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せめて返事くらいして

機嫌が悪いと返事をしなくなる人がいます。

何があったのか知らないけど、周囲には不機嫌の原因に関係無い人もいるし、百歩譲って原因が周りの人間にあるなら「返事をしない」なんていう幼稚な表現方法ではなく、きちんと説明すればいいだけの話。

どれだけ仕事が忙しくても返事すら出来ないということはないでしょう。
覚醒時に本当に返事が出来なくなるのは、激痛に耐えてるとき、くらいだと思われます。

多分、「許されてきた」人なのだろうな、という想像をしています。

例えば中高生だった頃、第二次性徴かホルモンバランスの乱れか何かでイライラしたとき、必要以上に無口になったり返事をしなかったりしても、恐らく大したお咎めが無かったのだろうなと。
周りが気遣っていたわってくれるのが当たり前だったんだろうなと。

今のご時世について「息苦しくなった」と言っている人たちもそうなんじゃないかなと思います。

昔はコンプライアンスも緩かったし、何を言っても許された、文句も言われなかったのに、今は発言に気を遣わないといけなくなって面倒だと。

わたしは前の世で明らかなセクハラやパワハラを受けても

「そんなことで傷付いてたら身が持たないよ」
「あの人はああいう人だからしょうがないよ」

などと言われて我慢する他なかった記憶があるので、おかしいことはおかしいと言える、はっきりと口に出来ないまでも沈黙や表情によって静かな抗議が行えるようになった今の世のほうが、息がしやすい。

だってこちとら子どもの頃から、発言にも言動にも気を遣ってきましたからね。
気を付ける以外に道がありませんでしたからね。

他者と仕事や生活をしているのに、生まれながらに強者の側に属しているってだけの理由で、周囲にまったく気を遣わないでいられた世の中の方が間違っていたのではないでしょうか。


今やハラスメントクライシスが起きていて、ざっと検索するだけでも100個くらいあります。

「何でもかんでもハラスメントだ!と言う」というハラスメントを「ハラスメント・ハラスメント」略してハラ・ハラ。
なんて言われると面白くなってきちゃう部分もありますが、逆に考えるとこれだけの数、これまで「嫌だ」と思っていても言えなかった嫌がらせの種類があったんだなと驚愕します。

男は男らしく、バリバリ稼いで妻子を養い、
女は女らしく、夫を支え子を育て家を守る…

みたいな画一化された価値観に身を委ねていた時代は、その「正解」に当てはまる人たちにとっては至極生きやすい世の中だったのでしょう。
でも、そうじゃない人たちから見たら今より更に生き地獄だったと思います。

弱者にやさしい社会は、強者も強者たらんとする必要が無いのでみんな生きやすい社会。

不機嫌なときも返事はする、くらいの不自由は乗り越えていただきたいものです。

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