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食い尽くし系が気になりすぎて〜精神科医が考察してみた

こんにちは、精神科医のはぐりんです。
※この投稿は3分で読めます。最後までご覧いただけたら嬉しいです。

最近また「食い尽くし系」という言葉がSNSでよく聞かれるようになりました。何だかワードチョイスが絶妙で、リアルな様子をよく表していて頭から離れなくなってしまったので、せっかくなので色々と考察してみました。

どういう人たちのことを言うかと言うと、中華料理などを取り分けて食べる際に人数分以上に度を超えて食べてしまったり、あるいは子供の分まで食べてしまったり、職場のお土産のお菓子などもたくさん食べてしまうタイプの人たちのことを言うみたいです。

(広義には冷蔵庫の中にあるものや家中の食べ物を片っ端から食べるパターンも含めるようなのですが、今回は主に会食の場で)

少なからずどこかで聞くような話しだし、正直私も先日ギョウザを多めに食べて妻に注意された口です。ただこれが度を越すと、特に妻→夫への恨みが強くなり、それが最近爆発してみんな一斉に「うちもうちも」となって、SNS上で主に夫に対してかなりの不満が湧いています

こういった食い尽くし系の方たちを無理やり精神科の診断に当てはめるとしたらなんだろう?と随分と考えてみたのですが、ASD(発達障害)+NPD(自己愛性パーソナリティ障害)の「傾向」(グレーゾーンも含む)がある人たちかと思います。

ASDの傾向がある方たちは、食事の際に、その場の雰囲気とか会話というよりは、どちらかというと食べる事を重視しているためパッと食べてしまうのでしょう(食事は文字通り食べる事字義どおりの解釈)。

また、中途半端に残っているのが気になってしまいついキレイに平らげたくなってしまう、というのもあるでしょう(こだわりや感覚過敏、特性のある子供がきっちりと車のオモチャを並べるのと同じ)。

それと、一緒に食事を共にしている人も食べたがっている、お互い最後の一個を牽制し合う、というのが理解できず、ただただ残っているから食べてしまうのかもしれません(共感性の欠如)。

NPD傾向の方たちは、もうなんていうんでしょうか、「当然自分が食べるもの」というのが、口では否定していたとしても無意識下に刷り込まれているのでしょう。

NPDは性格の問題ですから、性格は先天的な気質と後天的な環境要因が合わさって形成されたものです。家庭の場では夫である自分が食べる権利があると潜在的には思っていて、またそういう環境で育ってきていて、逆に上司との会席などではちゃんと食い尽くさずに残しているのかもしれません。

実際に私の職場にいる食い尽くし系の医師は、やはり普段からASDとNPDの特性を併せ持っています。ついでに言うと、職場の公共の場に飲みかけのペットボトルを置いていく系、でもあります。誰かが片付けてくれる(べき)と思っているのでしょう。

あ、もう一つ思い出しました。これは私のことなのですが、よく子供の残り物を食べようとすると、子供から身を挺して取られまいと威嚇されます。食べ物の恨みは恐ろしいとはよく言ったもので、人間の最も生理的な欲求の一つですから(マズローの欲求5段階)、生理的なレベルで嫌がる子供の反応が食い尽くし系への世間の反応をよく表しているのかもしれません。

今回は食い尽くし系について、あくまで仮説というか、こういう傾向の方たちなのかなと勝手に解釈してみました。もしかしたらただ単に卑しいだけかもしれませんし、それこそフロイトやユングの無意識領域の話しかもしれません。

私も含めた食い尽くし系の方々、この機会に手や箸を伸ばすのをグッと堪えてみましょう。その分食卓の場で何か違ったものが見えたり聞こえたり、新しい発見があるかもしれません。

※現代ビジネス(講談社)に食い尽くし系について執筆させていただきました。良よしければご覧ください。

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