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ヴェネツィアとイタリアの歴史観(2/3)

前回からの続きです。

ヴェネツィア以外の国、例えばフィレンツェなどはどうでしょうか。
共和国と言っても実際は、メディチ家の独裁体制だった300年ほどの歴史は、その内外に大きく知れ渡っています。
グエルフ(教皇派)とギベリン(皇帝派)の争いはあったにせよ、全体的にはローマ教会との深いつながりは否めないこと。ルネサンス(芸術などの新しい表現や人文主義などの文化革新)の保護者のイメージが定着していること。現代イタリア語の基礎が、トスカーナ方言をもとに構築されていること、などの理由が、フィレンツェの歴史を「拡大解釈」させている、と言えると思います。
次に、「ヨーロッパの歴史」という大きな枠組みで、大まかにどういう視点から歴史が語られているかというと、フランスからの視点ということになるでしょう。
それは、18世紀の終わりに起きたフランス革命に起因していると思われます。それまでの封建社会を廃棄した市民革命は、フランスのみならずヨーロッパを近代へと導いた出来事として、位置づけられているからです。実際、フランス革命がヨーロッパに放出した、「自由」や「平等」といった概念の多大な影響に疑問の余地はありません。
『ヨーロッパの歴史-欧州共通教科書』(総合編集フレデリック・ドルーシュ 東京書籍)という本があります。
1993年のEU(ヨーロッパ連合)発動に伴い、(ある程度の)歴史観を共有する、という目的で、12人の国籍の異なるヨーロッパの歴史家たちによって編纂されたものです。
長い間、覇権をかけて争いを繰り返して来たこのヨーロッパ大陸で、共通教科書という概念を持つ書籍が、実際に生み出されたことは、画期的なことだといえます。
EUの目的は主に、大国アメリカ、日本、そして中国などとの経済戦争に負けないために一枚岩で戦うための経済戦略ですが、実行、維持には多大な費用と、地域主義、愛国主義を超えた人間の知性が要求される大事業で、今まさにイギリスのEU離脱問題など、各国の利害が絡み合い、岐路に立とうとしています。
この本の中で、ヴェネツィアがどういう風に語られているか。例えば「第四回十字軍」についてはどうでしょうか。
「1202-1204年、ヴェネツィア商人に煽動された第四回十字軍、コンスタンティノープルを奪取」
「第四回十字軍、ヴェネツィア人は、封建小領主のような野心を持って、コンスタンティノープルに進路を曲げ、ビザンツ帝国の商業戦略拠点を奪い取った」
と、定義されています。フランス語もしくは英語の原文を、忠実に日本語に翻訳された文だと思います。
この本の十字軍の記述は、それまでにあった「聖地奪回という、十字軍の純粋な聖なる目的」には、多少疑問を呈しているけれども、「金儲けしか頭にない狡猾なヴェネツィア商人にだまされた」という責任転嫁の被害者意識からは抜け出ていません。
出来るだけ客観的な描写をと配慮されている、この欧州共通教科書でさえ、こういう表現なのですから、ヨーロッパでも日本でも上記の内容が「常識」となっています。
「常識」というのは、しばしば権威によって作られるものです。例えばテレビというのは、現代の大きな権威の一つで、「テレビで言っていた事」「テレビに出ていた人」は、それだけで説得力を持つものです。たとえそれが事実の中に、無知によるデマや、感情による偏りが散りばめられていても、です。

続きます。


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