わたしが肉を食べないわけ

<シネマでTOLK&本deコミュニケーション⑰>


数年前に或る本を読んで以来、私は肉を食べないことにした。
「肉を食べない」は、正しくない。年にひと月だけ解禁月を設けたが、その解禁月が2か月になり3か月に増え、昨年は4か月も肉食したのでベジタリアンとは言えないし当然ヴィーガンではない。

昨年12月に図書館前で待ち合わせをしたとき、早く着きすぎたので図書館に入り古本コーナーで数冊買った(1冊20円)という話をしたが、そのとき『ぼくが肉を食べないわけ』という本も購入した。(ピーター・コックス著、浦和かおる訳、1998年12月初版発行)
目次より………
●肉食と不健康の関係を解明
●医者はなぜ私たちに教えないのか
●人間は本来肉食ではなかった
●動物の自己犠牲
●狂牛病のとんでもない歴史
●政府はなぜ行動を起こさなかったか
●ガンは肉から

冒頭で「或る本を読んで以来」と書いたが、その本とは『チャイナ・スタディー』(T・コリン・キャンベル&トーマス・M・キャンベル著、松田麻美子訳、2016年1月第1刷発行)。完全ヴィーガンの知人から薦められて読んだ。
そして私は、肉食をやめる決意をした(最初、一番の理由は自身の健康のためだった)。

結局のところ私は、昔から習慣になっている「肉という食物」をたまには食べたいという中途半端なベジタリアンだし、肉食はやめたほうがいいと言うつもりはないが……
いずれにしても、私たちの健康には「食」が大いに関係している、影響していることは確か。
健康で長生きしたいという願望がある人は(「好きなものが食べられないくらいなら死んだほうがマシ」という人もいるが)食生活を見直し、不健康な習慣を続けてきた人は健康志向食生活に……偏食を改めるとか、いろいろなものを食べるとか、野菜をもっと摂るとか、肉食を減らすとか、痩せる努力をするとか、お酒を減らすとか。

肉を食べないと言うと「なぜ?」と訊かれる。私は、嫌われてもいい、不快に思われてもいいから、「健康のためと動物のためと地球のため」と答えている。
健康以外理由に仏教の「殺生はしない」という考えである。そう考えるわりには4か月も殺生食を食べている。

「食べもの」である「お肉」はおいしい。食べたい。全く食べられないなんて辛すぎる。ヴィーガンの知人はもちろん魚も食べない。私も、殺生はしたくないと考えるなら魚介類も食べてはいけないのだが、海や川などの生物は食べている。意志・決意が中途半端なのである。
私はお酒も好きなので、アルコールは持ち込みも嫌がるヴィーガンの知人とは一緒に食事をしなくなり、やがて疎遠になってしまった。

『チャイナ・スタディー』を読んだころの決意がどんどん緩み、1か月だけ解禁月を設け、それが2か月になり4か月に増えていった……が、今回、『ぼくが肉を食べないわけ』を読んで、(再決意というより)「決意」を少し戻すことにした。
誕生月である来月の解禁月は牛と豚と鶏肉料理のお取り寄せを計画・予定していたが、解禁月は師走と年明けの2か月だけにする。

70代80代も健康でありたい。仏教精神で殺生はしたくない。
が、私は人一倍食いしん坊。食べることが大好き。解禁月が2か月だけなのは実のところかなり辛い。
この先食欲も落ちていき、12か月お肉を食べなくても平気、精進料理が一番おいしいと思うようになるかもしれない。そのときは解禁月ゼロにする。


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