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高齢な親の介護日記②

2023年12月31日 日曜日 曇り

父がサ高住に越してきてはじめて迎える大晦日。午後から父を私の家によんで、テレビ画面をYouTubeに切り替え、父が昔好きだった第九や岡林信康の曲を流して子供達と百人一首、将棋をして過ごしてもらった。父ははじめてテレビに映し出されたYouTubeの画面に目を輝かせていた。

生活のリズムが崩れないよう、施設での晩御飯の時間までには父を車で施設まで送りとどけた。
「まさか娘に車で送ってもらうようになるなんて」と言う父に、
「今までいっぱい送ってもらったから、これからは私がお父さんを送りかえすよ」
と答えてはっとする。
母がまだ生きていた5年前にも同じようなやりとりがあったのを思い出した。

当時、デパートで人気だった喫茶店に母と二人で入ろうと一緒に列に並んでいた時、私の分まで大きな荷物を持とうとする母に、
「私、全然親孝行できてないね」というと、母はこう答えた。
「親孝行なんて考えなくていいから。あなたが小さい時に、お母さん大好きってたくさんたくさん言ってもらっているから、もうすでに充分かえしてもらってるよ。」


2023年はいろいろあった。

母が交通事故で突然死してからはや4年。コロナ禍の中でも頑張って一人暮らしを続けてきた父に循環器系の難病がみつかった。そして月に一度、認定医が処方する特別な薬をもらうため、車でも電車でも父の住む実家から片道約1時間かかる病院まで通院しないといけなくなった。
その病院へは父は車で通院していたけれど、その後、別のかかりつけ医に、初期の認知症と診断されてしまう。
「お父さん、先生から初期の認知症っていわれたし、車じゃなくて電車で通院したら?」
当時、認知症のことなんて全く理解していなかった私は父に電話でそう伝えると、
「わかった。心配しなくてもいいよ。」
素直にそう答える父に私は安心していた。

しかし父が通院する予定だった日に電話をしてみると、なんと父は車で通院していた事がわかる。
「お父さん、認知症っていわれているのに車を運転したの?」
「え?誰が認知症っていったんだ。認知症なわけがないだろ。人をバカにして!認知症だったとしても車の運転をしたらだめと誰がいったんだ。車の運転をしなくなると、ますます頭がボケて本当に認知症になるぞ!」
父の言葉には妙に説得力があり、たとえ車の運転をしたとしても父はまだ初期の認知症だし大丈夫なのではないかと思いたい私と、母を交通事故で亡くしている交通事故被害者遺族でもある私とが心の中で葛藤した。

4年前、母は高齢の女性のちょっとした運転操作ミスによって亡くなった。
あの事故は運命によって起こるべくして起こったので、防ぎようのない出来事だったのだ。ともすれば私だっていつでも彼女のように交通事故の加害者になりうるのだ。
そう思おうとしても、やはり心の底から加害者になってしまった彼女を許せていない。
なぜあの時、母が亡くならないといけなかったのか。
男は外で働き女は家を守るという典型的な昭和の家庭に生まれた私は一人っ子だったこともあり、母との結びつきは強いものだった。そんな私の唯一の理解者であり、何でも相談できる大親友であり、私の子供達の優しいバアバが突然亡くなってしまった。再来週は保育園の運動会にバアバも応援に行くよと約束していたのに、子供達に何と説明すればよいのか。

あの時の気持ちは辛すぎて辛すぎて、本当に辛すぎるから思い出したくもない。そして他の誰にも私と同じような気持ちになってほしくない。
 
しかし父は車の運転を続けようとしている。認知症だと診断されているのに。

警察、医師、包括支援センターにも、父の運転免許の返納について相談したものの、運転免許の更新ができている以上運転をやめさせることはできないといわれてしまい途方に暮れていた時、入居申請を出していたサ高住よりご縁をいただくことになった。
サ高住に引っ越しをする時点で、父はすでにいつ食事をしたかわからず、ビールばかり飲み、自分の必要な物や大切な物もわからない状態になっていた。
父が大切にしていた車は引っ越しの前日に父の同意のもと売却したが、しばらく売却したことも理解できていなかった。

電話では大丈夫だと言っていたのに、ちっとも大丈夫ではなかったのだ。
後からわかった事だが、実家を片付けた時に大量の薬もでてきて、全く飲めていなかったことも発覚する。片道1時間もかけて通院してやっと手に入れていた大切な薬なのに。
毎晩電話で薬は飲んだか確認していたのに、電話越しに聞いた「飲んだよ」は嘘だったのか、はたまた飲んだと思い込んでいたのか、一体、何だったのだろう。

認知症は環境の変化で急激に悪化すると聞いて心配していたけれど、父の場合は住み慣れた住居環境を手放すかわりに、規則正しい生活と食事、薬の管理、週に2回のデイサービスでの将棋、そして私や孫達と過ごす時間が百倍くらい増えたおかげなのか、思っていたよりも様々なことが改善されたような気もする。
少なくとも、私との親子関係は改善した。

来年も同じように父を車で送る大晦日であってほしい。












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