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ヴェネツィア商人、聖マルコの遺骸を盗む

810年にフランク王国の大軍を追い払うのに成功したヴェネツィアは、ビザンティン帝国(東ローマ帝国)の勢力圏内で成長してゆきます。

828年、二人のヴェネツィア商人が、エジプトのアレキサンドリアにある寺院から、福音史家(evangelista=エヴァンジェリスタ)の一人、聖マルコ(サンマルコ)の遺骸を盗み出し、ヴェネツィアに持ち帰ります。

Emmanuel Tzanes 1657 San Marco Evangelista

それまでのヴェネツィアの守護聖人である、聖テオドーロよりも、聖人としての「格」がずっと上である聖マルコの遺骸を手に入れることは、国としての「箔」(はく)をつけるのに大きな意味があったのです。

ビザンティン帝国領内での交易権を活かし、豊かになりつつあったヴェネツィアでしたが、帝国の「属国」的な立場から脱却して、完全な独立国となることは、ヴェネツィア市民の悲願だったからです。

この二人の商人は、盗んだ聖マルコの遺骸をエジプトからこっそり持ち出す時、税関の検閲で詳しく調べられないように、イスラム教徒の嫌いな豚肉の下に隠して運んだといいます。
かくしてこのお宝とともに、二人の商人は英雄として、ヴェネツィア市民の熱狂的な歓迎を受けました。なぜならこれで、誰の支配下でもない独立国のための準備が整ったからです。
四人の福音史家(新約聖書の中の四文書の作者)聖マルコ、聖マタイ、聖ヨハネ、聖ルカにはそれぞれシンボルがあり、聖マルコ(サンマルコ)のシンボルが、「翼のある獅子」でした。

総督宮殿布告門

よその教会の宝物を盗んできて、格が上がったと大喜びしているヴェネツィア人は、一流プロ野球選手のユニフォームをくすねてきて、これで自分も一流プレイヤーだと、満足している3A選手のような、単純でかなり宗教心からは遠い行為と言えるでしょう。
しかし、ヴェネツィアはこの828年以降、聖マルコを守護聖人として戴いてからはより一層、『自分たちは一流である』という強い信念と誇りを持つようになります。そしてその自尊心は、聖マルコを心のよりどころとして、ヴェネツィア共和国として、強大な海洋帝国へと変貌を遂げるエンジンとなっていきます。
ヴェネツィアの街と、影響下にあったヴェネト地方や、アドリア海沿岸の街には、必ずこの「翼のあるライオン」が現在でもたくさん残っています。このシンボルを目にするたび、即物的な、でも誇りと生命力に満ちた、ヴェネツィア人の草創期の熱い思いが伝わってきます。

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