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Hidetoshi Nagasawa(長澤英俊) 1969-2018を鑑賞する

先日、始まったばかりの長澤英俊という彫刻家の展示を見に行った。
このアーティストのことを知ったのは、会社の近所のお気に入りのギャラリーのオーナーとコロナ禍の中盤に知り合い(確かまだ、美術館や映画館に入るのにグリーンパス-ワクチン証明-が必要だった頃だ)、ギャラリーに置いてあった作品集を見せてもらったのがきっかけだ。20代半ばからずっとミラノ(近郊も含む)に住んで活躍され、ミラノで亡くなった方なので、もしかしたら知名度は、日本よりもイタリアの方が高いのかもしれない。
いずれにせよ、作品展として見るのは今回が初なので、まずはBioの紹介から行こうと思う。



※長澤英俊とは

長澤 英俊(1940年10月30日 - 2018年3月24日)
日本の彫刻家。現在の中国黒龍江省生まれ。
父親が日本軍の軍医として勤務していた満洲で生まれた。1945年の敗戦時、ソ連軍が満洲に侵攻してきたため、母親の実家のある埼玉県に定住。多摩美術大学に進学してから卒業まで、建築とインテリア・デザインを学ぶかたわら、空手と徒歩旅行に打ち込んだ。
1966年、世界的視野の中で芸術家になることを決意し、500ドルと自転車のみをもって単身、ユーラシア横断の旅に出た。
(中略)
1967年8月、ミラノにたどり着いた時点で旅の中断を余儀なくされた。満州からの引揚げ以来、学生時代の徒歩による日本国内行脚から、ミラノまでの伝説的なユーラシア横断行へと、幼年期・青年期を彩った旅は、それ自体が自身の存在の意味に対する彼の絶えざる問いかけの行動であったと思われるが、旅はまた、芸術することの意味を掘り下げて止まない彼の作品行為の一つ一つに刻まれて、その後の制作を色濃く性格づけることになった。

Wikipediaより抜粋

次に展示の説明へ移ろう。
どうやら、ミラノの3か所のギャラリーに分けての展示になるようだが、1か所は大型作品1点のみの展示、もう1か所は5月からの開催で、正直、過去の展示を2種類見て、然程好みの展示方法ではないことを知っているので、今回見た分で十分かな、でもやっぱり見に行くってしまうのかな、と今から悩ましいところだ。なにも人生を左右する問題ではないのだから、その時になってから考えればいいのに、私という人はいつもそうなのだ😅

※展示会の説明

この展覧会は、約40点の作品のセレクションを通して、アーティストの2つの特徴である、芸術作品と建築の関係へのこだわりと、巨大な彫刻作品でありながら空間に浮遊し、軽やかに見えるという、ほとんどユートピア的なビジョンを強調することを意図している。

展示作品は、アーティストが「間」の原理に基づいて構想し、実現したものである。間とは、禅の哲学に属する概念であり、我々(欧米人)が考える「間」や「空虚」と同じである。 1972年、床に敷き詰められた大理石の作品『Colonna』もそうで、異なる地域で採石された異なる色のセグメントで構成され、最小限の、しかし目に見える空虚な空間が散りばめられている。「その小さな空間に、彼らの旅と物語の距離が封じ込められる」と作家は書いている。
長澤の詩学と伝記において極めて重要なテーマである「旅」--彼が自転車に乗って日本からこの国に到着したことを挙げれば十分だろう--に関連して、本展示では『Barca』(1980-1981、大理石、土、木)の別バージョンを提案している。この作品は、石から植物に至るまで、あらゆる自然の要素が神聖な次元を持ち、神への祈りの手段であるという神道の伝統に根ざしている。
最後に、この展覧会では、アーティストの数多くの紙作品と、初公開となる大理石の彫刻作品2点「Cubo」と「Nastro」も展示する。

展示会案内を抜粋・意訳

それでは作品へ移ろう、3フロアに分けて展示されていたので、各階ごとに気に入った作品のみを紹介したいと思う。

※展示フロア-1階-

CASA DEL POETA(詩人の家) 1999年
鉄、鋼、真鍮、紙を使った大型の作品。独りで悟りを開きたい時に、例えばこれを深い森や竹林の中へ持って行き、ぴったりと締め切ってそこに籠り、鳥のさえずりや緑の香りをかぎたい時には障子張りっぽい窓を開けてみる、みたいなイメージです。
斜め横の下方から撮るとこのような感じ。
サイズは253.5×180×90とあるので、普通にシングルサイズの布団が敷けそうですね。もし大きめの庭があったら、離れとしても使えそうですね👍
NASTRO(テープ) 2012年
何を意味しているのか分からないけれど、よく日本の近代美術館とかの庭にありそうなイメージ、つまり懐かしい印象。
BARCA(ボート) 1980-81年
展示会の説明文中にこちらの詳細があるので、よろしければ今一度上に戻ってご確認ください。
ここに植わっているのは生きた桜の木で、ところどころ芽吹いているところが可愛らしく、この会期中にもしや花が咲くのかな、いや、まだ若木だから咲かないのだろうな、展示が終わったらこの木はどこへ行くのかな、上階の紅葉に加わるのかな、とそんなことまで考えさせられてしまった。やはり桜は日本人の心に強く訴えかけるものがありますね。
NICCHIA(空洞、くぼみ) 1975年
「ヴィーナス・アナデュオメネの石膏模型。3倍に拡大された腹部下方のディテールが、逆さまになるとヴィーナスの空洞になる」という説明付き。
ヴィーナスと言うと、真っ先に思いつくのが、Botticelliの絵画と彫刻のミロのヴィーナスの2つに絞れるかな、と思うのですが、後者については腕がなく、それを補った姿を復元しよういう試みでは、林檎を持っている、それも左手に持っている、という俗説が複数あるそうです。しかしこの作品では、ヴィーナスは右手に林檎を持っているので、これもまた作者の「逆さま」のアイディアの一環なのかな、と思って楽しくなりました。
ヴィーナスの後ろ姿。これでディテールがくっきり見えましたね🤫
DISEGNO(デザイン) 1993-4年
近景を撮らなかったのですが、近くから見ると色の混ざり合いが独特の美しさで、しばし見入ってしまいました。普通のざらっとした表面の画用紙に、左は水彩絵の具とクレヨンで、右は鉛筆とワックスと硫化カリウムで描いたそうです。

※展示フロア-2階-

UN ALTRA META'(アナザーハーフ) 1972年
「石を二つに割った部分を銅で鋳造してもらった。割れた部分は完璧なので、それなら"欠けた部分"かもしれない。しかしこの2つのかたちは独立して存在し、唯一の共通点は割れ目のラインのみだ」という説明付き。
これは文字通り捉えてよいのか、独立して存在するものとして見せるために敢えて色を変えたのか、どちらなのでしょうね?たかが石、されど石・・・としておきましょう。

石を横目に、今回のメインともいえる作品「COLONNA(柱)」へ移ろう。

COLONNA(柱) 1972年
「これは宮殿の柱でも何かの支えでもなく、11個の異なる大理石の組み合わせであり、その中で互いが完璧に組み合わさっている。しかしながら私はこれらの大理石を美的な意味で使ったのではなく、それぞれの産地が異なるから、また一般的にそれぞれの機能が異なるから使ったのである。例えば、Carrara(※)の白、次にポルトガルのピンク、そしてフランスの赤のものなどがある。遠く離れた産地のものであるにもかかわらず、それらはまるでいつも一緒にあったかのようで、別々に考えることは不可能なようだ」という説明付き。
※Carraraはトスカーナにある都市で、白大理石で有名。例えば、量販店ではなく、少し名の知れた店の台所や床材のコーナーに行くと、Carraraの大理石がいいお値段をするのが分かるので、気になる方はいつか見てみてください。
別の角度①
別の角度②
本当に、色々な国の様々な場所からきた石だとは思えないほどぴったり、しっくりきていますよね。展示会の説明にある"目に見える空虚な空間が散りばめられている"という表現の、特に空虚、というのが、私には適切な表現とは思えず、持つべき間隔を保っているとしたいけれど、まぁでも、それくらいお互いが自然にはまっているのは奇跡的だなぁ、と感心させられました。
別の角度③

次の作品が見えてしまっているので、次へ行こう。

DISEGNO CON RAME(銅を使ったデザイン) 左と中央2010年、右2015年
遠景だと分かりづらいかもしれませんが、使われている銅がところどころ錆びてよい味を出しています。
銅の部分、見えますか?
錆びたり剥げたりしても、素敵
TOP OF PYRAMID 1969年
大理石の四角い石で、作品自体には惹かれなかったけれど、この空間の美しさをお見せしたかったのです。秋や冬はもっと素敵で、ここへ来るたびにうっとり眺めてしまう。。。
PULVERIZE - CLOTHES 1969年
「写真と灰。私が日本から徒歩と自転車で旅した際に使用したアイテム。私はそれらを等身大で撮影し、燃やして灰を瓶に集めた。酸素が取り除かれると、灰になり、二度と変わらない」という説明付き。
ある意味、自分の人生に一度さよならをし、別人として生まれ変わったような感じがしますね。
DISEGNO CON RAME(銅を使ったデザイン) 左から2018年2月9日-17日-6日
個人的に真ん中が好きなので、次に近景を載せます。
心に訴えかける何かがある気がする


※展示フロア-3階-

ROTOLO(巻) 1979年
「ブラジルで見つけた巨大な豆(一種1.2mt)。銅の巻物に浮き彫りにされた木の枝から、金箔を施された銅の鋳型が浮かび上がる。豆の物語は巻物に包まれている」という説明付き。
この作品を見て、大昔読んだアンデルセンの「エンドウ豆の上に寝たお姫さま」の童話を思い出しました。あのお姫様は、たった一粒の豆をも20枚の敷布団と20枚の羽根布団の下に感じてしまうお方だから、もしこれが下にあったら1分すら横になることはできないのだろうな、と。
DISEGNO(デザイン) 1991年
よくわからないけど可愛い
SULINUNTE DORMIVEGLIA(夢うつつのセリヌンテ※) 2009年
※セリヌンテ: シチリア島の南西部にあった古代ギリシアの植民都市。遺跡にはアクロポリスを中心いくつかの神殿がある。セリヌスは紀元前409年に一旦破壊され、その後再建されたが、紀元前250年頃に放棄された(Wikipediaより)
赤色のデザインとのコントラストが可愛いので、敢えてこの角度で撮ってみました。

これで作品の紹介を終了しよう。
本当はもう一つ載せても良かったのだけれど、これを書いている夜中の1時、私自身がもう夢うつつなので。。。


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