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弱った心身にてきめんに効く、欲しかった言葉


「これは本当のところ、ただ私が怠けているだけなんじゃないか?」

という気持ちにずっと苛まれている。先々週疾患した疫病……からもう20日近くが経とうとしているのに、未だにずっと調子が悪い。嗅覚は2割方戻ってきたけれど、ダラダラと微熱は残り、寝ても寝ても眠いのだ。これはもうマジで、成長期以来の眠さ。中学生の頃は、授業の間の10分休み全てを睡眠に充てていて、6時間目が始まる前には「よっしゃ、今日はトータルで50分寝た」とか数えていたのだけど……それくらい眠い。今も大あくびしながら、眠ろうとする頭を叱咤しつつこれを書いてる。

熱を測ると37.5度。うーん、四六時中寝込むほどではないけれど、活動するには少ししんどい。

ここまで長く続くと、実はこれ、私が怠けているだけではないのか?と、思えてきてしまう。いや今回に限らず、私は生きているうちの大部分に置いて、いつだってどこか具合が悪い。とはいえ私の持病はありふれたもので、病人ですと言うほどの立場ではないし、地味に欠かさず通ってる人間ドックで大病が見つかる訳でもない。けれど、基礎的な生きる力はやや弱いらしい。

子どもの頃からずっと、学校を休み、体育を休み、保健室に通い……「ちょっと具合が悪くて」というカードを使い続けてきて、そんな自分を肯定的に捉えるのはどうしたってむずかしかった。サボってるんじゃないか、怠けてるんじゃないか、根性が足りてないんじゃないか……と。そんなとき、医療関係者に欲しかった言葉をかけてもらえると、とてつもなく安心してしまうのだ。

「わ、血圧低いねぇ。これじゃ、頭動かすのもしんどいんじゃない?」

先日訪れた病院で、看護師さんにそう言ってもらえて、あぁやっぱり、あのしんどさには理由があるよね……と思えて少し救われる気持ちになった。

「これじゃあ痛いよ。よく今まで我慢してましたね」

数年前に婦人科で、エコーを診ながらそう言ってくれるお医者さんの言葉に目が潤んだ。

「なんかしんどい」に、確かな理由がもらえると安心するのだ。理由がわかったところで、身体が元気になる訳じゃあないのだけれど(対策は立てられるけど)。わからないものの正体がわかり、自分の身体と心に向けていた焦りや苛立ちといった感情が、労りに変わる。他者にも説明がしやすくなる。もちろん薬や治療を求めて病院に行くのだけれど、そこで得て一番嬉しくなるものは案外、しんどさを肯定してくれるような言葉なのである。でもこれ、少し危ういよね……という自覚もある。


──


話は変わる。2017年頃の私は、近しい人から「なんでそんなにいつもびびってんの?」と呆れられることが多く、でもそれに対する適当な答えを持ち合わせていなかった。


特急がホームを通過するのが耐えられない。
ライブハウスの音や光や空気が耐えられない。
本編が始まる前のホラーCMが怖くて映画館に行けない。
というか、暴力シーンが出てくるのが怖くて、ドラマも映画も観られない。

……などなど、日常には平穏を乱してくる出来事は山程あり、私はそれらに遭遇する度に逃げたり、叫んだり、目と耳を塞いだりしてしまう。そして決まって、「なんでそんなにびびってんの?」と呆れられるのだ。


もちろん、そんな自分に、誰よりも呆れていたのは自分自身だ。涼しい顔をしてその場を通過したいのだけれど、何故か知らんがびびってしまう。説明がつかない。「だって私は怖いんだもん」以外に言えることなんてない……。

いや、なんとか説明がつかないものか? と思って、すがるような気持ちで「大きな音 敏感」「暴力シーン 見れない人」などで検索してみた。

すると出てきたのが、Highly Sensitive Person……HSPという文字。当時はまだあまり普及していなかったその言葉だけれど、そこに書いてある説明を見て、「あぁ、まさにこれだ!」と神にでも救われるような思いがした。私がしんどいと思い続けてきた、そして理解を得られなかった事柄が、見事に書き連ねられている。

そして、この言葉はとても役に立った。周囲に対して「こういう特性があるらしくて……」と説明すると、感情では共感してもらえなくとも、情報として理解してもらえるようになった。


2018年3月、仕事の関係で試写会に誘われて、なんの予告もなしにホラー映画を観てしまったときも、この「HSP」という言葉が役立った。主催者に対して「私が怖がりだから嫌だった」ではなく「こういう特性の人が一定数いるのだから、出来れば配慮して欲しかったです」と伝えたところ、理解をしてもらえた。

これまでは「びびり」「かまってちゃん」「メンタル豆腐」だとか言われてきたけれど、まったく感性が異なる相手に、伝える術が手に入った──。私の人付き合いは少し、いやかなり楽になったように思う。

──


そして2018年7月に『「繊細さん」の本』が出版され、その後さまざまなマスメディアで「HSP」の特集が組まれた。HSPを自称するインフルエンサーや芸能人も一気に増えた。その頃、故郷のミスドで飲茶を嗜んでいたら、隣に座っていた50代くらいの女性が「繊細さんって本あるやんか? 私、ホンマに当てはまるところが多くて……でね。あんたもそうなんちゃう?と思って」という会話をしていた。言葉は普及し、生きやすさが拡大する一方で、「いやこれは、危ういかもしれない」という不安も広がってきた。


1つ目の危うさは、HSPだと自認することによって、自分の性格がますます「それらしく」なっていくこと。私は繊細、私は敏感……と自認することによって、より繊細さに拍車がかかり、これまで耐えられた刺激すら無理になるのだ。

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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。