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初めてのグラストンベリー・フェスティバルがもたらしたカタルシス

はじめに

英国で行われる世界最大級の音楽フェス「グラストンベリー・フェスティバル」に行ってきた。
音楽好きなら誰もが一度は憧れるグラストンベリーは、フジロック・フェスティバルのモデルとしても有名。
私も例外ではなく「一生に一度は」と思っていたけれど、帰る頃にはそれが「来年はどうやって行こうか?」に変わっていた。
今回のフェスティバルで感じたことを書いていきたい。

人生を変えてしまう特別なフェスティバル

フェスティバルが人生を変えてしまう、なんて言えば大げさだと思われるかもしれない。

フジロックもコーチェラも間違いなく最高だけれど、グラストンベリーはもっと特別で、なにかが根本的に違うような気がする。

勿論、自分はまだこのフェスのほんの一部しか目撃できておらず、2回目以降も新しい景色に遭遇することは間違いないが、初体験でしか得られないことを忘れないうちに書き留めて置かなければと、なにかに突き動かされるように文章を書いている。

私の人生もグラストンベリーで変わってしまったのかもしれない。
実際、個人的な文章を書いて公開しようなど過去の自分は思いもしなかったのだから…

印象に残っているパフォーマンス

振り返ると、集まった人の多さや移動の困難さ、熱波(雨と泥沼で有名なグラストンベリーだが、今回は一滴も降らなかった)で諦めたものも多く、予習もゼロ。全体としてあまりパフォーマンスを見られていない。
ベストはと問われると答えに窮するが、とくに心に残っているものを挙げていく。

ストームジー

ストームジーはこれまで3回観る機会に恵まれたのだが、グラストンベリーでのパフォーマンスは特別で、対比が印象的だった。
前半しか観ていないので特にそう感じたのだと思うが、ほかのフェスと比べて明らかに硬く、めちゃくちゃに緊張しているのが伝わってきた。感極まって一瞬言葉に詰まるシーンもあった。観ているこちらとしてもハラハラ。観客全体の空気にも緊張感があったように思う。

グラストンベリーは間違いなくアーティストにとって世界一の舞台。そしてストームジーのヘッドライナー抜擢はグライム界に新たな歴史を刻んだ。ステージを観るほうも観られるほうも本気で対峙していることがひしひしと伝わってきた。

トゥー・ドア・シネマ・クラブ、フレンドリー・ファイヤーズ、ホット・チップ、ミステリー・ジェッツ

挙げた4つは学生の時リアルタイムで聴いていたUKバンドで、なおかつある程度ちゃんと観られたもの(前述のとおり、諦めたものも多かった)。いずれも来日公演に足を運んだこともある。

彼らを大人になったいまグラストンベリーの地で観る、という状況そのものが非常に感慨深いものだった。
約10年の時を経て円熟味を増し、以前観たときよりもカッコよくなっている。当然のように起こる観客のシンガロングも日本では味わえないことのひとつ。一緒に歌えて嬉しかった。

ベビーメタル

グラストンベリーといえば旗。憧れの旗を掲げたくて日の丸を用意して行ったのだが、それがもっとも脚光を浴びたのがこのステージでのこと。
旗に気づいた観客のおじさまが「君たちもっと前に行け!」と前方に押し込んでくれたことでほぼ最前列に。おかげでBBCの映像には何度も私達の旗が写り込んでいる。
驚いたのが、彼女たちの曲を一曲も知らないし、特に思い入れがあるわけでもないのに、自然と涙が出そうになったこと。
なぜだ?泣くのはおかしい…と思いずっと泣くのを我慢していた。
あとから友人にそのことを話したら彼も同じ状況だったそう。
グラストで2番目に大きなステージでの堂々とした立ち振舞いを見て、同じ日本人としてダイレクトに感じるものがあったのだろう。
パフォーマンスは素晴らしく、最終的にはサークルモッシュができるほど。思わずモッシュピットに飛び込んでしまった。

どのアクトも素晴らしかった

どのステージも、例えばコーチェラほどの派手さや凝った演出はない。ただし、肌感覚としか言いようがないが、パフォーマンスに込められた想いの大きさ、精神性は桁違いだ。それがこのフェスティバルを特別たらしめ、感動を生んでいるのかもしれない。

グラストンベリー行きの決定、8ヶ月後への恐怖

話が遡るが、グラストンベリーに来る前までの個人的な出来事が、今回の体験とは切っても切り離せない。

18万枚がたったの30分で売り切れるほど入手困難なグラストンベリーのチケットが、運良く入手できたのは昨年10月のこと。
長年の夢が叶う喜びもつかの間、真っ先に頭を占めたのは不安だった。

大腸がんステージ4と診断された私の父親は、5年近く病と闘っていた。私は三重県にある実家と東京の自宅とを頻繁に往復する生活を送っていた。

闘病が続くとその状態に慣れてくるもので、このままの調子で大丈夫でいてくれるのではという根拠のない希望が生まれてくる。近年、実家に帰っても私は仕事ばかりしていたが、いま思えばなにも考えないようにしていただけだった。私は会社員だがフリーランスとしても活動していて、仕事量は青天井。働くのは楽しいし達成感もある。なにより仕事に集中している間は暗いことを考えなくて済む。

楽観的な日々を過ごしていた私ににとって、グラストンベリー行きの決定は恐怖だった。すごく楽しみだが、8ヶ月後という未来を考えることが怖かった。

父のこと、仕事のこと

父は仕事人間というわけではなかったが、私が生まれる前から自業を営んでおり、本当の意味での休日はお正月とお盆の数日だけ。癌が発覚してからは母が代役を務めることが多くなったが、体力的に数時間しか居られなくても現場に立つことをやめなかった。ついに事業を譲渡することになったときも、フラフラになりながらも自ら交渉の場に立っていた。

2月の終わり、最後まで頑張った父はこの世を去った。それは奇しくも、事業譲渡が完了して間もなくのことだった。

父たちと過ごした最後の5年間はかけがえのないものだったが、「リタイヤしたら毎週映画を観にいきたい」「家族で旅行に行きたい」という父のささやかな願いが叶えられなかったことが悔しくてたまらなかった。また、仕事ばかりしていないで少しでも多くの話をすればよかったという後悔も残った。

仕事に打ち込むのは素晴らしいことだ。ただ、仕事ばかりしていると簡単に人生の大切な時は過ぎ去っていく。

それなのに私は、また仕事へ逃げることとなった。悲嘆に暮れる心をかき消すためにハードな量の仕事を受け、ほとんど自宅に引きこもり、睡眠時間を削り、数ヶ月間とにかく働いた。

こうして気づけば出発の日を迎えていた。

グラストンベリーがもたらしたカタルシス

ロンドンからバスに乗り、会場に到着。大荷物を抱えながらリストバンドを手に入れ、やっとの思いで宿泊するテントに荷物を搬入する。テントサイトから見下ろした会場は、いままで行ったことのあるどのフェスよりも何倍も広く、まるでひとつの街のようだった。

幼児連れから老夫婦まで、世界各国からのバラエティに富んだ来場者。100を超えるステージ、おびただしい数のアート、無数に掲げられた旗、どのフェスで見るよりも圧倒的なステージアクト。

そこにいる人々から、空間から、鳴っている音から、生きてる喜びが痛いほど伝わってくるような…。

50年積み重ねてきたカルチャーがそうさせるのだろうか。
知識として知ってはいたが、夢見たこの地に実際に足を運び経験するのは大きな衝撃を伴う。

ふと気づけば、悲しみや疲れでカチカチに凝り固まっていたすべてから開放されていた。

これまでどんなに休んだり、美味しいものを食べたり、好きな音楽を聴いたり、自分を労り喜ばせようとしても得られなかった感覚。
自分を縛るものがなにもない状態。魂が震える思い。

正直、フェスティバルにここまで救われることになるとは思ってもいなかった。グラストンベリーという世界最高峰の非日常は、究極のデトックス効果を持っていた。

人間が生み出すクリエイティブに敬意を払い、好きなことに「好きだ!」と叫ぶ。いまこの瞬間を心の底から楽しみ、手にしている幸せに気づく。心を込めて表現する。悲しみの数だけ優しくなる。ありのままの自分を愛し、生きていることを祝福する。
そういったことが、人生を彩る本当に大切なこと。

グラストンベリーがそう教えてくれた。
最終日の夜明けを観ながら、考えたのはそんなことだった。

余談:パワースポットならではの体験

グラストンベリーは強力なパワースポットでもあるらしい。そのことがそうさせたのか、開催中、思いかけず瞑想で深いところに落ちていく体験をした。

感覚を言語化するのがなかなか難しいが、自分の内側に無限に広がる世界に驚嘆し、意識・イメージの力の可能性に圧倒されたとでも言おうか。

グラストンベリーにはまだまだ私の知らない不思議な力が潜んでいる気がしてならない。

ありがとう

素敵な友人たちとグラストンベリーの地を踏めたというのは本当に幸運なことだった。全員が音楽を愛していて、人間として素敵、仕事もデキる。とても尊敬している。
フェスティバルは仲間と行かないと、本当の楽しさを味わえないと思っているが、困難なチケット確保から6日間のキャンプ生活まで、喜びと感動を共有できた仲間がいてくれたことに心から感謝したい。
加えて、様々なアドバイスをくださったグラストンベリーの先輩方には頭が上がらない。

彼らなしには、これほどまで心を開放することや、多くの気付きを得ることはなかっただろう。

大切なことを大切にしながら生きていく

この先、フェスティバルで人生変わった!と言い切れるほど、劇的な変化があるのかはわからない。けれど少なくとも、大切なものを大切にしながら生きていく。またあの場所に行けるようしっかり働きながらも、人と自分を労って、よい身体とよい精神で生きていく。

大好きな苗場まで、あともう少し!