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【医師コラム】「正解ばかりを選べる人生なんてないよ」

■私にしかわからない私の内情


「正解ばかりを選べる人生なんてないよ」

たとえそれを誰かに言われたとしても、それを受け入れる余裕などなければ結局意味はありません。どん底にいるときは、周りが見えておらず、ただ一人で辛い現実を抱えている状態です。そこから抜け出すには、何も言わずに寄り添ってくれる人がいるか、音楽や本など分かりあえるものと自分が出会うしかないのかもしれません。

私にとっての医師人生のどん底は、私が研修医を終えて、小児神経科医として医師人生のスタートを切った3年目のことです。
2年間の研修医生活を終える頃、私は小児神経学の勉強がしたくなりました。このまま小児科医としての経験を積んで、小児科専門医を取得し、それから小児神経科医を目指す。それが無難であり正しい道であったのだろうと、今から考えればわかります。

しかし私は1型糖尿病という持病があり、いつまで医師として生きていけるのか?このまま、やりたいことができない医師人生で終わるのではなかろうか?という考えもあり、大学医局をケンカ同然に飛び出しました。

いばらの道を自ら選んだとはいえ、予想していたよりもその道は厳しかったのです。

■潰されそうになる心を守ること
小児神経科医としての勉強、小児神経科医として患者さんや家族から寄せられる期待、それなのに研修生活では薄給。完全に押し潰されてしまいました。わがままを言って始めた研修生活を続けることはできずに、途中でやめることしかできませんでした。

その年に結婚した妻に弱みは見せられません。ましてや、妻はそのころ妊娠していました。金沢から東京へと出てきた私に相談できる仲間もいません。できることは市中病院での仕事と小児神経学の論文や本を読むことぐらいでした。自分はできることはやっている。誰かに否定されたら折れそうな心を、自分はやれることはやっているんだという気持ちだけで乗り切っていました。

小児神経科研修を途中で投げ出し、すっかり自信を無くしていた私に、市中病院小児科で2年間勤務していたある大学教授が声をかけてくれました。

「君は若いのになかなか勉強しているね。どうだい、うちの小児科医局に来ないか?」
飛び上るほど嬉しかったです。
しかし、やっていける自信のなかった私は1週間悩みましたが、丁重に電話でお断りさせていただきました。ところが教授は、「電話で断るのは失礼だよ。一度私のところにきなさい」と言われ、私は1週間後に教授のもとを訪ねたのです。

■今の私は出会いによって形成されている
教授と1時間ぐらい話しました。
これまでの私の医師人生を話しました。このまま否定されればもういいやと思っていました。しかし、教授は私の話を聞き、ゆっくりと言いました。

「正解ばかりを選べる人生なんてないよ」

私はその瞬間に心を取り戻した気分でした。その言葉に救われたのです。信頼のできる教授と出会い、そこから私はどん底から抜け出しました。

もちろん今から考えても、そんなに簡単なことではありません。教授も市中病院から大学教授となられた方です。私のことを褒めることや叱ることで、しっかりとみていただき、あのとき入局の誘いを謹んで受けたことが正解でした。

小児科医局の先生方、児童精神科研修出会った先生、患者さんやその家族。
いろいろな人々と出会い、私は常に変わっています。
そして昨日までの努力が、今の私の自信となって医師人生を歩んでいます。

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