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「ハ」ライチ澤部

逆境に燃える男だぞ俺は。

 ディズニーランドでカリブの海賊の行列に並んでいる時、彼女にフラれた。
 
「あなたのその幼稚なところが私は嫌なの。私がカタログ版モノタロウ(ねじ・ボルト・釘/素材)だとしたら、あなたは小説版ハリーポッターと炎のゴブレットなの!それくらいの差異をあなたは認識している?」

 怒涛のような展開に現実を飲み込めないままカリブの海賊に乗り、カリブの海賊の船は動き出し、カリブの海賊から出て、二人とも無言のままディズニーランドを後にした。

 帰路、舞浜駅を目指し二人で歩く。彼女の方が三歩ほど前を歩いているから、『二人で歩く』とは言えないかもしれない。斜め掛けのポシェット(スマホと財布しか入らないくらいの白痴的大きさ!)のショルダーストラップが黒地の生地にビッグサンダーマウンテンの峰のような起伏を作り出している彼女のTシャツの背中を眺めながら、彼女にフラれたと言う現状をどのように打開するか、その方法を思案していた。

 舞浜駅に着くまでになんとか解決の糸口を見つけようとしていたが、あれやこれや思案しているうちに舞浜駅に着いてしまった。
 色々考えすぎてしまったが、結局、自分の思いを彼女に伝えるのが一番効果的だと気付いた時、舞浜駅の構内はランドへ向かう人間とランドから帰る人間でごった返していた。改札へ向かう群衆に混ざり、丁度『舞浜駅』とデカデカと表記された駅名標の下で彼女を呼び止めた。

「待って、待ってくれ。俺の、俺の考えを聞いてくれ。」

 別に走ってきた訳ではないのに何故か息切れがする。振り返った彼女の容貌を見ても、慣れ親しんだはずのそれには見えない。目や鼻や口など、顔を構成するパーツそれぞれの配置が奇妙にズレている様に思え、それは俺に、幼年期の正月、親戚の家で遊んだ福笑いを思い出させた。

 親戚一同に囲まれながら手拭いで視界を塞ぎ、「これは目」「これは鼻」などと言われながら家族に手渡されたパーツのそれぞれを、不可視ながらも手のひらから伝わるその触覚の微細な感覚で自らの顔面についたそれぞれと感覚的にリンクさせながら並べてゆき、全てのパーツを置き終え、目隠しを外した時、遮断していた光に眩んだ視界と共に噴き出すような笑い声に包まれた。
 福笑いは見事に不細工な面構えになっており、さらにその口と鼻が本来とは逆の配置になっていた。哄笑の円陣の中心でその燃え盛る笑いの火種を自分が作ったという喜びが全身を包み、それまで曖昧だった『幸福』と言う概念を初めて経験できた気がした。

 幼少の思い出から覚め、現実に戻った。しかし、果たして本当に現実に戻ったのだろうか。身体感覚はある。両足が地面に接し、両腕のその僅かな重力さえも感じ取ることができる。しかし、視界は閉ざされているのか、ただただ深遠なる暗黒しか知覚できない。

 また原因不明な息切れに襲われた。それはどこか酸素濃度の薄い惑星に飛ばされた猿のような激しい過呼吸に変わり、俺は地面に両膝をついた。
 両膝から伝わる石質の床材から、自分が今、舞浜駅構内にいるということを思い出した。

そうだ。体の感覚は本物だ。手だって脚だってちゃんと感覚がわかるじゃないか。それなら、俺は今、ただ目を瞑っているだけなんだ。この深遠なる暗黒はそのせいなんだ。

 ゆっくりと目を開ける。

 福笑いで遊んだあの時のように、暗黒の世界に少しずつ光が満たされ、それに目が眩んでしまった。
 光に目が慣れる速度と同じ速度で、俺はゆっくりと立ち上がった。
 視界の明るさが凝集してゆき、ポラロイド写真の様に現実世界が眼前に活写されてゆく。

 確固たる像を結んだ時、目の前の彼女はおろか、二人が溶け込んでいたはずの大勢の群衆もいなくなっていた。

 誰もいない舞浜駅で答えを求めるように、俺は構内を彷徨した。

 切符売り場の横の駅員室の窓に、駅員の様な帽子を被った丸まった背中が見えた。
 俺は足早に駅員室まで向かい、コツコツコツと三回その窓を叩き俺の存在を駅員に知らせた。

 しかし何かがおかしい。背中の主人あるじをよく見ると帽子は正しく駅員のものを着用しているが、上はグレーのTシャツ、下はジーンズパンツと言うで立ちだ。

 誰もいない舞浜駅にこの男ひとり。俺はこのデヴィッド・リンチの奇想に似た、記号たちの配列に震慄した。

 震える足で窓辺から一歩下がった。後悔先に立たず。駅員風の男は、ゴシックホラーの幽霊のように、ゆっくりと振り返った。

 私は驚愕した。振り返った男のシャツの前面には大きなシロクマ三匹と、小さく『alaska』の文字。そう、駅員の様な男の正体はハライチ澤部だったのである!

「お客さん。どうかされました?いや、『お客さん』ではないですねェ。貴方もまた、僕と同じような『演者』の一人なのです。人類皆道化。まぁ、その道化にも種類だあるんですけどね。言い忘れました。私、ハライチの澤部と申します。いえ、『ハライチ の 澤部』ではなく、ハライチノサワベが私のフルネームでございます。あなた、ひどく動揺してらっしゃる。何も心配しなくて良いのですよ。ここはお分かりのとおり、ただの『舞浜駅』ではございません。ここは逸脱した道化の終着駅、『真異破間マイハマ駅』でございます。貴方のような少々社会から、いや、人間の道理から逸脱した演者が漂着する駅なのです。そこで、私から一つお題を差し上げます。このお題に貴方が見事『正解』を出した暁には、この真異破間駅から出ることができます。もちろん、これまでの日常になんの齟齬もなく生活へと戻ることができます。そして外した場合にはそれ相応の罰が待っております。どうです?やりますか?」

「出れる?ああ。もちろんやるよ。でも、もし正解することができなかったらどんな罰が待っているんだ?まさか、殺されるのか?」

「まさか!その反対ですよ!どうです?やりますか?」

 ハライチノサワベの言ってることはよくわからないが、ここはやるしかない。

「ああ、やらせてくれ。さあお題を出してくれ。」

「よろしいです。それでは。よく問題をお聞きになってお答えください。私の言動から逆算して、ハライチノイワイが言ったであろう語を当てるのです。それでは。」

 ハライチノサワベは椅子から立ち上がり体を動かせるスペースを作った。

「そうそうそう、ここに載せるのが最近のトレンドらしいよ~」

 ハライチノサワベはそう言いながら少し腰を曲げ、何かをつまむような動作をしてみせた。

「さあ。あとは貴方が答えるだけです。慎重に考えてからお答えください。」

 何が何だかわからない。コロンブスを乗せたサンタ・マリア号を目撃したアメリカ原住民も私と同じような衝撃を受けたに違いない。
 衝撃に打ち震えた心臓が、だんだんと元の搏動に近づいていく中、不意に落ち着いた思考に一条の光が差し込んだ。

 そうか、さっきハライチノイワイが言ったであろう言葉を当てれば良いと言ったな。『ここに載せるのが最近のトレンド』と言いながら中腰気味に何かをつまむような動作をしていた。いや、『載せる』と言っていたから、何かをつまみあげるのではなく、つまんでいたものを置き載せる動作だったのだ。ハライチは平素、聴覚的に類似したセンテンスを連想してゆき、音声学的な連関はあれど、文章の意味的連関は欠いた言説により、ハライチノイワイがハライチノサワベをある種リモートコントロールされた人形のように動かし、そこに彼ら独自の諧謔を見つけている。そこから察するに、ハライチノサワベが出したこのお題の答えは…

「わかりましたよ!ハライチノサワベさん!」

「それでは、貴方の答えを聞きましょう。」

「答えは、『仏壇にブーツ』だ!」

 俺とハライチノサワベ、二人しか存在しない真異破間駅が静寂に包まれる。
 
 無事にここを出ることができたら、彼女に俺の正直な思いを告げよう。

「ブブー!残念でございます!」

「そんな…なぜだ、なぜなんだ!じゃあ俺はお前に問う!この問題の答えとはなんだ!」

「正解は…『ドアノブにチーズ』でした!ハライチノイワイが紡ぎ出した第二関節のない犬の歩き方のように奇怪な言葉に最高の道化である私が踊ったこのローザンヌ国際バレエ大会でコンテンポラリー賞を受賞したウクライナの少女のような演技!そのマリアージュにこそハライチのユーモアという鐘楼から城下町という名のお客さまへ笑いが広がるのです!さあ、例の罰です。例の罰ですヨォ!

ハァッ!!」


 ハライチノサワベは手のひらをこちらに向け何か魔法の様なものを俺の身体に浴びせた。

「ん、なんだ、体が、体がどんどん動かなく、、、やばい、、た、す、けて、、、」

 なんだこれ、体が全く動かない。でも死んだわけじゃない、現にこうやって思考することができている。それに目だって見えているし、音を聞くこともできる。

 ハライチノサワベはピンク色のBlackBerryで何者かに電話をかけた。

「どもども、ハライチノサワベです。また一ついいのが入りましたから、すぐそちらに送りやすよ。はいはい。いつもありがとうございます。今回はどこに使うんです?ええ、ええ、じゃあ髭なんかつけたほうがいいす?
はい、はい、じゃあそっちの方向で、はーい、またよろしくお願いしゃす~」

 ハライチノサワベは電話を切り、後ろの棚から何かを取り出すと、駅員室を出て俺の元まで来た。

「人形や。今日からオメェは人形や。その臓物ハラワタからセルロイドになった気持ちで笑え。笑えねぇか。だってお前は所詮人形だかんな!」

 そう言ってハライチノサワベは俺の衣服をズタズタに破き捨て、代わりに白装束と口周りには人工の髭をつけ、仕上げに麻縄で両腕を縛り上げた。

 顔を布製の何かで覆われ、車の荷台の様な場所に乗せられて車は動き出した。荷台を転がりながらどこかへ運ばれている間、塞がれた視界から、幼年期の正月、親戚の家で福笑いをするときに手拭いで視界を塞いだ時のことを思い出した。
 あの時俺の福笑いから生まれた束の間の幸福はもう味わえないのだろうか。涙が止まらないように思えたが、すでに人形になってしまった体から、涙は一滴も出ていなかった。
 数分で目的地に着き、目隠しを外されるとそこはディズニーランドだった。

 私は今、ディズニーランドの人気アトラクション『カリブの海賊』内で、虜囚Cを演ずる人形となっている。


エピローグ


 数年前、ディズニーランドの帰り道、途中で姿を消したあの彼は、今どこで何をしているのだろうか。舞浜駅に来るたびに彼のことを思い出す。あの日以来ディズニーランドには行けなかったけど、今の彼が行きたいとせがむものだから、仕方なく来た。スペースマウンテンやプーさんのハニーハントなどを楽しむうちに徐々にあの彼のことを考えることは無くなった。そして海底二万マイルから出たあと、昼食を食べ、そしてカリブの海賊へ行った。

 人工的に作り出されたとは思えないほど、カリブ海の臨場感が伝わってくる。バンダナを巻いた下っ端の海賊、目も眩む様な金貨、赤と金が混ざったような土は経験したことのないカリブ海の匂いを何故か運んでくれる。そして海賊の親玉のような男とその捕虜たち。その捕虜たち。その捕虜。。。

 彼女は人工海へ飛び込み、死んだ。


 何万回繰り返されたのだろうか、このくだらないアトラクションは

 私がここへ運び込まれ、虜囚Cとなってから

 もう過去の記憶なんか思い出せなくなってしまった

 ここに来てから何万と見た人の顔。その嬉々とした顔が通り過ぎるたびに一つまた一つと記憶を失っている気がする

 そしてまた船がやってきた。私の記憶を消してしまう忌まわしい船客を乗せて

 ゆっくりと眼前を通り過ぎる

 そしてまた記憶を無くすだろう

 不意に船から女が落っこちた。

 なあに、カリブじゃよくあることさ

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