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巷を賑わす増税の記事、一般的に嫌だなと往々にして思いがちです。
しかし、あながち減税にすると言って、自ずと公共サービスの低下を招く事態ではそれはそれで困ります。
こちらの国税庁のサイトから世界各国の税の比較が分かります。

元来、日本型モデルという一億総中流社会といわれる平均的な満足度、サラリーベースにそれなりの衣食住がある生活維持を続られる事を政治は目指すものであるという方向性がありました。

2007年の記事ですが、私も縁のありました現在は引退されておられますが、元衆議院議員の亀井久興氏の国会での発言をご覧ください
※ニュースサイト宮崎信行氏の国会傍聴記から引用しています。

どのようにお感じになられたでしょうか。
15年経った現在は国債発行額はほぼ2倍、人口減少に歯止めがかからず、隣国ロシアは戦争を開始、グローバルスタンダードの脆さが露呈した事から物価高やエネルギー供給網の見直しと、様相が様変わりしている事は理解できます。

亀井氏の理論が成立していく為には2つの条件を備える必要があります。
・日本人的美徳の復活
・人口増加へ転じる

突き詰めて考えると如何に日本は良質な社会主義的形態に成功してきたのかがよく分かります。社会主義は単なる即物的な平等を説くものですので、得てして不満が起こりやすいのです。そこに‘良質な’が加わると意味が変わってきます。これは総じて成果者は人格者であって、成果で得たものは分配用に差し出す事がその人の徳を高めるものだとする常識を意味します。つまり良質な社会主義とは誰しもが極端な報酬を求めない世界のことなのです。
その世界の中で有効な家族形態が家父長制でした。この家父長制のポイントは家の継続と事業承継を指します。長男、子息は後を継ぎ土地を守るものである教示を父親の威厳に頼るシステムに近いものです。

日本の現在、良質な社会主義と家父長制はほぼほぼ機能停止に近い状態にみえます。その証拠が一億総中流の世帯状況とは言い難い点、加速し続ける人口減少にまさに表れています。
個人の自由と人権を最大限に尊重する社会にあって、普通の幸せの感覚が凡そ変わってきている現実を主にマスコミ側が理解出来ていない可能性が非常に高いと私は捉えます。
例えば、殊更に格差という表現を使いたがります。または勝ち組負け組もあります。こうした相対的評価の基準は一億総中流社会の時代における物質的な満たされ感や共通言語が通じるか通じないかで、差別的な嘲笑をするのがある種の優越意識があった時代の名残りを感じて已みません。
かつてマスコミの側にあった出版や代理店サイドがネットに活路を求めて展開していく方法論でも今だに前近代的な基準を標榜するケースが散見されて、呆れるばかりです。

社会のストレス原因は概ね人間関係が挙がる統計が殆どであり、昨今はこじれた人間関係を修復する前に組織を去る選択に走りやすく、ドライは普通。それぞれ価値観は異なるから災いにしたくないと割り切っているのか、逆に打たれ弱いのか分かりませんが、これも個人の自由と人権の一端でもあります。

ふと、リドリー・スコット監督作品『ブラックレイン』に登場した松田優作の役回りが今溢れ返る現代社会なんだと実感する時があります。
そして、プロ野球史上、最高選手の一人である落合博満氏も良質な社会主義破壊の役割を果たしています。年俸問題も然ることながら、当時FA権を認めてもらうための選手会側とオーナー側との交渉に一切協力的でなかったスタンスにも関わらず、いざ権利が認められるやFA行使第一号になるといった、あくまでも個人の理屈がすべてに優先される価値観、この平常化の推進的サポートを実質的に担った感は否めません。
2022年のストーブリーグ、落合氏に古巣ロッテからの監督打診を報酬が見劣りする理由で断ったというニュースには何処までも徹底しているなと思わずにはおれませんでした。

もし、今程、政治不信もなく相互扶助という概念が本当の意味で信じられていた時代がかつてあったならば、この現代にスライドして考察して単純に増税は悪とは言い切れないと感じられるのではないかと推察します。

個人の自由と人権、そして社会、地方、国…バランスの取り方はひと昔前とはかなり異なり、難解極まりないとだけは理解できます。

【インフォメーション】
イベント司会を務めさせていただきます。

ご興味お有りの方、ぜひご参集いただけましたら幸いです。

下関市立美術館 エントランスホール
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