見出し画像

見下される経験

なんとなく今すぐ出したい気分で、予約投稿せずに投稿📝

新人看護師時代はもちろん基本的に見下されていた気がしますが(笑)30代になった今でもたまーに、指揮者だったり、強めの医者だったり、そういった立場の方から「なんか見下した言い方されてる、、」と感じることがあります。直接もありますし、その場面を遠目に見ることも。

この見下される経験が自分を成長させてくれるとも感じつつ、見下す行為は必要なのか?という問いに対して考えてみたいと思います。


過去の自分も人を見下した言動をしていた


正直なところ自分も見下した言動をしていました。
いちばん酷かったのは大学時代、オーケストラに入団した頃やコンマスをしていた頃だと思います。

入団とともに楽器を始めた先輩より自分が弾けることで偉そうにしていたし、
コンマスしている時は周りより弾ける自分から偉そうに指導していたし、
話したことのない後輩からはよく「かなほさんに話しかけるなんて無理」と思われていました。(そう言ってたよと同回生に言われてました)

何回言ったらわかるの?

私がいちばん見下された!と感じるときは、何回言ったらわかるの?と言われるときや、その意図が含まれた言葉が飛んできたときです。

まさにこれは自分が過去にやっていたことそのものであり、母にもよく言われた言葉でもあります。(母は母で必死だったのだと今ではそう思えます)

見下す側を経て見下される側になってみて

大学時代に見下し、社会人になって見下されてみて、まず「見下されるってめっちゃ嫌!!!」って普通に思いました^^;

そりゃそうだよ、経験しなくてもわかるよね、とも思いつつ。

でも私にはこの経験があったからこそ、立場が変わったときに、改めて見下すという態度、言動が、人の心にとって悪影響が大きいものであると身にしみて感じることができたのかなと思います。

見下す行為は不要だけど、なんで見下したくなっているのか考えることが大切

見下す行為によって相手には悲しみや怒りの感情が湧き、不快感につながったり、過度な緊張をもたらして仕事や演奏のクォリティが下がることにつながります。

だからといって、
今から見下すのやめる!見下されるのやめる!
と言ってやめられるものでも、やめてもらえるものでもありません。

見下す、見下されるにぶち当たった時に、その都度自分はor相手はなぜ見下そうとしたのかを考えるようにすることで、本来の目的が見えてくるはずです。

よく見下す人は「自分に自信がないから相手を下げて自分が上に立とうとする」といったことが言われています。
そのようなその人にとっての目的も理解しておくことも大切です。

私としてはそれだけだとちょっと物足りなくて、音楽なら、良い演奏がしたいことであることが多いだろうし、看護師の仕事であれば患者さんにもっと良いケアを提供したいことであることが多いと思います。

ざっくりとした傾向がこのような感じで、さらに細かく見ていくと、この音をこんなふうに弾いてほしい、このケアのときこういうタイミングで患者さんの表情を確認してこんな声かけをしてほしいとかになるのではと思います。
そう思うと見下す行為はやっぱり本来は不要、あえてそうしなくていいよねと思います。

すぐにはなくならない見下しへの対処

食べ物もおいしいもの食べたいのと同じで人との関わりにおいても心が喜ぶコミュニケーションが人がより健やかに成長する栄養分になると思います。でも今すぐに世の中からなくなるものでもないので、もし摂取しないといけなくなったら、厚めの皮を剥いて食べる感じで対処していけるといいのかなと思います。


この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?