見出し画像

爆裂愛物語 第二話 家出少女

 我路のバイクがすべるように夜の国道を行く。背に凪を乗せて……背中から伝わってくるのは、ぬくもりだった。それが彼女には……なんだか自分を迎えに来てくれた王子様のように思えて、
「あ、あのね」
 とん、とん、とバイクの後ろでゆれながら凪が言った。
「家、泊めてもらうんだから、その……覚悟はできてる! でも、その、あの……」
 ブンブブーン! バンババーン! ギュン! ズドドドドーン! ギュンギュギューン! 凪のその声はエンジンの爆音にかき消されて聞こえなかった。
「うん? なんか言ったか?」
「何でもない!」
 と、自ら発した言葉に恥じらいを覚えたのか、頬を赤らめた。

 ブンブブーン! ふたりを乗せた黒いバイク、カタナが、夜の街を駆ける。

「うし! 着いたぞ!」
「ここ?」
 着いたのは街の外れにある工業地帯で、夜中だからなのか閑散としていたが、工場のパイプや煙突、そして……無数の大型トラックやトレーラー、シャーシが乱立していた。
「ここがオレらの会社」
 我路が指差した場所は、スポットライトに照らされた旭日旗が印象的な平屋の事務所で、大きな駐車場にはいくつもの黒い大型トラックやトレーラー、シャーシが並んでいる。看板には……“大日本翼賛会”の文字がある。
「元は日本の右翼団体だった会社で、今は冷凍食品中心の運送会社なんだ。で、こっちがオレらの寮」
 指差す方向には、二階建ての木造住宅があった。
「まだ寝てんのもいるから静かにな」
 我路は凪を案内する。彼は階段を登って二階の一室に彼女を案内した。そこは畳のある小さな二人部屋で、男の子の部屋にしては女の子の部屋並みに綺麗な部屋だった。
「へー……」
「とりあえず今夜はゆっくりしろ。それから……」
「レイさん! いや、我路さん!」
 凪はギュっとこぶしを握り、真っ赤な顔を見せないようにペコリと深くお辞儀をしながら言った。
「私! ちゃんと覚悟はできてます! 家出して、お家に泊めてもらうんだから……か、体で、ちゃ、ちゃんと……ちゃんとお返ししますぅーー!!! 我路ならいいです! 私、我路なら、我路なら……体、さ、さ、さ、差し出します! でも、ちょっと、あの……心の準備、というか……胸の傷が、その……これは、我路なら、見せても、いいけど……でも……我路だから……我路だから!」
「あ、きたきた! おせーよ静香、言ってたろー。同居人が来るって」
「え……」
 凪が顔をあげると、眼鏡をつけた大人しそうな女子がいた。
「紹介するわ凪。この部屋の主で今日から凪の世話頼んでる、静香って娘だ」
「初めまして、静香です。我路さんからお話は聞いてます、簡単にだけど。よろしくね」
 静香はおしとやかで優しそうなおさげの女子で、歳は凪と大して変わらなく見える。
「静香、今日は凪疲れてるだろうから、明日からゆっくり仕事教えてやってくれ。みんなの紹介とかも、明日からおいおいな」
「はい♪」
「なんか嬉しそうやな? 笑」
「おんなじクラスになるみたいな感じですし。転校生というか、おんなじお友達ができるみたいで嬉しいんです♪ がんばってちゃんとお世話します」
「うし、任したぜ」
 我路は静香の肩をポンっと手でたたくと、
「んじゃがんばれよ、凪。」
 そのまま部屋を後にした。だが……
「凪、オレの固ツイにリプしたろ?」
「え?」
「約束、守れや。頼りにしてっからよ、これから」
 去り際にそんな言葉だけ残した。後ろは……振り向かなかった。

「あらめて初めまして、凪さん。明日はとりあえずゆっくりしてくださいね」
「え、あ、はい。静香さん……ですよね?」
「全然タメで話してくれていいですからね。私はクセみたいなものなんですけど 笑。私も、お友達がほしかったから嬉しいんです」
「え!? いや、全然、むしろ、お願いします、というか……」
 凪はちょっと気まずそうにうなずく。
「とりあえずこっちのふとんに……あ、お手洗いはあっちです。お風呂と台所、お手洗いは共用です。明日紹介しますね。分からないことは何でも聞いてくださいね。こう見えても、ちょっとは先輩ですから」
「あの、静香さん。じゃなくて……静香、ちゃん?」
 凪はおそるおそるつぶやく。
「はい?」
「あの、私……家出少女、というか……家出、してきたん、ですけど、その……エッチ、とか……しないん、ですか? 明日から、とか」
「あ、うちはそういうのないですよ。安心してください」
「え!?」
(えぇぇぇぇぇぇ!!!!!! なにそれ!? まじめに考えてた私、気まずい! え!? ってか家出少女って、そういうんじゃないの!? 私の勘違い!!! 恥ずかしい……(。>﹏<。))
「あ、でも、ダンさんと咲夜さんは、毎晩楽しんでるみたいですけどね。合意があればいいんじゃないですか?」
「は、はぁ……」
 凪は安心したような、落胆したようなため息をこぼして、ふとんに入った。なんか気まずい家出デビュー……

 翌朝……ふとんから覚めた凪は、眠い目をこすった。
(なんか昨日の事が夢みたいに遠い……)
 ふと香ばしい匂いがしたのに気づく……匂いを辿ると、そこは一階の台所で、
「あ、凪さん起きたんですね。いま朝ごはんつくるから待っててくださいね」
 と言いながら、エプロン姿の静香は手を拭った。うしろでは、大型冷蔵庫がぶぅーんと低い音を立てている。
「はい、目玉焼きとウィンナーにご飯。足りないかもですけど、お夕飯前の腹ごなし、って思えば大丈夫ですよね? みんなの夕食の準備もあってちょっとアレなんで」
「ありがとう」
 凪は机の上で朝食を食べる。とても静かでゆったりとしていた。
「お茶がいいですか? オレンジジュースとかミルクとかもありますけど」
「えっと、アップルジュースありませんか?」
「あ、ありますよ」
 なんか……受験に追われていたことがウソみたい。
「食事が終わったら、洗濯干しなんですけど、その前にいま事務所にいる人紹介しますね。ちょうど並さんと宮さんも偶然いますし」
「え? あ、はい」
 食事を終えると、静香は慣れた手つきで食器を洗い、凪を事務所に案内した。寮から事務所へは直接行けるらしく、渡り廊下を歩いて二人は事務所に入った。
「あ、アイさん、夏凛さん、咲夜さんもいたんですね! こちらが昨日ちょっと我路が話してました、凪さんです」
「は、はじめ、まして」
 そこは会社の事務のようで、パソコンが並んでる。そこでアイと夏凛はパソコンを操作し、咲夜はコーヒーを飲みながら談笑をしていたようだ。

「あー、あなたが我路の話してた? 初めましてー私は咲夜です。この会社では人事部長してます。ま、現場も見つつだけど」
 咲夜は姉御肌のサバサバした感じの女性で、とても気さくな印象だ。
「で、こっちが」
「夏凛です。ごめんちょっと僕、手が離せなくて」
 夏凛は僕っ娘のようだ。神経質そうな顔つきによく似合う白いシャツにシワが寄っている。
「私はアイ、と言います。よろしくお願い致します」
 アイは棒読みでそう言った。全てが自然すぎるほど無表情で整った顔立ちをした、色白の少女だ。

「おう、お前か、我路の言っとった家出女っちゅうんわ」
「あ! 宮さん、おはようございます」
「押忍!」
 凪の背後から声がして、振り向くと、長身のガッチリしたたくましい男がいた。短く刈った天然パーマに口角の下がった厳しそうな顔つきだ。
「ええか。お前を預かんのはほんまは『未成年者誘拐』になってまうからあかんねんで。
 それを、我路の頼みやからってのもあるけど、
 寮の家事担当になってもらうっちゅう条件で預かることにしたんや。
 それを下手な家事してみ……警察に突き出すからな!!!!」
「ひいぃ!」
 あまりの緊張感ある剣幕に、凪は首をすくめる。
「大丈夫ですよ、凪さん。私がちゃんと教えますから」
 静香は優しく微笑んだ。
「宮さんはこの会社のナンバー2で、厳しいけどすごく優しい人なんですよ。」
「はぁ……」
「あれはね、“緊張感をもってちゃんとがんばりなさいよ”って意味なんです」
 静香はニコリと笑った。そうなのかな〜? 凪が肩をすくめたその時!?
「挨拶は!!!!」
「はいぃぃ!!!! おはようございますぅ! おはようごさいまぁす!!」
 背後から男が怒鳴った。小柄で坊主頭の、眼つきは優しいけれど切れ長の鋭い、目鼻立ちの整った、パッと見ると野球少年のようだ。歳は50代ぐらいなのだが少年のような印象を持つのが不思議だ。
「あ、並さん、おはようございます」
「はい。おはよう」
 静香は笑顔でペコリと挨拶する。男はスタスタとどこかへ行ってしまった。
「あの方は並さん、といって、ここのトップです。並さんも優しいんですよ。だから、大丈夫」
「は、はぁ……」
 ここで本当にやっていけるのだろうか……凪はとほうに暮れた。

 それから凪と静香で洗濯物を干した。青空の下、寮のベランダで男達の服と下着を干す。
(うわ〜、男の人の下着っておっきいな。ボクサーショーツと、トランクスって何センチくらいあるんだろ? 手で測ってみようかな……)
「凪さん、もしかして、男の人の下着干すの初めて?」
「ふぇ!? えっと、ど、どうして?」
「うふふ、なんとなく♪」
 静香は優しく微笑みながら、目を細めてたずねる。
「凪さん、家出されたんですよね?」
「え? あ、はい、そうです」
「私も、家出少女ですよー、元々は」
「え!? そうなんですか?」
「はい。我路に拾ってもらったんです。一緒ですね」
 凪はそのとき、不思議と優しい気持ちになった。一人じゃない、というのもそうだが、我路の人柄が見えた気がした。だからなのか風がふいて、風が……凪の髪をふわりと揺らして……
「あ……」
 風が……
「雨……」
 突然の通り雨が……
「大変!! 全部とりこまないと!」
「え? え? えぇぇ!?」
 ザザザザザーッ!! 雨だ。凪と静香は大慌てで洗濯物を取り込んで、中に戻った。
「せっかくきれいに干したのに~」
 凪は不服そうに唇をとがらせ、それから再度洗濯物を中で干そうとした。

 夕方

 寮の一階、リビングルーム。凪と静香が用意した食事が並ぶ。唐揚げにホルモン焼き、豚骨ラーメン、チャーハン、牛丼、カツカレー……
(うわ〜、男の子が好きそうなのばっかりー笑笑)
 わいわいがやがやと食事が始まる。ここのみんなは、会社を出発する時間も帰ってくる時間も現場によってバラバラなので、こうして全員が集まっての夕食は珍しいらしい。
 上座には並さんが座っていて、あとはバラバラだ。アイさんと夏凛さんは一緒にいるが……あ! 咲夜さんと一緒にいる男の人、あれがダンさんか……なんだか怖そうな人だ。髪型は金髪のオールバックに後ろを結ぶほどロングで、グラサンをしている。胸元の開いたシャツに黒のレザージャケットの着こなしは威圧感を感じる。咲夜さんとはずいぶん仲良さそうだが……歳は咲夜さんの方がひと回りからふた回りくらい上のようだ。
「我路! お前酒好きだろー。そら、オレの日本酒をやろう!」
「ありがとうございます! 並さん! いただきます!」
 並さんは我路を、そうとう可愛いがっているように見える。分かりやすい感じではないのだが、なんというか、親子の盃的な愛でる感じというか……
「我路、少し飲み過ぎです。昨日のデータから計算すると、肉体の負担から、今日はそれで終えた方が良いかと」
「アイの言う通りよ。鼓動が早くなってるし、体温も上がってる。肝臓もそうだけどいろいろと負担かかってる。いくら再生能力があるからって明日の仕事に響くからご自愛を」
 アイと夏凛はそろって我路の体の心配をしている。
「死ぬときは死ぬんだ、気にするな我路」
「ダンさんも、もう少しご自愛を。咲夜さん、そういうわけですから、そろそろ手酌をひかえてください」
 ダンと我路も信頼関係があるように見える。似ているようで何処か違う二人だが、不思議な事にお互いへの嫌悪感はない。認め合っているようだ。

「ふーん……」
 凪は、そんな我路と周りの様子を見て、納得したように頷いた。ただ、その顔にはどこか焦りやいら立ちもかいま見える。
「君が凪ちゃん? 我路が拾ったって娘」
「!?」
 急に大きな声で言われてビックリした! そこを静香がさりげなくフォロー! 
「園さんー。凪ちゃん大っきな声にビックリしてますよー」
 園さんは大日本翼賛会のメンバーで、筋肉質のがたいに重そうな体格と短く刈った髪型から、いかついイメージがあるが実はお茶目なんだよね〜
「我路とは何処までいったの? もう付き合った? キスまではいった?」
「ひぇ!?」
 突然の突っ込んだ質問に凪は顔を赤らめ、思わず変な声をもらした。
「も〜園さん、私の時も同じこと聞いてきた〜」
 静香は困ったような顔でさりげなくフォローするのだが……
「我路ああ見えて女グセ悪いからよ 笑。愛があふれてるっていうかwww」
「園さん! 変な話ふき込まんといてください‼‼」
 我路は慌てるように話をさえぎった。
「あれ、静香ちゃん? そういえば宮さんは?」
「宮さんはね、お酒は好きなんですけどこういう場があまり好きじゃなくて、自分の部屋でゆっくり食事と晩酌をするタイプなんです」
「ふーん……」
 こうして凪の大日本翼賛会初めての夕食は、ドタバタしながらも楽しく、いろんな感情や発見もありながら幕を閉じた。

「……」
 その夜、凪と静香が寝る部屋で、凪は……静香がすっかり寝たのを確認すると立ち上がった。
「……」
 起こさないように、そっと、何より……緊張する鼓動を必死に抑えながら、そっと……

 彼女は共用の浴場に行った。誰もいないのを確認するとそそくさと服を脱ぎ、うしろ髪を引かれるような気持ちで浴場に入る。
「……」
 誰もいない夜中の浴場で、彼女は一人体を洗うのだが……
「……ッウ……ウウ……ッグス」
 胸の傷あとは、やっぱり消えない。
「ッアア……ッ」
 だから一人ぼっちでむせび泣いている。やっぱり一人なんだ。一人……

「……」
 しかし
「咲夜さん? ちょっといいですか?」
 夏凛はシワだらけのパジャマ姿で、咲夜の部屋をたたくと、
「今日入った新人の娘、泣いてます。浴場で一人」
「え?」
「心臓も高鳴ってる。脈拍も早い。みんなに知られたくないことがあってこっそりいま入浴してるっぽいですよ」
「なんかあるんや?」
「それは分からないですけど。詮索するのも失礼だし」
 凪のいないところで、咲夜と夏凛は、凪のことを話していた。

 翌朝……凪は今日、六時に起きた。今日からは静香に教わりながら家事の仕事をしなければならないのだが……寝不足なようで眼にクマができている。今日から働かなきゃいけないのに……ちゃんとしないと追い出されちゃうよ……我慢しなきゃ……でも……そう思うと手が……手が……手が震えて……
「凪ちゃん?」
「!?」
 後ろから声をかけてきたのは、咲夜だった。
「ちょっとおいで」
「え?」
 咲夜についていく。スタスタと歩く足取りに見失わないようにと小走りにあとに続くと……
「え? ここ……」
 そこは浴場の男湯の方だ。
「昼間は男たちみんな外に働いてるからまず来ない17時ぐらいまでは貸切風呂やで、あんたの」
「!?」
「まぁでも、いつまでもこうってワケにはいかないから、なんか考えなよ、あんたも」
「……」
 ビックリした。一人だって思ってたから。一人だって思ってたのに……
「うふっ……そっか」
 凪はクスリと微笑んだ。
「我路はたくさんの人に支えられてる」
 なんだか優しい気持ちになる。
「でも、我路を支えてる人たちが、私のことも支えてくれる」
 その気持ちを、人にも分けたくなってくる。
「なんか不思議……私も、我路やみんなを支えたくなってくる」
 だから……
「今日もお仕事、がんばらないとね!」

“凪、オレの固ツイにリプしたろ?
 約束、守れや。頼りにしてっからよ、これから”

 午前中、凪と静香は大忙し! まず掃除から始まる。これが大変だ! 今日はさっそくお風呂やトイレ、共用部の床や窓を掃除した。それから、二人でちょっと遅い朝食を取る。
「凪さん、なんだかやる気ありますね?」
「そう?」
「ええ、なんか楽しそう♪」
 そうなのかもしれない。今までの学校生活や受験勉強よりかは、いいかもしれない。生きてるって実感がわいてくる。
「さて、午後からも大変ですよー。お洗濯干しに夕食の支度、明日の朝食の準備と支度にお昼のお弁当の仕込み」
「え!? 明日の朝とお昼も準備するの?」
「ええ、朝は早い人が多いから今日のうちに用意して、お昼も帰ってこないんで今日のうち。でもお昼のお弁当は希望者なんで、いまは仕込みだけ、つくるのは夜です。けっこう外で外食したい人も多いんで」
「トラック運転手ってむつかしいなぁ……」
「あ! そうだ! 凪さん今のうちにお風呂に入られては?」
「へ!?」
 凪はビックリした。もしかして自分が胸の傷あとを気にしてお風呂を控えてるのをみんな知ってて気づかってくれてるのだろうか?
「話したくなった時に、話してくれればいいですから……私も、凪さんがお風呂に入ってる間くらいは、お仕事フォローします。困った時はお互いさまです!」
「……」
 静香はニコリと微笑んだ。なんだろう……人の生の優しさにふれたこと、あまりないから……ぬくもりを、感じるほどの。
「じゃあお言葉に甘えて!」
「はい!」 
「お先に行きます!」
 凪は、うんと頷いて微笑みながら張りのある声で答えた。それから明るい足取りで浴場に向かう。昨夜までとは全然違う。支えられているからだ。一人じゃ、ないから……
 凪は服を脱ぎながら、言いようのない感動を覚える。まだ夢を見ているようだ。今ある現実が信じられなくて、瞬きながら浴場へ入っていった。
「ふんふんふん〜♪」
 鼻歌を歌いながら体を洗い、ふと我路のことを考えた。
(そういえばここ男湯だから、我路も入るんだよね、当然……もし、私が我路と一緒に、お風呂に入ったら……(ノェノ)キャー! なんでこんなに胸がときめいてるんだろ! あーなんか急に顔が熱い! ダメだ、この感覚。ほんとになんか、ダメ!  冷静じゃなくなるっ……)
「みゃー!(/∀\*)」
 と叫びつつ、いそいそと湯船に浸かろうとした時!?
「!?」
 うそ……誰か来る? 脱衣所から物音が聞こえた。それから、

「あークソ、なんが伝票エラーやねん。それで午後の仕事が夜になっちゃかなんわー」
 我路!?!?!? 我路の声がする。
「他はトラックで過ごすみたいだけど……オレは一回寮に戻ってゆっくりさせてもらうぜー」
 我路は脱衣所でテキパキと服を脱ぐと、そのままガラガラー! と浴室の扉を開いた!
「!?」
 空気が硬直する。裸の男女が……同じ浴室で遭遇し、視線を合わせてしまった。
「へっ!?」
 我路は眼を丸くして驚き、凪は顔を真っ赤に赤らめた。
「なんで、凪が、ここにいんの?」
 眼の前の現実に理解が全く追いつかず呆然としているが……一瞬の間で冷静さを取り戻した二人が、
「あ! ごめん!」
「!?」
 我路は慌てて浴室を出ていき、凪は両手で頬を押さえて、指のあいだから赤くなった顔をのぞかせた。
「う、うそ……我路に……見られちゃった……」
 ぼッ! 顔が火照るのが分かる。凪は思わず周りをきょろきょろして、誰も来ないことを確認する。それでも恥ずかしさでうずくまって顔をおおった。
 えー! うそでしょ! 信じらんない! いや不可抗力だし事故って分かるけど恥ずかしいし、自分の馬鹿!! うわぁー……恥ずかしいよ…っうう、夢だったらよかったのに……
(私……)
 しばらくパニックになったがとたんに冷静になるとしおらしくなり、なんだかさみしい気持ちになった。自分でも今の気持ちがよく分からないのだが、何かがとても切なかった。

 その夜は仕事で帰りが遅くなり、凪は我路のいない寮で過ごすこととなった。ただ、
「……」
 眠れない。部屋はいつにも増して静かに感じられた。だからなのか余計に考え事が増えてしまう。自分の気持ち……それが何なのか……
「!?」
 玄関から物音がした。我路が帰ってきた!? 凪はとっさに頭によぎり、階段をかけ下りていく。
「「あ……」」
 声が重なった。やっぱり我路が帰ってきたんだ。
「た、ただいま」
「おつかれさまです。お帰りなさい」
「……」
「あ、よかったら、軽く、お夜食でも……」
「ああ、じゃあそうしようか」
 そう言ったあと、二人は本題に入る前にテーブルに向かい合って座り、簡単な夜食を食べた。夜食はトマトのサラダにムニエル、それに温かいごはんという簡単なものだ。
「……」
 我路が食べている間、気まずい時間が流れる。
(何か言わなきゃ)
 そう思っても何から話したらいいか分からなかった。何も思い浮かばない……
「あの、凪……」
 すると、我路から声をかけた。
「さっきはごめん……ほんとに、気づかなくて……」
「……」
 凪は無言で顔をそらす……
「大丈夫、わかってるから……それより聞いてほしい」
「なんだ?」
「私、素直に、我路になら見せてもいいって思ってた。胸の、傷」
「……」
「でも、我路だから、見せたくなかった」
「ああ」
「この胸の傷は消えなくて、それに、そんな綺麗なモノでもない。我路には……綺麗な私だけ、見てほしいから……」
「……」
 我路はしばらく考えて、自分の気持ちを見つめ直していた。わからないけどただ、
「でも、」
 我路は少し言いづらそうにしながらも
「かわいいなって、思ったよ」
「え?」
 言わなきゃって思いで、
「凪の裸、かわいいなって、思った」
「!?」
 恥ずかしそうにしながらも、ハッキリと言った。
「あ、じゃあごめん! また明日な!」
 我路は照れを隠すかのように、走って行ってしまった。

「……」
“凪の裸、かわいいなって、思った”
 
 ぼッ! 顔を真っ赤にしながら、ひとつ間を置く。
「……」
 ちょっと考える。そして
「アハッ、アハハハハ、アハハハハ」
 笑いが止まらなくなってしまった。不思議と清々しかった。

 翌日

「あら?」
 凪は大浴場の女湯にいた。
「凪さん。私たちと一緒に入るんですか?」
 静香の質問に、凪はコクリと頷く。表情は、不安気ながらもかすかに笑顔だった。

 脱衣所……凪はドキドキする。高鳴る心臓をおさえながら……服を脱いだ。
「静香……さん?」
「? どうしました、凪さん」
「聞かないんですか? その……私の、胸の、傷……」
「え? ああ……凪さんから話してくれるまでは、私の口からは言いません」
「そうですか……」
 凪はちょっと悩んだ。けど……
「あのね! 静香さん!」
 信じたかった、
「私……前に、レイプされて……それで胸に傷があるんです!!!!」
 我路を支える人たちを。
「!!」
 凪はギュっと眼をつむり、うつむいた。やっぱりちょっと怖かった。
「へー」
 静香は落ち着いた様子のまま。
「凪ちゃん。私が家出した理由知ってますか?」
「? いえ……」
「私ね、学校でイジメられて、オナニーしてる動画を無理やり撮らされて拡散されたんです」
「!?」
 とうとつな告白に、凪は眼を丸くする。

 その夜……ふとんの中で、凪と静香は会話していた。
「ほんとにもう終わったって思いました。居場所なんてどこにもないって」
「……」
「そんな時でした。私が我路さんのツイッターアカウント、『レイ・病み垢』に出逢ったのは」
「ああ……」
「この人なら大丈夫かなって思ったのもあるけど、とにかく誰かに助けてほしくて、フォローして、dmしたんです。するとほんとに親身に話を聞いてくれて……“私を連れ去ってください”って、お願いしたんです」
「うんうん」
「私は物心ついた頃から施設育ちでしたから、未練とかも全然なくて。あの時はほんとにこの人に、別の世界に連れていってほしかったんです。すると……我路さんは私をバイクで迎えに来てくれて、そのまま勢いで遠くの海に連れていってくれて、テントをはって二人で寝ました。」
「へー」
「あ、でも、一線は越えてませんよ 笑。ただ翌朝、宮さんから電話の嵐で 笑」
「あら、怖そう 笑」
「『無断欠勤かお前‼』
 ってなって
 『すんません! いま女と海来とって』
 『なんや不謹慎なやっちゃな』
 『いやね、オレに悩み相談してきたんで“逃げちゃおっか”って言ったら……ここまで来ちゃいまして……』
 『ほなら最後までいったれや、途中でやめたら女がかわいそうやろ。こっちは待ったるから』
 『あ、はい、ありがとうございます』
 『帰ってきたら覚えとけよ』
 でガチャン! ってことがあったらしいです 笑」
「やっぱり怖いね 笑」
「ねー笑。で、それからゆっくり寮に帰って、我路さん、宮さんと並さんに私のこと相談してくれて、で、すると宮さんが
 『まーでも、帰る場所選ぶんは本人の自由ですもんね』
 って並さんに言ってくれて、
 『お前はどっちに帰りたいん?』
 って私に聞いてきたんです。だから
 『ここにいたいです』
 『じゃあそうしたらええや』

 って言ってくれて、
 『そのかわり家事当番な』
 って並さんが言って、今に至るんです」
「なんかすごい話だね……静香さんもそうだけど、我路も、宮さんも、並さんも、みんな……」
「ええ、私は感謝してますし、尊敬してます」
 凪はちょっと嬉しい気持ちになった。
「なんだか、似てますね、私たち」
 ちょっと勇気を出して、ありのままの自分を打ち明けたら
「ええ、なんか気が合いそうですね」
 一人じゃないような気がして
「だね」
 嬉しかった。
「友達になろ? そろそろお互いタメで」
「あ、いいねー」
「私もつい敬語使っちゃうクセあるから、
 『だからナメられてイジメられるんだろ!』
 って、並さんに怒られました 笑」
 凪は思った。これが支え合う、ということであり、気持ちだけで生きる、ということなのだと。我路が言っていた……新時代。

「そういえば凪ちゃん、知ってるー? これは我路さんが言ってたんだけどー。

 『今のこの国の法律だと家出少女を預かると無条件に『未成年者誘拐』となってしまう。これはおかしい。

 家出少女たちが家出をするのは、『家出』というカタチの意思表現で、中にはほんとに深刻なSOSの時もある。そんな娘たちはどうなるのか? 家に帰すのか? それはまるで火災した家から逃げてきた少女を、また火災した家に戻すような行為だ。

 要は本人か幸せかどうかだ。だから、本人がそれで本当に幸せなら、家出も、家出先で生活することも認めるべきである。この国は、当人である未成年者、少女たちの話にもっと耳をかすべきである。まず本人がどうしたいかだ。

 家出少女を搾取するような変な人間や、場合によっては組織がいるし、その方が多いのは分かる。だが、それらの事例に法律を合わせて全員を無条件に犯罪者とするのは不条理すぎる。

 その根底にあるのは、『未成年者はどうせ正しい判断ができない、だから未成年者の話は聞くに値しない』という偏見と差別だ。』

 って、我路さんが言ってた」
「……」
 凪は思った。
「すごい……」
 自分も含めた家出少女のことを、
「我路って」
 ここまで深く考えてくれる人が何人いるだろうか? と、
「頭良いんだね」
「日本には弱者や変な人に合わせることで不条理になってしまってる法がいくつかあって、家出少女もそうなんだって」
「不条理……」
「家出少女の話だと分かりにくいけど、分かりやすいのは痴漢冤罪の話ならしい。痴漢って、女の人がひと言そう言ったら、もうほとんど男の人の話聞かないじゃん? 弱い立場の女子に法律を合わせ過ぎてるんだよ。だから冤罪が生まれやすい。家出少女の話もこれと同じだって。変な人や悪い例に法律を合わせ過ぎて不条理になっちゃってる」
「なるほど……すごいな、我路は。たとえが……」
「でも我路さん、優しいですよね、考え方が」
「……」
 凪は少し微笑んで、コクリと頷いた。
「我路さんの言う通り……私たち家出少女にも、選ぶ権利ぐらいはほしいですよね」
「うん……ほんとに……」
「私、たぶん、もうここ以外では、生きていけませんから。帰っても拡散された動画があるし」
「帰る場所がないから家出するんだよ」
 寂しい気持ちになった、それは真実だったと思う。
「そういえば凪ちゃん。私がここに来てすぐのレイ・病み垢、我路さんのツイート、知ってます?」
「? ううん」
「“家出少女なめんなよ”だって」
「!?」

 ……っぷ! ワハハハハ!!!! 二人そろって笑いが止まらなかった。家出少女の二人がそろって感じた気持ちは同じだ。

「「おもしろ!!」」

 だから思わず声が合った。気持ちも合ったし、心も合ったんだ。その時二人が感じたことは、おそろいだった。
「そろそろ寝よっか? 凪ちゃん」
「うん……ありがと、おやすみ」
 凪は思った。最初こそここでやっていけるか不安だったけど、ここでの暮らしは、悪くなさそうだなと。ここは学校でも会社でもない。「家」であり、一つの社会だ。それでもって、世間のどんな場所よりもいい場所だ。そう感じた。

 南米

 凍てつく月がアマゾンを照らす。風もなく、しんとした夜、白く凍った森林の奥に、巨大な石の神殿がある。ここは、人類を追い払うために創り出された巨大な迷宮だった。
 時は一瞬だったが、永遠に忘れられないほど永い沈黙が続いた。しんとした夜、闇に消えた森林の奥に、やがて凍てつく月が天に昇った頃。
「大丈夫だよ、ママ」
 バン!! カランカラン……その静寂は破られた。
「何も感じない」
 この森全体に響き渡る、ワルサーP38の銃声と、虚しく木霊する薬莢の音。それはまるで、何もかもが死んでいるような日曜日だった。
 ザ・ザ・ザ・ザ・ザ・ザ……軍靴の音が響く。白衣を身にまとった軍人のような人々が、遺跡の中へ入っていく。
「お迎えにあがりました。Wer Wolf三世。ハンスさま」

 !?

 彼等は見た。
「諸君」
 凍てつく月夜に照らされて
「計画を始めよう」
 まるで氷細工のように美しい顔、心を持たない横顔は、女の返り血を斜め下から浴び、真っ赤に紅く染まりながらニヤリと微笑んだ。
「千年王国の再生を」
 そんな彼の背に……ハーケンクロイツの旗がある。

“ジーク・ハイル‼”

つづく


この記事が参加している募集

恋愛小説が好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?