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小説「宇宙犬マチ」 最終話


十八 最終 マチ
僕には、おかあさんとおとうさんという家族ができた。おとうさんも、僕の存在をより大切に思ってくれいているみたい。しばらく、打ちひしがれて、落ち込んでいたおとうさんは、悲しみを胸に持ちつつ、なんとか体調を整えて動き出した。おかあさんの分まで……。
僕はその後も地球と人類の動向を調査し、その成果を宇宙司令に報告を続けた。研究は確実に良い方向に動いていた。世界中の人たちは、手を取り合ってウイルス対策に挑み、共存を図れる体制を構築し、つまらない諍いもなくなっていった。大きな進化はしなくなっていたが、生き続ける道を探った。
人間には、素晴らしい適応力があり、今度は自然との共存と環境を守るという方向に世界規模で向かうようになった。
僕が一番恐れていたのは、人が人らしくいられるか、ということであった。欲望を取り除くと、進化・進歩は止まることはわかっていたが、感動とか喜びといった<感情>も失われてしまうのではないだろうか?と。 しかし人類は立ち止まることはなく、楽しみを見つけ出していた。それは自然を研究し、様々な生き物と共存し楽しむことと、動物と過ごす愉しみ。そして旅に出ることや、美しいものを見て、音楽や芸術を楽しみ、美味しいものを食べる事。しかも、貧富の差や人種の違いは次第に意味を失ってきていた。新しい仲間や友人を見出し、その輪を広げること。芸術を中心に新しい創作を行うこと。時間をそれらに費やすことに喜びを感じるようになってきたみたい。
おとうさんは、自分が書いた文章や小説、写真を通じて、世界中の貧しい人々を救い、動物の保全にも動き出した。それはおかあさんの意志でもあったはず。
すっかり立ち直ったおとうさんの姿に安心し、人間の凄さを感じていた。
僕はおとうさんとできるだけ一緒にいて、旅もすることができた。少しでもアドバイスできるように、夜中に匿名のアドバイスもメールにいくつか送信した。
一時、僕たち宇宙犬が、地球の全ての運命を握っていると思っていた。しかし、大きな間違いだった。僕たちにも予想できなかった方向に人類は動き出した。もう大丈夫と思える。
 
調査を延長して、猶予の三年近くが経った。
僕はおとうさんとの信頼関係をさらに築き上げていた。
おとうさんは、どんなに忙しくても、僕を想って大切にしてくれた。そして最後の報告を宇宙司令に送るための準備の時が来た。
データは膨大だったが報告書は、一時間ほどでまとまり、仕上がった。現状、人同士の小競り合いはあるものの、戦争や紛争は一年近くもなく、兵器の開発・製造は新たに行われず、従来の兵器も解体が進んでいた。各国の軍隊は、国際的な救助隊となり、人々や生き物たちを助ける役割を担い、大きな戦争を起こすことはまったくないと断言できた。
こんなに早く変化を起こすなんて――。欲望の制御と共に、凶悪なウイルスの登場が急激な転換を起こしたんだろう。
もともと多くの人の心には、安定と平和という願いが宿っていたに違いない。だからこそ、真の姿を取り戻しただけのような気がする。ほんの一部の欲望にまみれた悪人の心が変わっただけで、こんなに変貌するとは……。
ひとつだけ問題なのは人口やそのほかの生き物たちの増加であった。戦争や紛争での死者がいなくなり、環境の変化により自然災害も減りつつあったからである。だが、それもいずれ解決することだろう。世界が一体となった善良な人たちの新しい英知と正常化した自然の摂理によって――
 
僕は研究をしてきたものの大量のデータを特殊な方法で折りたたんで添付して、最終報告書を形にした。
地球に残っている二人の仲間と力を合わせ、三人の宇宙犬が合意をした報告書案を最終決定できたのは、三年の期限の三日前だった。そして本日完成させた最終報告書を、あとは宇宙司令に向けて送信するだけだ。
その夜おとうさんはハードワークに疲れたのか、ソファーにもたれ掛かったまま、居眠りをしていた。顔をじっと見る。その皺が多く刻まれた顔の表情には優しさと充足感に満ちていた。“ああ、よかった”という喜びの感情が込み上げてきて、僕はソファーに上って、おとうさんと添い寝をした。幸せな夜だった。
なぜか眼から水滴が流れ出た。嬉しくても泣くことがあることを、その時初めて知って、さらに嬉しい気分なった。
翌日の夜、僕たちが行った地球改革によるレポートと調査・研究をまとめた最終報告書を宇宙司令に発信した。これで全ての任務が終わった。あとは宇宙評議会の決定と、今後の指示を待つだけだった。フランスと中国にいた仲間は使命を終え、先に宇宙に還っていった。宿犬の寿命がつきかけていたから急いだのだ。
そして、二日後に返答が来た。
もう地球は、宇宙にとって脅威ではなく、定期的に監視を続けるだけでよいとする。研究レポートは今後に役立つものと認められ、後に報奨が与えられる。という相変わらず素っ気ない回答があり、僕には戻ってくるようにとの指示が添えられていた。
僕は還りたくはなかった。地球には家族がいる。おとうさんだ。離れたくないし、地球見守っていきたいという気持ちもあった。そして、おとうさんの仲間ももう友達なんだ。
こんなことを真剣に考えるなんて、信じられない。でも僕にはすでに感情が芽生え、形成されていた。
もう少し、地球にとどまり調査・研究を行いたい。そして、もうしばらく常に監視は続けた方がよいと思うと宇宙司令に伺いを立てた。
もう数百年もの間、宇宙の様々な星に派遣され、流浪の旅を続けてきた。そろそろ終わりにしたいとも思うようになっていた。そんな時に地球に来て、優しい人たちに出会えた。これは人の言葉で“縁”と言うらしい。
指令からすぐに返信が来て、そこまで言うのであれば、成果を勘案し定期的にレポートを送るという約束で留まってもよいと。「ただし、そのまま宇宙犬でいると、宿犬が死んで、そのまま消えてしまうことになるが、それでもいいのか?」と伝えてきた。
僕は、それでいいと思った。愛するおとうさんの近くで、死ねるのであれば……。自然と幸せな感情が身体いっぱいに満ち満ちた。
地球で生を終える。これが僕の“定め”だったのかもしれない。
僕は宇宙犬から、今地球の犬『マチ』になれたんだよ!
 
Ⅻ 意志 ヒロキ
 平和になりつつある世界の片隅で、僕は何をすべきかを考え、執筆と共に様々な問題かかえ困っている人に役立てる活動を仲間とスタートした。それがリサの意志を継ぐことだと思えたのだ。
 凶悪なウイルスも終息し、その活動のため移動するときも、マチを同行することも多くなった。マチは相変わらずちょっと変わった犬だったが、たくさんの人に癒しを与える力があり、どこに行っても、おとなしくしていて、なぜかみんなが触れに来る存在なった。触れるだけで、心が和らぐいというのが、ほとんどの人の意見であり、僕たちの役に立ってくれた。ハッピーの時と同じように、リサの心も意志も取り込んでくれたように思えた。
 一緒に旅に出ると、あのリゾートホテルにみんなで行ったことを思い出す。あの幸せなひと時、一回だけチワワに唸ったことも、今となっては良い思い出となっていた。
 
 ウイルスを克服し、本物の平和な地球が訪れようとしていた。マチは前ほど活発に動かなくなり、さらに寝ていることが多くなっていった。歳のせいだろうが、今日も昼寝をしながら訳の分からない言葉をウニャウニャと喋っている。まるで誰かと交信しているかのように……。そういえば三年くらい前の激動の時にもこんな感じで疲れていたことがあった。あの時、夜中にリビングで何かを見た気がしたのを思い出した。それを契機として、殺人ウイルスの拡大と利己主義の消滅という人類の平和のための大きな転換期がやってきたのだ。まあ関連はあるとは思えないが、マチの行動と繋がりがあるような気配がしてならなかった。
 そしてある日マチが朝、起きることなく、そのまま寝続けていた。どんなに呼んでも摩っても起きない。僕は心配になり、出かける用事もなかったので、マチを見守り続けた。何度読んでも、耳を左右に動かすだけで、目を覚ますことはなかった。病院に連れて行こうとも思ったが、ある予感がして、そのまま見守り続けた。
 マチの表情は安らかなもので、時々口の回りや足をピクピクさせる。レム睡眠のノンレム睡眠がサイクルでやってきているのだろう。そのまま昼が過ぎ、外が暗くなり始めたころ、マチはいきなり目を覚まし、僕の目の前にちゃんとお座りして、“クゥーン、クゥーン”と喋り始めた。その合図は、“お腹が空いた。ごはんをおくれ!”というもの。すぐに慌ててパックとカリカリフードを用意して、食事台に置くと、一気に食べきって、今度は玄関の方に行き散歩をねだってきた。すっかり暗くなった外に出る。だいぶひんやりとしてきていたが、マチは外に出るなり駆け足でいつもの場所まで行き用を足した。元気な証拠だ。
ああ、いつものマチが戻ってきたと思え、嬉しくなった。空を見上げると、下弦の細い月と赤い火星が輝き、すぐ隣にはオリオン座が見えていた。ふと僕が足を止めると、マチも星が煌めく空を見上げていた。何か懐かしいものを見ているような、うるんだ瞳であった。
 次の日は、朝からいつものマチに戻っていた。リサを失くした僕にとって、ずっとマチは相棒であり、唯一の愛すべき家族である。その想いが日に日に深まっていった。
 
 いくつかの活動に目途が立ったころ、僕は自然に囲まれた山の中に引っ越すことにした。マチも歳を取り、動きが緩慢になってきて、都会生活に合わなくなってきていたのだ。
 そして、すっかり普通の老犬となったマチと共に山の中で暮らしている。今や世界の国々は一体化し、諍いはほぼなくなっていた。そんな中でも、今までのつけともいえる環境、気候変動、温暖化、差別、貧困という問題があぶり出されてきて、それらに関するアドバイスを、ネットワークを活用して行っている。緑に囲まれながら、どんなに平和な世界であっても、困っている人や動物、生き物や自然はまだ膨大に存在しているのだ。彼らにとって少しでも良い環境が得られるように、仲間と共に執筆活動やオンラインの講演を通じてアドバイスをしていく。これが僕にできることであり、リサの意志を継いでいることになる。そのためにもこの自然が溢れるこの環境は最適なのだ。
 隣にはマチがいる。なぜか彼がこの道筋を作ってくれた気がしてならない。愛する地球に対して微力ながらも、誠意をもって力を尽くす。これこそこの山の中にいる二人の大きな使命なのだ。「そうだよな、マチ!」といつものように彼の頭に手を置く。“クゥーン”と同意してくれた―――。
 
十八 幸せ マチとヒロキ
僕は宇宙犬、マチ。
僕が宇宙の果てから地球に来て、かなりの年月が経った。
今は大好きなおとうさんと、自然がいっぱいの山の中で生活している。
時々地球の調査・研究レポートと現状報告を、宇宙に送っているけど、あとは普通の犬として暮らしていている。レポートの送信も、そろそろ最後に近い。もう地球には仲間はいない。
三年の猶予が与えられ、地球が“悪”ではないと判断されてすぐに、一緒に調査をしていた残りの全ての仲間は宇宙に還った。
僕は、どうすべきだろうと考えたが、もう少し地球のリサーチを行いたいと願い出た。どうせ家族はいないし、宇宙に戻れば、すぐに他の星に向かうことになるだけだ。地球には、ヒロおとうさんという愛すべき家族がいる。
指令からは、そのままだと犬の寿命が来たら死ぬこととなる、ということを伝えられた。
それでいいと思った。実はあまりにマチに宿っていたために、離れることが難しい状態になってしまっていた。こんな事例は聞いたことがない。
でも、今おとうさんと暮らしていてとても幸せだ。時々、優しいリサおかあさんのことを二人で思い出している。今日も、縁側で満月を見上げると、あの楽しかった日々が蘇ってくる。急におとうさんが、僕の頭に手をやって「マチ、ありがとう。幸せだったかい?」とポツリと言った。
幸せという感情、喜びという感情、悲しいという想い。これらを地球で得ることができたんだ。僕たち宇宙生物がずっと失っていたもの。
もちろん、感情の発生メカニズムデータも宇宙に送り届けてある。きっと宇宙の今後に役立ってくれるはずだ。
僕はもうすぐ犬として十七歳になる。もう長くは生きていられないだろう。充分長く生きてきた。愛する家族と素晴らしい自然に囲まれて、最後を迎えられるなんて、なんて幸せなこと! そしてもうひとつ大きな喜びがあるんだ。
“地球はまだある”ということ……。
ああ僕はこれで、よかったんだよね?
               <了> 
 
*16年間傍にいてくれた愛犬マチに捧ぐ……

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