心理的安全性の高い職場って???

先日、グループコーチングの中で、"心理的安全性の高い職場"という話題が出ました。

今日は、これについて話をします。

昨今、"心理的安全性"なる言葉がたくさん聞こえるようになりました。
さて、皆さんは、"心理的安全性が高い"とはどう言う事だと認識していますか?

試しに、Google先生に聞いてみました。
"心理的安全性とは、組織内の誰もが自分の考えや気持ちを安心して発言できる状態を意味します。心理的安全性が高い場所において、メンバーは拒絶されたり、罰せられたりすることを心配せずに発言することができます。"

私は、
"何を言って大丈夫な場。自分が思った事、考えた事を気兼ねなしに言える場"
と定義しています。

何度か書いていますが、人の行動を止めるのは、"恐怖の感情"です。
そして恐怖の感情には大きく2つの種類があります。
一つは、失敗に対する恐怖。人は誰も失敗をしたくないのです。
そしてもう一つは、"拒絶の恐怖"です。分かりやすく言うと人に嫌われたくない、人からの評価を下げたくないという事です。
これはDNAに刻まれた本能に近い欲求です。
仔馬は母親のお腹の中から産まれて1時間前後で自分の足で立ち上がり、母親のおっぱいを吸いに行きます。しかし人間はハイハイが出来るようになるまでに半年、歩くまでに1年くらいかかります。
要は、人は産まれた直後から周りの誰かの助けがない限り、生きていけない生き物なのです。だから人は人から嫌われる事が怖いのです。

特に日本は"KY"とか、"忖度"とか、場の空気を慮る文化があります。
だからこそ、迂闊な発言をして人からの評価を下げてしまう事はまさに失敗になるわけです。

そのような当たり前の中で会社人生を過ごして来た方は、空気を読むのが普通であって、心理的安全性の高い職場なんてものは、話はわかるけど実現ができない夢物語に聞こえてしまうのかも知れません。

余談ですが、心理的安全性と言う言葉が流行るきっかけになったのは、Google社が行ったアリストテレスプロジェクトという実験だったと記憶しています。あまり"場の空気"とかを気にしないアメリカに於いて、個人のパフォーマンスがチームの心理的安全性と大きく関わるという調査結果は、個人的にとても興味深く感じました。何かあるとすぐ訴訟になったり、レイオフ(解雇)されてしまうお国柄なので、日本以上に人からの見え方や評価に対する恐怖が大きいのかもしれないのかな、と想像しました。


さて、私が新卒で入社したリクルートという会社は、まさに心理的安全性が高い職場だったと感じています。

例えば、リクルートでは新入社員が言った言葉でも、部長が言った言葉でも、発言者が誰かは関係なく、発言内容そのものを評価して議論するという文化がありました。

「だって発言に名札は付いてないから」「だって発言に役職は付いてないから」「だから新人だからなどとは考えずに思ったことは遠慮なく言いなさい!」と教わったように思います。


別の話です。
昔、リクルート事件の影響などもあり1兆3000億円の借金を抱えて、ダイエー傘下入りした時のことです。

社員総会のステージ上で、マネージャー数名が寸劇をしました。

バーカウンターで2人のマネージャーが飲みながら話をしています。
「最近、リクルートもタクシー代がどうだとか、コピー代を節約しろだとか、上が細かな事をいろいろ言って来て、モチベーションが下がるよな。」と。
当時、我々若手社員が思っていた事、感じていた事を劇中の台詞として公言したのです。

寸劇の終わり方はこんな感じでした。
「こんなところで我々マネージャーが、酔っ払って愚痴を言ってても何も始まらないよな。事件があっても我々リクルートがやってきたことに価値を感じ、取引を続けてくれたお客様がたくさんいるのだから、我々はお客様の期待に応えるべく、世の中に価値を提供続けていくしかないな。また、明日からも頑張ろう!」

その言葉に若かった私は「いろいろあるけど、まあ頑張るしかないな」と勇気づけられた事を覚えています。

そしてその寸劇の直後が社長のスピーチでした。

当時の社長の河野栄子が言いました。

「世の中では、社員総会のステージ上で、全社員を目の前に、マネージャーが経営に対する批判をしたら、ただ事では済まない会社も多いのかもしれません。しかし、リクルートはそういう会社ではありません。メンバーの皆さん、劇を演じたマネージャーは、明日からも皆さんのマネージャーのままですからご安心ください。」
のような事を言ったと思います。(何しろ大昔の話なので、記憶が定かではありません)。

これを聞いて私がどう感じたか。
「嗚呼、リクルートという会社は、本当に何を言っても大丈夫な会社なんだ」と、それを確信しました。


また別の話です。

言いたいことを気兼ねなく言えるようにするためには、職場メンバー同士の相互理解もとても重要だと思います。

リクルートでは、管理職も新人も定期的に360度サーベイ研修を受ける事になっており、研修から戻ると必ず、職場でサーベイをつけてくれた同じ職場の全員に対して研修報告をする”職場フィードバック会”を開くことが決まりになっていました。

自分の仕事ぶりやコミュニケーションなどに対して、職場の皆んなが感じているけど、口にして伝えていなかった事は何か?それを研修で本人がきちんと受け取れているか否かが判断されるのです。

昭和の当時、働き方改革などは無縁でしたので、時間を気にせずとことん深夜まで時間がかかる人もいました。そういう事を定期的にやっており、それぞれがそれぞれに対する本音をぶつけていましたので、相互理解が出来ていたとのだと思います。(時代の流れを受け、この研修やり方もすっかりスマートになったと聞いています)。


かなり長くなってしまいましたので、これ以上は書きませんが、最後に一つ。

例えば議論の中で、意見の食い違いが生じた時に、意見と意見を喧嘩させるのではなく、何故そう考えたのか?その背景や意図を掘り下げ、お互いに聞くという文化もありました。


外に出て、しかも今、いろいな会社の方々の話を聞く機会が多い立場なのでよく分かりますが、リクルートはつくづく特異な会社だと思います。

なので、今回は皆さんに参考になる話が出来たかは甚だ不安です。

しかし、例えば、
・発言には肩書きはないので、発言者は関係なく、話の内容そのものを同じ土俵に並べて議論すること。
・普段から相互理解を図ること。
・意見が対立した時には、その意見の裏側にある背景や思いまで掘り下げて聞くこと。
などは、それほど難しくなく真似ができるのではないかと思います。


日本は少子化で若い人がどんどん減って行きます。Z世代と言われる今の若い人たちに、組織の暗黙の了解やルールなどは、どのように見えるのでしょうか?どのように聞こえるのでしょうか?

”打たれ弱い”とか”失敗を恐れる傾向が強い”と言われている彼らは、そのような空気の中で、自分らしさや強みを発揮できるのでしょうか?

若い人が自由に思ったことが言えない会社の将来は明るいのでしょうか?

私は今後とも"何を言っても大丈夫な会社や職場""心理的安全性の高い会社や職場"に近づけるためのお手伝いを、私の経験や知識を活かし、全力で頑張って行きたいと改めて思いました。

今回は何故か、私の決意表明のような形での終わり方になってしまいました。
これにて失礼致します。

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