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2回目の緊急帝王切開を経験して

新緑の季節に出産し、しばらく時間が過ぎた。私は命を生み出したあの時の記憶に頻繁に戻っては浸り、出会った何人もの医療者の顔や言葉を思い出しては幸せな温かい気持ちで満たされ、を繰り返している。苦しかった仕事や俗世間から離れて多くの医療者に優しく大切にされ、大袈裟だけど生まれ変わったような気持ちでいる。

「緊急」帝王切開を続けて経験する人は多くはなさそうだが、出産の経験がその後の心と体、子育てに大きく影響することを身をもって体験、前回より今回の方がずっと元気でいる。その理由を以下に整理してお産録として残したい。

1.産院選びが全てだった〜1回目出産のトラウマを経て、2回目は別の産院へ〜

前回は手術の傷が3年ほど疼き、沢山のナースの心無い言葉に心が苦しんだ。一方、今回はすぐに痛みが去り、こころも穏やかである。

第一子のとき、なりゆき無痛分娩を予定していたのに、ずっと心の底でなぜ緊急帝王切開だったのか納得がいってなかった。母子の命を救ってくれたことに感謝、それだけで十分以上なのに人に言えない言語化できない気持ちを抱えて1年くらいよく泣いていた。入院も辛い記憶しかない。ナースに、明るい性格なのに無痛分娩にするなんてと言われたこと(実際痛みに弱いし必死で悩んで決めたのに)、陣痛中痛いと叫んで怒られたこと、間違ってルート点滴の管を抜かれたこと、術後傷痛くて歩けないのに笑われたこと、車椅子や点滴棒を使わせてくれなかったこと、赤ちゃんに術後会えていないのに天然パーマだと言われ遺伝的にどう考えてもそんなことないから不安に思ったこと(実際ストレートヘアだった)、赤ちゃんのケアでわからないことや初めてのオムツ替えの方法を教えて欲しかったのに自分でやってとぶっきらぼうに言われたこと、3時間ごとの厳しすぎる母乳と体重測り、3年後再診した際に傷がずっと痛いという相談に対してそんなはずはないと言われたこと。そして何より術後の麻酔が効いていなかった可能性。一つ一つは大したことないのかもしれないが、ホルモンジェットコースターの私には辛すぎたしずっとトラウマだった。ナースだって忙しいし「そういうもんなんだ」とどこかで思ってた。だからその証拠に同じ産院を最初予約している自分がいた。

でも、またああいう地獄のような経験しないといけないのかな、と全然わくわくしない。恐怖とトラウマが襲う。苦しいつわりピークの中、産院選びに悩みに悩んだ。自治体の助産師にこの人は最後まで決められないんじゃないかと心配もかけた。その時の様子はこちら



2.人生指折りの最良の選択だった産院〜ずば抜けたプロフェッショナリズムと温かさに触れて〜

そして今回決断した分娩先で出会ったのは、①ずば抜けたプロフェッショナリズム、②仕事の範疇を超えているとさえ感じさせるような温かい医療者だった。自分の働き方を考えさせられるきっかけにもなったし、なんならあんなに素晴らしい経験を提供できるのだから、私もこれから猛勉強して医師になりたいと3日ほどこのアラフォー本気で考えたものだ。高校の親友たちは皆医師、彼女たちを思い出す。そして自分の理数科目へのセンスのなさと自分の辿ってきた別の世界への探究心を思い、冷静になって諦めた笑。人は得意なことをした方が幸せだ。

プロフェッショナリズムについて。まず、子の命を蘇生し救ってくれたことに、感謝しかない。そして現在傷も全く痛くない。産婦人科、麻酔科、小児科、たっくさんの先生に出会ったがいつも説明が丁寧で120%納得のいくものだった。世界最先端のトレンドや日本での学会等での在り方考え方の全体像を見せてくれ、その中での選択を示してくれたのが私の場合最高に安心できた。毎回どんな先生に出会うか楽しみでしょうがなかった。

②人間の温かさに触れ、前向きな言葉に励まされた。オペ室で全員が笑顔とハリのある声による安心感たるや!か弱い産声に心配が募るも、蘇生後、麻酔科の先生が「おー元気だ!」と明るく言ってくれたことがどんなに安心したか。そんな愛のある言葉の贈り物をたくさん入院中に受けた。

お母さん傷とっても綺麗よ!
体重も減っていいわねー!!
お母さん頑張ったねー!いい顔してる!
わお、いい搾乳ね!
赤ちゃんなんて可愛いの好きな顔よ!!
ベビー服似合ってるね!!

何気ない一言一言が本当に嬉しかった。仕事なのに人の子にそんなこと言ってくれるの?と、ドクターもナースもそんな人たちばっかりだった。

3.完母育児に囚われていた自分を解放

前回の産院は、母乳推進で厳しく母乳でなければ!!と思わされ、産後1年以上どこにいくにも暑かろうが授乳ケープをつけて40分も50分もチュパチュパ吸い続ける食欲旺盛な我が子の胃袋を必死で満たしていた。

けど、そんなに頑張らなくてもミルクあるじゃんってこと、ミルクに罪悪感を持たなくていいということを今回の産院は当たり前のように教えてくれた。これがかなりQOLを高めてくれている。そもそも上の子がいる中で完全母乳は難しいと感じる。自分が母乳で育ったことや、海外には割とアドボカティブな母乳推進団体があり興味半分で記事を読んでいたこともあってか、どこか自分で洗脳していたのかもしれない。

4. 帝王切開に向けた心とモノの準備

痛みに弱い私。今回は前より痛くない準備をしようと、産科医の友人と語り、出産ブログやSNSなど徹底的に情報収集した。モノはいろんな人がまとめているが、

  • ストロー付きペットボトルキャップ

  • スマホ充電器と延長コード

  • マジックハンド

は特別に帝王切開の人向けに重要と思う!ニッパーはキツくて痛くてわたしには合わなかった。マジックハンドは動けない中、落としたスマホや痛み止め薬、テイッシュなど、を取るのに、本当に便利だった。ノートやスリッパなどは厳選の上、とにかく可愛いものを持っていき、自分もテンションが上がるしナースに褒められたりしていい気分だった。

心の準備としては、

  • 痛いときは躊躇せず痛いという

  • 歩く、痛いけど動く(痛くない離床のコツを研究&練習)              

気の置けない産科医の友人と語った際「それ前回麻酔効いてなかったかもね」と驚愕の発言!!笑 それに気づかなかったわたしてどうなの?!笑笑っていう反省から、今回は麻酔に関するコミュニケーションを徹底する!!!ことにした。健診の時に医師に不安を共有し、手術後は我慢せず「ちょっと痛い?!」と思う時点で痛いと表明&薬飲む!を、徹底した。そして、「動くと回復早いよん」、ていうその友達の言葉を頭に反芻し、練習しすぎて離床の匠(!)となったわたしは2日目から長い廊下や赤ちゃんのいる部屋まで歩きまくった!!それは、帝王切開仲間の同室初産ママにドン引きされてたが、これは2回目以降のなせる技かもしれない。前回のわたしはもっととんでもなくしおれていたのだから。

5.最後に

超長文となってしまった。
とにかくわたしはこの思い出を胸に、これからもこの先何年も、もしかすると死ぬまで何度も思い出しては、育児、だけでなく自分自身が前を向いて生きる力に変えていくのだと思う。







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