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もうひとつの物語の世界21,  マリーンと あんこう,1/5

マリーンと あんこう

 身体の半分もある大きな顔。
 その口をへの字にまげて、なにを考えているのかわからない。
 そばを通っただけで飲み込まれてしまいそうなこわい顔。
 アンコウは、海の底から、じっと上を泳ぐ魚をにらんでいた。

 そのアンコウが、頭の真ん中から、細長くつき出た竿(さお)を振っている。
 しかし、アンコウのその竿の先には、かんじんの小魚をおびきよせるた めの疑似(ぎじ)餌(え)がついていない。それでも、小さく竿をゆらし、ときおり、大きく竿をふっていた。

 近くを通りかかったタコのマリーンは、ふしぎなものをみるようにアンコウをみた。
―なんで?
 疑似餌がなかったら、いくら竿をふっても役に立たないのに?
 水族館にいたときに、同じ大水槽にいたアンコウのおばさんが、
「この疑似餌があると、小魚が、かってによってくるんだよ。あんたらタコ にはこんな便利なものはないだろう。」
 と、じまんしていた。
 マリーンは、アンコウに声をかけた。
「アンコウさん、竿をふっても、疑似餌がついてないですよ。
 それじゃあ小魚はよってこないとおもうけど?」
 すると、アンコウは不機嫌(ふきげん)そうにマリーンをにらんだ。
「おまえはだれだ?」
「あたしは、タコのマリーン、水族館からにげてきたの。」
「ふーん、どうしてにげてきた?」
「水族館でうまれたから、ずっと広い海にあこがれていたの。」
 アンコウは、じろりとにらむと、
「海にあこがれていた?
 おまえは、海のおそろしさを何も知らんな。
 わしがうまれ育ったこの海は、決してやさしくないぞ。
 いや、むしろおそろしいぐらいだ。」
「だって、あたしは水族館うまれだから。
 ほかの魚が、海をしらないあたしをばかにするの。
 だから、ずっと海にあこがれていたの。」
 それをきいてアンコウは、
「そうか、だからおまえは海のこわさをなにもしらないのだ。  
 水族館にいれば、食べ物はもってきてくれる。
 病気になってもちゃんと面倒をみてくれる。
 なにも心配もせずに暮らしていけるものを。
 それに、死んだあとに、波間をただよい、ほかの小魚たちにつつかれ、食べられることもないだろうに。
 それなのに、わざわざ水族館からにげてくるとは、なんというおろかものだ。
 いいか、ちょっとでも気を抜くと、わしの疑似餌でも、かんたんに食われてしまうだぞ。
 海とは、そういうこわいところなのだ。」
 アンコウは、にくらしそうにはきだした。
―このアンコウは、なんでこんなにおこっているの?
 こわいもの知らずのマリーンは、無邪気にたずねた。
「食べられたの?」
 アンコウは嫌な顔をした。
「いいか、海には食うものと、食われるものがいる。
 おまえも、ワシも、食うほうだ。
 そして、あの群れでおよいでいる小魚たちは、食われるほうだ。
 しかし、もうひとつ、だれにも食われないものもいる。
 わしの疑似餌はそいつに食われた。」
「そいつって?」
「なんにでも食らいつく、キタマクラだ。」
「キタマクラって、あの小さなふぐのキタマクラ?」
「そうだ。」
 マリーンは、おもいだして笑った。
「キタマクラは、水族館にもいたけど、あたしとよくかくれんぼして遊んだ。あのキタマクラ?」
「それは、水族館だからだ。
 おまえは、この海のことをなにもしらないのだ。
 いいか、人間の世界では、死んだものは、枕を北にしてねかせる。『北枕 (きたまくら)』という風習がある。
 そしてフグのキタマクラの身体には、猛毒がある。
 だからもし、あいつらを食うと、人間でも、あっというまに死んでしまう。そして、枕を北にしてねかされる。
 つまり、あいつらを食らうと簡単に死んでしまうということだ。
 だから名前を、キタマクラというのだ。
 それをいいことに、あいつらは怖いもの知らずで、なんにでも食らいつく。
 いい気分で居眠りしていた、わしの疑似餌を食いちぎったのもあいつらだ。」
「あのいたずら好きのキタマクラが、アンコウさんの疑似餌をたべたの?」
 あの小さなキタマクラが、こんな大きなアンコウを怒らせてよろこんでいる。
「ほんと、いたずら好きなんだから。」
 マリーンは、おもわず笑ってしまった。
「なにがおかしい。わしは、あまりの痛さに、腹がたって、食ってやろうとおもったが、あいつらだけは、食うことができん。
 くやしいが、それがこの海というものだ。
 海とは、理不尽(りふじん)なものなのだ。」
 いつもおこっているアンコウの顔が、ますますおこってみえた。
「わしだって、キタマクラを食えるものなら、なんど食ってやろうとおもったことか。
 いいか、夜の海はもっとこわいぞ。
 わしは真っ暗な海の中で、魚の気配を感じておもわず飲み込んだ。
 しかし、猛毒(もうどく)のキタマクラと気づいてあわててはきだした。
 もし、あのまま飲み込んでいれば、わしは、もうとっくに死んで、北枕になっていたはずだ。」
―あのキタマクラなら、やりかねないわね。
 たしかに、ここは水族館とちがう。
 思いもよらないことがいっぱいおこる。
 いたずらもののキタマクラなら、アンコウの疑似餌くらい食べてしまう。
 水族館にいたころ、マリーンはよくキタマクラとかくれんぼうをした。
 みつからないように、身体の色をかえて岩に変身した。
 キタマクラはマリーンをみつけようと、やたらとまわりの岩にかみついたり、ほかのじっとしている魚にかみついて、よくおこられていた。
 それをおもいだすと、また、くすっとわらってしまった。
「なにが、おかしい、わしのいうことが、そんなにおかしいか?」
 マリーンは、あわてて真面目な顔になると、
「わらってごめんなさい。
 この海の中でも、わたしのしっているいたずら好きのキタマクラとおなじなので、ついわらってしまったの。」
 なつかしそうに水族館の生活をおもいだしていた。


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