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小児科医として初めて先輩女性医師に認められた話

■あまりにも遠いところにいる先輩


医学生から研修医となり、医学生でもなければ医師でもない状態になった時、私は毎日自分の未熟さを痛感していました。当時の私は小児科医として輝いている先輩に憧れて、老年病科から小児科医局に移ったばかり。小児科医となったものの、やっていることは検査結果の伝票貼りや先輩に言われた通りの口頭指示を指示簿に記載、明日の患者さんの点滴オーダー、処置室での採血、点滴などなど。

言われたことを言われた通りにするだけなら、誰でもできると思い、自分なりの意志を入れてみたこともあります。ですが、自分の意志を入れると必ず先輩に言われるのが、「ほんとダメねー」の言葉。

研修医の仲間といると自分を出せるものの、先輩といると息苦しさを感じて、自分を出すどころか自分がわからなくなるような感覚にまでなっていました。

何時になったら、先輩みたいになれるんだろ?
このまま差は縮まらないんじゃないか?

そんな不安な気持ちを、私はずっと抱えていたのです。

■自信を無くしていた時の出来事


研修医として新しい経験を積めて、自分の成長が感じられて楽しい反面、失敗ばかり、いや失敗しかない毎日。教授、助教授、講師そして先輩たちに怒鳴られ諭され、とくに私の所属した小児科医局は、小児科医の過労死などが話題となり、意識が高い小児科医だけしかいませんでした。

だから自分の意志を出せなかったとしても、仕事があればよかった。仕事をしていることで、ギリギリの状態であっても自分を保つことができたからです。仕事がないときなどは、自分だけサボっていると思われるのではないか?と不安に駆られるため、朝早く仕事に出て採血をしたりして、つねに仕事を探していました。
ですが正直言って、先輩たちなら簡単にできる仕事なんだよな。という気持ちもあるので、仕事をしていても自分の存在意義を考えている意識がつねにありました。

研修医1年目の夏。関連病院の先生がお休みするから、代診医を出せないか?と小児科医局に依頼がありました。医局会でみんながそんな話し合いをしているとき、私は自分には関係ないことだから、少しの合間でもこの後の自分の仕事を段取り良く仕上げるために、○○号室に行って、その後、電子カルテを…とこそこそメモをしていました。私は老年病科から小児科医へと移籍して間もないし、まだまだだから代診医の候補にもなるわけがありません。だから関係ないと思っていました。

ところが私のそんな動きを見て、「ちょっと!先生も話に加わらないとダメだよ!」と直属の上司に怒られました。怒られたものの、内心では「だって私は関係ないし、だから自分の仕事をしていたのに」と思い、不平たらたら。もちろんそんなこと、言葉にも態度にも出せません。言葉と態度で謝りました。

すると…。
「私は先生が代診に行くのがいいと思います」
と、上司が急に私を代診候補に挙げたのです。その言葉に戸惑ったのは、私だけではありません。
「まだ早いんじゃないの?」
そんな声があからさまに聞こえました。
「そりゃあそうだよ。まだ小児科研修医になって3ヶ月だよ」私は、そう心の中で呟きました。そうじゃないと、面と向かってまだまだだよと言われたら心が折れそうだからです。

■認めてもらえることの喜び


しかし上司は、私が一般的な処置はできること、メモをとったり毎日頑張っていること、失敗も経験になるから…私が責任持ちますからと、切々と教授を始めとした医局員みんなに私のことを話したのです。すると、周りの私に対する反応も変わっていきました。

「確かに君のおかげでみんな助かっているからね」

私は同期の中でも異例の早さでバイト医として仕事をすることになりました。私が認めてもらえた。ふだんダメ出しばかりの上司に言われたことが嬉しかった。

バイト医として仕事をした時は、後発医薬品ばかりで薬品名がわからずパニックになったり、診断がわからず隠れて診察室のとなりで医学書読んだり、医局に電話して教えを請うなど散々でしたが。

研修医同士で、そんな熱い話をしました。認められた、任されたのが、私はよっぽど嬉しかったのでしょう。当時の彼女で今の奥さんには、何度も何度もその話と上司の話をしたもんだから、「上司に惚れたんじゃないの?」と怪しまれたりしたのも含めて、一番嬉しかった話しです。

直属の上司である女性の先輩に、いつもけちょんけちょんに怒られていたのですが、「君がしっかりと仕事しているから私たちは仕事に専念できる」とも言われたことは今でも忘れられません。この思いがあるから私は今も頑張れるのです。

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