見出し画像

お金持ちより幸せなひと

突然ですがわたしは、ADHDの診断が出る高校2年生くらいまで酷く性格の悪い人間でした。無自覚に友達に甘えていて、問題が起きれば他人のせい。実力もないのにプライドばかり高く、他の人を見下そうとして悪く言う。自己中心的で性格のきつい、絶対に友達になりたくないタイプです。

今のわたしはその頃の反省で18歳から現在までの約6年間、必死で自分を変えようと努力してできたわたしです。問題が起きたら常に自分のせいだと思うのは、最初のころは苦しく感じました。だってあいつが、でもこんなことがあったから、と自分以外のせいにしていたからです。今までラクをしていたんだなと思いました。

他責思考だった頃は負けること・損することが許せなかったので、無自覚に人に勝つことばかり考え、自分さえ良ければいいと考えていました。
確かに、目先のことだけで言えばもちろんそのとき得したほうがいいのですが、長期間の目で見るともっと大事なもの、価値の高いものを失っていることに気付けていなかったのです。これをどんな言葉にすればいいのか分からなかったのですが、偶然大学のとある授業で名前を知ることになります。それはこんな内容でした。

資産には有形資産と無形資産がある。
有形はお金や家・土地などの不動産、車、宝飾品
無形は信頼関係や友人や知識・センス、留学や旅行などの体験が該当する。

人生の幸福度が高いのは圧倒的に後者:無形資産を持っている人ではないでしょうか?
有形資産が山ほどあるお金持ちの人は沢山見てきました。ただ、いつもピリピリしていたり意地悪なことを言ったりして、まとうオーラがひとを寄せ付けなかったりするようなひとも多くいました。キャバクラに来た、大企業のいい役職に就いている方、お付き合いをしていた社長さんたちはお金を持っていてもストレスで散財していたり、節税のために使い道を考えあぐねていて、なんだか幸せとは思えない様子でした。大きな家があって高級車があって、社会的な立場もあって。
何不自由ないはずなのに孤独なのです。奥さんや子供に見放され居場所がない人たちの溜まり場が夜の世界なのではないかな、と思います。
きっとどんなお金持ちでも、寂しさや虚しさには勝てません。

一方で、お金が無くとも地元のコミュニティがあり、いつでも帰れる仲良しの家族と豊かな自然に恵まれた沖縄出身の友人はいつも幸せそうでした。旅行や人との食事、好きなジャンルの本を買うことにお金を使い、なんくるないさぁ〜とにこにこ笑っています。今思えば彼女は無形資産持ちで常にそれを増やし続けていて、お金の使い方がとても上手だったのです。

他人のせいにして上に立つのは簡単です。でも、その行為のせいでそれを見ていた周りの人からの信頼や人間関係がごっそり失われることになります。これは将来的に考えると大損ですよね。

ブランド物や新しい物、流行のファッションを追うのは楽しいですし、そのときは一時的に満たされます。でも、あまりに度が過ぎれば物に支配されて空っぽな人生になってしまうかもしれません。これも大損です。

お金持ちを目指す必要はないとわたしは思っています。お金は最低限確保して、その代わりに、友人持ち、センス持ち、知識持ち、体験持ちになりましょう。それは有形資産と違い、何年経っても価値が下がらず、むしろ年を経るごとにさらに価値は高まり続けます。無形資産を持っているだけで、より人生を豊かにしてくれる手助けをしてくれるのです。

人は意識と行動ができれば変われます。わたしみたいに、優しくいたいと強く思っていれば優しくなっていくものです。ひとは生まれついた性質で全ては決まらない、とわたしは思っています。それよりも何を選ぶかという意思や行動のほうがよっぽど大事です。

自分なんてもうどうしようもないやつだからと思っていても、まずは騙されたと思って無形資産持ちを目指してみてください。人生を捨てては駄目です。人生からも自分が捨てられてしまいます。時間はかかりますが、人生がちょっとずつ楽しくなっていくはずです。

わたしも嫌なやつだった頃に比べてはるかに楽しく過ごせています。自分にも他人にもユルくなると、生きづらさも少なくなってきました。何より、自分が優しくなると同じくらいの優しいひとが友達として、恋人として集まってくる気がします。今では友人に、いい子、優しい、いつもありがとうとお互い言い合ってます。友達みんなADHDも毒親育ちも受け入れてくれるいい子ばかりです☺️

自責=自分にも落ち度があった前提で物事を考えると、お金やモノ、目の前の損得にとらわれないようにすることが幸せになる近道だったなぁ、と今になって思うのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?