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他人だけど他人じゃない

家ではラジオを流していることが多い。
音楽単品はいらない、TVもちがう。
でもすこしの騒がしさが欲しいという欲求を満たすのがラジオだ。


「ラジオのDJは
自分語りが上手い人の方ほうが
聞いてて面白いし人気があるんだよ」と
誰かが言っていた。

なるほどなぁ。
そしてそれは文章にも言えることだと思うのだ。




noteではみんな、
文章を書いたり、写真を撮ったり、
音楽を作ったり、絵を描いたり
さまざまな目的をもって
自由気ままに発信している。

いわゆる自分語りを
それぞれの形で行なっている
自由さが心地良い。



感情を吐き出すにしても
”記事”としてアップするためには、
ある程度言葉を選び
文章を紡がないと成り立たないので
一過性の感情を垂れ流しにするのとはちがう。

客観性をもって
言葉と文章でコーティングされた感情は
一つの作品として成り立つのは面白い部分だなと思う。


どんな感情も
音楽にすると美しくなるとはよく言うけど(言うか?)
文章も然りなのかなぁなんて。





読めば読むほど、
その内容が自分語りであればあるほど、
その人という存在が
まちがいなくこの世界にあることを認識して
私は安堵する。

一人だけど一人じゃない。
他人だけど他人じゃない、

表現によって重なる
その距離感がちょうどいいのだ。




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