まさか私がうつ病なんて ♯1

私は2年間教員として教壇に立ち、1年間休職中の25歳。
社会人1年目からの壮絶な3年間を振り返っていこうと思う。

小学校からの夢だった教員。新卒で単学級20人程度の小規模校に配属。
「こんな学級経営をしたい」
「楽しい授業にしたいな!」
夢を膨らませ、いざ1年目がスタート。
そんな夢を抱いていたのも束の間。右も左も分からない中、ベテラン先生と同じように毎日毎日学習指導、児童指導、保護者対応、行事運営…
一生懸命頑張っていた私の身体だったが、ついに悲鳴をあげた。

アナフィラキシーショック=アレルギーで緊急搬送

これまでに食物アレルギーは何一つとしてなかった私。突然発症し、エピペン所有者に。大好きだったフルーツが食べられなくなった。

2年目。学校のスタイルにも慣れてきた私だったが、5月。血液検査をしていた病院から来てくださいとの連絡が。

甲状腺亢進症=バセドウ病

おしゃれが生き甲斐だった私。
カラコン禁止で嫌いな眼鏡に。
バレーボール歴9年。
体を動かすことが大好きなのに。
運動禁止。
外に出ると、日光が眩しく目を開けていられない。
すぐに疲れがでて動悸や大量の汗。
食べているのに体重は減り。
しまいには眼球突出で子どもたちから怖がられる時も。

2年目夏休み前。
今度は心が限界を迎えた。
朝、体と心が重く、涙が止まらない。授業構成も何もかも考えれない。
食欲も湧かず、学校に行っても教室に入れなくなった。

ここから私の心と体は徐々にどん底に落ちていったのだ。

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