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アドラー?

 まだ、春休みとはいえ、だんだん、新学期が近づいてきます。
 授業時数が増えるし、新しい職場も増えるし、ちょっと心配にもなっています。さあ、そろそろ頭の半分を仕事に切り替えないと。

 というわけで、高校社会科非常勤講師のわたしは、久しぶりに「100分de名著 アドラー“人生の意味の心理学”」を見ました。

 数年前まで専業主婦で、子守ばかりして15年間を過ごしたけれど、案外、その経験が今の仕事に生きているのかなあ、と思うことも多いです。
 今の高校生がどんな文化に生きているのか・生きてきたのか、どんな受け答えを望んでいるのか、どんなことに躓きがちなのか、とある若者自身から、その周りの友達たちから、知らない間に学習しています。
 役に立たない経験って、ないものですね?

 と、思う一方で、わたしの科目である「公共(=昔の現代社会)」は、現代社会だけあって、内容がバラエティに富みすぎている上、年ごとに次々新しいことが入ってくるので、そもそも非博識なわたしとしては、「なんだろう?これ。」と思うような言葉が教科書に散りばめられているように感じます。

 教科書を開くと、最初のほうに「青年期」のページ。そこには、フロイトやマズロー、クレッチマー、ユングなどなどが淡々と載っていますが、その中に、アドラーも載っている。

 アドラー……。聞いたことはあるし、ちょっとくらいなら読んだこともあるような気がするけど、これって、昔から教科書に載ってましたっけ?
習ったことないような気がするのは、もしかしてわたしだけですか?

 「承認欲求」とか、「劣等感」とか、アドラーが日本で流行りはじめたのは、多分わたしが子育てに全集中している間なのかな?と思うのですが、それだけにあまり知らない。でも、どうやらフロイトに師事していたらしいから、それほど新しい人ではないようです。載ってたのかも。じゃあ、勤務校の高校生みたいに、授業中寝てたのか?それとも、膝の上で本を読んでいたのか?

 というわけで、NHK「100分de名著」で、アドラーを勉強!

                ★☆★

 「100分de名著」によれば。
 アドラーは、人間を動かす原動力は「劣等感」だ、と考える。「劣等感」とは、自分の思い描く理想の自分と現実の自分のギャップから生まれるもので、誰だって持っているものだ。
 誰もが持つ「劣等感」だけど、行き過ぎるとそれは、「劣等コンプレックス」になる。「劣等コンプレックス」は生きづらいはずなのに、なぜか「劣等コンプレックス」にすがろうとする人たちがいる。

 だそうです。
 「劣等コンプレックス」って何??

 もちろん、この後つづきがあるのだけど、長くなりそうなので、つづきはまた次回!




 とある若者の部屋から変な叫び声がするから、ムカデでも出たのかな?どうしたん??と、行ってみたら、わたしが核融合を起こそうとするおそろしい夢を見たらしい。……。
 なんで、子どもたちの夢の中では、けっこうわたしは悪役として登場させられるんだろう??いつも穏やかなほうだと自分では思っているのに。これこそ、フロイトに訊いてみたい。

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