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福祉と生産性について思うこと

このテーマにすると皆さんが思い出す事件があると思います。

そう、やまゆり園の事件です。

あの事件と同時期に社会福祉士を目指して受験勉強だったこともあり、「福祉」について深く哲学をしていたことから、私が非常に覚えている事件の一つです。

犯人・植松聖の主張(一部)
「命を無条件で救うことが人の幸せを増やすとは考えられない」
「自分はおおまかに『お金と時間』こそが幸せだ、と考えている。重度・重複障害者を育てることは莫大なお金・時間を失うことにつながる」

WIKIPEDIAより引用

当時はまちづくりの専門家として、高齢者福祉に携わっていたこともあり、「福祉的な目線」で考えることはできていませんでした。なので、当時の私は「人の命に必要性がある、なしと決めることはできない」という結論になりました。

ところが最近、「生産性」というキーワードが出てくるたびに少し考えることがあります。

そもそも福祉職に生産性はあるのか?

あの事件を起こした犯人植松氏もかつては施設職員だったとききます。実は、「自分自身への絶望」を障がい者へすり替える形での「生産性の否定だったのではないか?」と思ったりもしたのです。

私自身も業務の中で「福祉サービスの生産性」をどう捉えることが必要なのだろうかといつも考えていました。自分たちの業務は結局のところ国からの補助金や介護保険料および一部の本人負担から、利用者の皆さんの安心、安全を生み出し、そのお金のほとんどはサービス提供者人件費となるわけですから。

ということは、マクロの視点に立つと「福祉」は、いわば税金をくるくる回している状態にすぎない。この状態をいつまでも続けるのであれば、少子高齢化のこの国は消耗戦を強いられていることになり、結局のところは行き詰まるのではないか。

ということは、福祉職である自分自身には『生産性』はあるのだろうか?私自身は「公共的」な仕事を長く続けてきたため、まちづくりの現場の中でも、福祉の現場にいても私は『私は世の中の役に立ってるよね?』と思いつつももんもんとする中にいました。

ヘレンケラーとベルと塙保(はなわ)さん

「はなわ」と聞くと「佐賀を探そう」と歌いたくなるのですが、あのはなわさんではありません( ´艸`)

社会福祉士の勉強していると、絶対に出てくる人に「リッチモンド」さんがいるのですが、そのリッチモンドさんが師事したのがヘレン・ケラーの家庭教師で知られるサリバン先生というのは、完全な余談なのですが…子どものころから伝記を読んでいた私にとって、子どものころに読んだ本の続きが思わぬところで見えてきたことに衝撃が走ったのです。

が、それに続きがあったこと。そして、そこに障害を持つ日本人が関係していたことに、驚きを隠せません。

それは、世界の偉人たちを励ました江戸時代の盲目の学者である、塙保己一(はなわ・ほきいち)さんです。「群書類従」は日本各地の貴重な文献をまとめて編さんしたもので全部で666冊、全国の書物を集めてまとめるのにかかった時間はなんと41年間! これがその後、歴史や文化の研究に非常に役立つことになりました。すごい偉業を成し遂げた人です。
よかったら、下記のリンクから詳しい話は読んでもらえたらうれしいです。

 結論から申し上げると、ベルは実は親が聴覚障害を持っていて、その親に何とか音を伝える手段が無いだろうか研究し、四苦八苦している中で生まれた副産物が実は「電話」だったという話です。

 また、相談援助におけるケースワークの母といわれるリッチモンドやそのケースワークの実践例としてのサリバン先生の存在があったのは、ヘレン・ケラーの存在があったからと言えます。

 ということは、支援者が障がいを持っている人に対して、「何かできないだろうか?」「もっとこうしたらできるのではないか?」という、想いと行動が結果として、新しい技術を生み出し、社会を変化させてきたことが分かります。

 つまり、ヘレン・ケラーやベルの母親はある意味では媒介者であり、サリバン先生やベルなど支援する側の熱量が結果的に生産行為を行っていることになります。

生産性が必要なのは生産者ではないか?

 さて、もとに戻して。

 犯人の主張にある「命を無条件で救うことが人の幸せを増やすとは考えられない→自身の幼児期の逆境体験」「重度・重複障害者を育てることは莫大なお金・時間を失う→福祉職としての自己矛盾」というのも彼が自分自身の生きる価値が揺らいでいて自分自身の絶望を誰かに受け止めてもらいたかったのではないかな…と私は思うのです。

というのも、私は市民活動セクターにいる中でこんなことを考えていました。

「月収18万で年収が196万円。そしたら、年収200万円以下が一般的にワーキングプアというし、子どもを一人育てるのに世帯収入が最低限300万円が必要という、少子高齢化が叫ばれる中でこんな年収で、少子化問題の原因になるなら、社会問題を解決しているのか、自分が社会問題になっているのかわからん。」

まぁ、こんな思考になってる時点でかなり笑えないのですが本心です。

答えは私の中にすでにあった

ただ、社会福祉をしっかりと学び、まちづくりについても思考を整理する中で抜けていた視点にたどり着きました…というか、答えはずいぶん前にもらっていたのですが…気が付けていなかったというのが正しいですかね。

それは、川北秀人さんの言葉です。

「あなたは『社会を変えたい』のか、『社会によさそうなことをしたい』だけなのか?」

 福祉職が在宅や施設で個別のケアワークをすることは、スペシャルニーズを持つ児童、障がい者、高齢者が日常生活を維持するのに非常に重要な役割です。ですが、そこで単に「留まる」結果、消耗戦を強いられることに気が付いたのです。

 大切なのは、支援者が「社会を変える」ことを意識して、ソーシャルアクションを起こしていくことであり、それこそが「福祉職における生産性」であると思います。

 ただ、様々な福祉サービスを経験してきましたが…ソーシャルアクションを起こす風土も無ければ、時間的、人的余裕もありません。そもそも、そんなことをする必要性を感じている人も少ないのが今の日本社会の福祉サービスの現場の現状です。

 しかしながら、この現状を私は変えたい。変えなくちゃならないと思います。

実はこの国はもう、待ったなしの状態です。
異次元の少子化施策とか言ってる場合じゃありません。 

厚生労働省が示した包括的支援体制は縦割りの福祉から横つなぎ(分野横断的)の支援に変化させてきています。

厚生労働省の資料を基に井手口が一部改編

 あらためて、私は専門性を持ち、分野を超えてつなげる、そして、社会を変えることができるようになり、学生時代からの「温かい社会をつくりたい」という想いを実現します。

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