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10代の頃から付き合いのある全方位的な音楽フリークの友人とミュージシャン・佐野元春について、熱い議論を交わす中で‘音楽と人’という関わりが思い入れのドラマを生み出していると改めて感じます。

多感な中学時代にほぼリアルタイムでアルバム『ヴィジターズ』に出会い、程無く佐野元春の音楽性にのめり込んで以来、現在まで37年間、自分の感覚の中に彼の音楽は現在進行形で存在し続けています。
本年4月と7月にも新譜をリリースと、いまだ精力的な活動は単純に嬉しくなります。

1987年2月..高校2年生の時でしょうか、下関市民会館で初めてのライブ体験をします。そのツアーリストが公式サイトに残っています。

1曲目は今でも覚えている佐野元春デビューシングル『アンジェリーナ』。
ライブヴァージョンにアレンジされた長田進のビートを刻んだ強烈なギターリフに古田たかしの硬質なドラムアタックがユニゾンし、ブレイクロールからの馴染みのイントロが始まった瞬間の館内の雄叫びがこだまするロックフィールド空間の凄さとときめきに興奮の坩堝と化しました。元春登場と共にいきなりの総立ちと息もつかせぬ怒涛のラインナップに終始。大袈裟でなく瞬く間も感じさせない衝撃のうちにライブは終わってしまった記憶があります。

佐野元春の生の語りや音楽への姿勢は当時、毎週月曜日のNHKFM『サウンドストリート』での番組をリスニングしていたイメージからライブパフォーマンスで目の当たりにする存在感、それは斬新かつ時代の先駆者である認識をさらに増幅させた印象づけるものだったと思わずにおれません。

現在、自分自身が50歳を越え、時代環境も価値観も生活も様々な変化を体感する中で、アーティストへのある種の期待を持ち続けることは多分にファン心理として、正当である反面、アーティスト側の表現の自由を制御するものにややもするとなりかける要素もあるのではないかと客観的に考察するのです。
一般的にはアーティスト側による二番煎じ的なヒットの拡大再生産方式に則るやりかたがあります。ファンにとってはいつまでも安心安定の中に安住できるメリットがあり、結果セールスも降下しにくい環境が出来上がる構図となります。

佐野元春の音楽スタンスは前述の一般的方法論とは真逆の、変化し続ける事を旨とし、一作毎にジャンルに囚われない彼自身に備わった多様的音楽の引き出しが時代性と共に或る表現の形に昇華していくという特性があると感じるのです。
つまり、前述のファン心理で言うならば、変化を表現できる佐野元春に期待するという個人的なアーティストへのエゴを隠せない過剰な期待を持つに至っていたことにふと気付いた冒頭の友人との会話があります。

このファンの思い入れは偶像崇拝みたく、抱くイメージを守るためのアーティストには個人的価値観に叶う絶対的良作の登場を願ってやまないという理屈になります。勿論、映画や映像の世界でもスライドできる見方と言えると思います。

ある意味、生みの苦しみを多かれ少なかれアーティストサイドは経ながら世の中に発出されている事を疑う理由はありません。
例えば、ポール・マッカートニーは「作曲はほぼインスピレーションだよ」と言い切る天才性があり、逆に言えばインスピレーションを生み出しやすい環境を作る事に細心を払っていると思われます。

ファンの勝手な思い入れがアーティストの側には時として煩わしく感じる事もあるかもしれないとして、こういう時代だからこそ作品を表現してもらえる存在の稀有、そこに単純なリスペクトだけあれば良いのではないだろうかと、友人との会話から学んだような気がしました。

これまでどれだけ作品が、心が萎れた時ややる気が出なくなった時に、自分自身を勇気づけ肯定してくれた役割を果たしてもらえたか、類まれなイマジネーションによって発出された作品があればこそと、表現の向き合い方を考えさせられたのです。

友人との佐野元春談義を経て、読まずにおれなくなり購入した『伊藤銀次自伝 MY LIFE,POP LIFE』佐野元春の盟友でもあり、現在までに至る日本の音楽シーンを築いた1人であるミュージシャン・伊藤銀次氏。フジテレビのお昼の長寿番組であった『笑っていいとも』のオープニングテーマ曲も銀次氏の手によるものです。

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