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全て消えて無くなれば良いのにと思う事ありませんか

 伸び放題の枝に白く枯れた葉をまとい、それでいて時期になれば、たわわに実をつける柚子の木が私を見降ろす。
何十年も前に住人を失い、放置され続けて年に数回、他人様に手入れを委託しているが、此処で生を受けた筈の私を、拒絶するかのような陰鬱な場所である。

遺産が欲しくて兄弟喧嘩って聞いたことあるけど、欲しくなくて擦り合い。

みんなそれぞれに住居も生活圏も確保していて、その上に余計なお荷物は背負いたく無いのが現実。

しかし此処は確実に自分達が生を受けた場所。
日々の暮らしに忙殺されて、記憶の隅に追いやられた、いや敢えて閉じ込めている場所。無かったことにしたい場所。

自分自身の子供の頃の楽しい記憶は数えるほどもない。
娯楽もテレビ、ラジオ、読書ぐらいしかなく、敢えて学区外を選び通学していた私には、近所の友人は少なく、遠方から招待するには忍びなく1人で過ごす事が多かった。
自転車通学で崖下に転落したり、楽しみにしていた花火大会に、1人で出掛けようとして転んで大怪我したことも。
屋外はもとより、部屋の中で百足などの害虫を発見して悲鳴をあげた事もある。
不思議と嫌な事ばかり思い出される。

生まれて来れた事に感謝。
今生かされていることに感謝。
今の自分は皆のおかげさまで出来ている。
平穏は分かち合わなければ。
きれいごとを並べてみても、要らないものは要らない!

若くして夫に先立たれ、花の独身を謳歌していた母が米寿を待たずして天上の雲と消えたのは20年ほど前。その母が美味しい作物や花を植えて楽しんでいた畑が何枚かある。その全てに樹々や雑草が覆い茂り、背後からは竹林が迫っている。
母の眠る墓地へと向かう山道は、枯れ葉が降り積もり、訪れる度に箒を持参しなければ進めない。

以前は自分達で除草や竹林の伐採、整地などして、かろうじて出生地を守っていたが、私を含めて兄弟達みな高齢となり、遠方過ぎて墓参りすらままならない。それでも、荒れ放題にして置くのも忍びないので、外部に定期的に手入れを委託している。勿論費用は折半で。

想いは続く


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