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自分を客観視しコントロールできるか、が相手へのつたわり方を左右する

以前フラメンコの巨匠である、アントニオ・カナーレスという大先生のレッスンを受けたことがある
その時に言われたことが、7、8年の歳月をかけてやっと最近肚に落ちてきた

“情熱的に踊れ  
しかし頭は常に冷静でいなさい”

その当時、燃え盛る感情をそのまま踊りに昇華することが、オーディエンスにダイレクトに伝わる方法だろう、と思い込んでいた私にとって巨匠の言葉は ??? でしかなかった

はて?
そもそも、こころは熱いのに、頭は氷のように冷たい、って矛盾してないか

とその謎をもったまま、何度となく人前で踊る機会を持ちながらもなかなかその本質をつかめないでいた


あれから試行錯誤してきた私なりの解釈がやっと落ち着きつつある

巨匠の言葉の本質とマッチしているかどうか、はさておき


結局、人に伝わるかどうか、ということは
自分を冷静に捉えられているかどうか、ということに依存する

たとえば、誰かにどうしても伝えたい想いがあるとする
なぜ自分はそう思ったのか、その思いはどこから湧いてきていて、伝えることでどんな効果を得たいのか…

などと掘り下げていくと、結果的に伝えたい思いに対する自己理解がかなり進んでいく


大体そこまでくると大きな課題はクリアしている

というのも、伝わらない、というのは自分ですら消化できていない感情を、オーディエンスに向かって直接ぶつけているような状態なのだ
ぶつけられた方は、なんだか当たられたような違和感を感じる 
これが伝える側と受け取る側の温度差となる


ところが、伝える側がその感情に対して理解が深まっていて、ほんの少しでも離れた場所から自分自身を観察することができているとしたら、受け取る側のバイブレーションにチューニングをするという余裕が生まれる

この違いが思ったよりも大きな効果をもたらす

前のめり気味に突っ込んで来るか、
相手の状況を見ながら近づいて来るか

自分だったらどちらがより心地良いだろうか

言葉でも同じことが言えるのではないか

思ったことをそのまま口に出すのもひとつの表現ではあるが、丁寧にその想いを咀嚼し、そして言葉を選ぶ

たとえ過程は見えないとしても、思いやり、または敬意というカタチで相手に届きやすくなる


表現を続けるにあたり、ふと伝え方について思考を巡らせてみた