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ゴダールで私の映画観が開いた気がするという話

 この文章は私がゴダールに出会うまでの流れを私的にまとめるつもりで書いた。

 私は今大学3年である。高校から大学3年までの私の今までの略歴を端的に言えば、高校生活は通学と部活に1日のほとんどを費やして1人の時間などほとんどなく、1人の時間にしたことといえば通学中にチャリンコ漕ぎながら少しばかり音楽を聴いてるくらい。大学受験に受かり地元の大学に進学してからはコロナ禍が重なったのもあり指数関数的に急激に1人の時間が増えた。私は気の赴くがままに一日中色んなコンテンツを吸収している大学生活となった。大学3年になった頃には世間的にコロナ明けで以前の大学の騒がしい雰囲気に戻ったらしいのだが、コロナ禍に家で内省する時間に興奮を覚えた私は、外に出戻りした世間と裏腹に家で1人で内省する時間を大学3年になっても継続させた。私のこれまでの大学生活3年を端的にまとめると、「とりあえず家で大量のインプットをした」である。

大学生活で何をインプットしたか、というとまず最初にしたのはこれまで何となくしてみたかった読書である。高2の時に唯一読んだ村上春樹の「ノルウェイの森」が良かったな〜と思い出したので同じ作者の「1q84」を大学1年の時に読み始める。これが長編だったから1ヶ月くらいかかった気がする。

この時期は芸人ラジオに激ハマりしていて、一日中ずっとラジオを聴いて寝る、というある種狂った状態だった。本読んで疲れてラジオ聴いてまた本読んでラジオ聴いて、みたいな。この頃印象残った本は人間失格や芥川のこころ、友達から借りた岡本太郎の本は特に衝撃受けて多分10回くらい読んだ。
この頃に結局世の中で傑作とされてるものって良いんだなと思い、これからあらゆるコンテンツの傑作と呼ばれるものに触れよう、と決意した。

そんな感じで大学1年時はラジオと読書を主にしていた。2年生になってからは音楽にドップリハマり、Beatles、ビーチボーイズ、ピンク・フロイド、はっぴいえんど、など世間で名盤と言われているアーティストたちのアルバムを手当たり次第聴いていた。大学2年の中盤にギターを買ったが、ちまちま弾いてるだけで聴く時間が8,9割と音楽もインプットが主。

読書と音楽鑑賞を続けながら少し時間飛び、3年生の夏休みにこれまであまり観ていなかった映画を観ようと思い立つ。夏休みは毎日映画1本観ようと思い、最初は名作映画リストみたいなやつを上から順にみてた。確かカラー映画とモノクロ映画を交互に観るみたいなことしていた。

この頃観て印象残ったのはインターステラー、キューブリック作品、ブレードランナー、パルプフィクションあたり。これらの作品で映画おもれーとなってこれまでの趣味であった読書、音楽に映画が横並びで追加される。 

そんな感じで夏休みが終わった後も映画を気が向いたら程度に観てて、ようやく大学3年時の12月に、初ゴダール映画「気狂いピエロ」に出会う。ゴダール作品に初めて触れた自分の感想としては、「なんだこれは!」と岡本太郎ばりに心の内で叫んだ。そこから「勝手にしやがれ」、「軽蔑」とゴダール3大映画を観て、また感動。
ゴダール映画独特のテンポ、色彩、引用された詩台詞に引き込まれた。

ここで自分の映画観が開いた。これが映画なのか!と。映画とは何たるかをゴダールから学んだ。約200本の映画を経て、ようやくゴダールに辿り着いた。そこから一時期手当たり次第に毎日ゴダールの作品を貪るように観ては自分の美的感覚たるものを研ぎ澄ましたような気になってた。

夏休みにみた昔の映画(特にモノクロ)は退屈だった。私は70年以前に作られた映画は楽しめるものではない、と思っていた。70年以前はおろか、モノクロ映画は昔の技術で作られたもので、「これは現代の私が楽しめるものではない。これは勉強として我慢として観るものだ」と思いながら観ていた。私はモノクロ映画を軽視していたわけではなく、現代の映画の下敷きになっているからこそ、今見ると新鮮さがないものだと思っていた。

でもゴダールの気狂いピエロは65年、軽蔑は63年、勝手にしやがれは60年に作られた映画である。私はこれらの作品から時代を超えた感動に打ちひしがれた。

なんだ、時代関係ねぇじゃんと思った。ゴダール映画は観ていて時間を経て風化した感覚が全くない。ゴダール作品は画面の向こうから何かが自分の内的に訴えかけてくるような感覚。「気狂いピエロ」、「軽蔑」の映像の色彩には衝撃を受けた。新鮮度120%。この2作はカラー映画だから、まあまあカラーだから、と思っていたが、「勝手にしやがれ」はモノクロ映画であるにも関わらず、白黒であることを気にせずに新鮮度MAXに観られた。モノクロの映像の中に自分が入りこまれたような感覚で観られた。私は「勝手にしやがれ」の狂気性を孕んだ主人公の男に興奮していた。

今現在としては、時代に関わらず、オモロいものはオモロい、真の芸術作品は風化しない、という結論である。むしろ今は昔の映画の方が好みである。

今は最近の映画(ハリウッド等)の商業的な部分に嫌気を感じてあまり観る気分になれない(アリアスター作品など良いと思える作品も存在するが)。この感覚もゴダール作品以降にハッキリと芽生えた感覚である。映画観が開いた所以である。

ここ最近はヒッチコック作品を10作観たが、ヒッチコック作品はカラー、モノクロ問わず最高である。これもゴダールを経て映画観が開いたからこそヒッチコックの美的、ユーモアな本質の要素を作品から吸収できている気がする。ヒッチコックはゴダールより一世代前の監督だが、時代の風化を全く感じない。

まだまだ埋もれた世界各国の不朽の名作があると思うと興奮する。もっと映画が観たい。だし、映画を作りたい。

私は生涯にわずか200本の映画しか観たことがない。私が観ていない多くの不朽の名作が埋もれていることを思うと、胸が高鳴る。まだまだ知られざる世界各国の美しい映画がある。
そして、いつしか私も映画を作りたいとも思う。

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