下で社会を発展させましたが、それは同時に格差を生み出しました。

格差が生まれたことで、貧困層への対策が必要、そこで200年ぶりに開催されたのが、新救貧法でしたね。

そして、「人口を増やさないような政策が貧困対策につながる!」というマルサス氏の仮説に基づいた、今回の法律!さて、皆さんこの法律の効果はどうだったと思いますか?

何回か前の旅のタイトルで、「期待の法律は幻だった」的な、タイトルの回があったと思います。そうなんです。全く効果はなかったんですね。

そもそも経済発展で、大量生産や効率化の時代の幕開けとなったため、供給が追い付かないほどの人口増加で人々が貧困という理論は成立しなかったのですね。初めての経済発展、マルサスもそこまでは予測できなかったのでしょう。

記事の分量がすごいことになっている件

最近、記事の分量が確実に増えている・・・。これは、私の地味な悩みでもあります。その割にはなかなか旅が進まない。

でも、私自身に言い聞かせています。文字数制限もない、分かりやすさ、読みやすさ重視な旅の記事なので、ここは、読みやすさや楽しさ、気軽さを最優先しようと。

ということで、文字数が、3000字になる前に今夜は、終わりにしたいと思います。ひとまず、いったんマルサスとはさようならです。約3回にわたってマルサス宅に滞在しましたが、もう経済的なことは少しお腹いっぱいですね。マルサスさようならとしましょう!

(実は、ソーシャルワークと経済は切っても切り外せない関係にあるので、いつかまた経済が登場するかもです・・・・。小声)

まとめ:今夜の旅のおみやげ
マルサス仮説人口抑制論に基づいた、新救貧法は、効果なしだった。じゃあ、次はどこにいきます?

次回予告

 ということで、今夜はここまで。さて、久しぶりの移動、次の観光地はどちらにしましょうか。次回予告をしてもいいのですが、次回の訪問場所を決めてはいるのですが、お楽しみにしておきます!そうですね、こないだエリザベス女王時代から一気に200年も吹っ飛んでヴィクトリア女王時代に来てしまったので、次は、ほんの数十年の移動にしたいと思います。

 次回の訪問場所は、やっと!「ソーシャルワークの源流地」になります!

それでは、次の週末まで皆さん、フリースタイルで、各自いろいろ進めていきましょう。

今夜も、読みにくい文章にも関わらず、最後までお付き合いいただきありがとうございます。次の旅でお会いできるのを楽しみにしています!

 それではみなさんおやすみなさい☆彡
 また、この旅って何一体?と思った方は、前回の記事をご参照いただけますととっても嬉しいです。


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