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不妊治療について

こんばんは、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
今日も一日お疲れ様でした、かたと申します。

久しぶりにnoteを書いています。最初は婚活をきっかけに始めたこのnoteもいつの間にか月日が経ち、結婚を経て今は不妊治療をしています。

たった三年、されど三年で人生は大きく変わるものだと実感しています。
そんな私の昨今ですが、タイトル通り現在不妊治療に励んでいます。
あまりにもダイレクトなタイトルですが、変に誤魔化すよりストレートに今の気持ちを綴りたいなと思ったのです。

「不妊治療」という文字は自分にとってはとても重いものだと考えていました。同時に何処か自分とは関係のない四文字であると思ってきました。ですが、生理痛の相談をしに婦人科へ行った途端「子どもが出来辛い体質です」「もし子供を望むなら治療が必要です」と言われたときはとてもショックでした。

私の場合は多嚢胞性卵巣症候群という疾患で2,30人に一人の割合で見られるものだそうです


思えば、小さい時から太り気味で月経不順で人より体毛も濃く、二、三日に一回ムダ毛処理をしなければ気になるような人間でした。
調べれば調べるほど自分と一致していく内容に紛れもなく不妊症である事実がのしかかり、何とも言い難い気持ちになりました。

ですが、診断された当初はまだ妊娠なんておとぎ話のような状況で全く実感がありませんでした。
とりあえず生理痛を軽減するために処方されたピルを飲み、日々過ごしていました。そうしていくうちにあれよあれよと婚活を始め、旦那さんとのお付き合いが始まり、そして結婚をし、結婚式とハネムーンを終え、いよいよ子どもを望む時期を迎えました。

そして昨年八月、不妊治療を開始しました。
数々の検査を終えやはり改めて自分の疾患をありありと目の当たりにし、今度は確実にショックを受けました。
まるで自分が「欠陥品」だと突きつけられているような気分です。
ただでさえ自分自身は人より劣っているという自覚がある上に、生物としても不完全なのかと思うと一気に気持ちは暗くなりました。
旦那さんも検査に協力をしてくれ、彼は全く問題がなかったため、より一層「自分が原因である」ということをまざまざと突きつけられるのです。

さて、基本的な検査を終え、いよいよ不妊治療が始まります。
まずは、排卵誘発剤とタイミング療法を掛け合わせて治療をしています。
治療を始めた当初は「きっと少ししたら子供ができる」と楽観的でした。
治療法があるなら、きっとどうにかなるだろうと思っていたのです。

ですが、毎月2,3回の通院。しかも毎回予約をしても時間通りの診察なんて夢のまた夢で1、2時間待つのが当たり前。
薬を処方され、注射を打たれ、何度もデリケートな部分を診察される精神的ストレス。
「これも、ずっとじゃない、きっとすぐに赤ちゃんが来てくれる」そう思って前向きになれるよう自分をコントロールする日々でした。
しかし、卵管検査をおこなった日、初めて気持ちがポッキリ折れてしまいました。

医師からの事前説明を中途半端に聞き流してしまっていた私は、何の心構えもなく検査に臨みました。
「痛かったら教えて下さい」と言われましたが、最初は何だか圧迫感があるな…という程度でした。
検査が終わるとだんだんとお腹の圧迫感が強くなってきて、その後、お腹がじんじんと痛み出しました。病院を出る頃には体をくの字に曲げ、「こんな痛いなんて知らなかった!」と半べそ描きながらヨタヨタと帰ったのを覚えています。

私に原因があるのは重々承知です、それでも「私ばっかり痛い目に遭わないといけないんだろう。毎回病院でしんどい思いして、惨めな気持ちで帰らないといけないんだろう……。旦那は今頃趣味のサウナに勤しんでいるというのに……」と一瞬怒りの気持ちが湧いてきては、結局原因は自分という事実に打ちのめされてまた気持ちは暗くなるばかりです。

そんな日々を過ごしていると、ある日生理予定日にいつもとは違うズンッとしたお腹の痛みが出てきました。生理になる気配もないので「もしかして….?」と思い検査薬を使うと……陽性反応が出ました。

あの時の気持ちは今まで体験したことのない、何とも表しようがないものでした。
例えるならば人肌程度の水に使ってふわふわと浮いているような感覚とでも言いましょうか……。
嬉しい気持ちと、不思議な気持ちが綯い交ぜになったような心地でした。
そして、そっとお腹に手を当てて「こんにちは、よくきてくれたね」とひっそりと涙を流したことを覚えています。

喜ぶのも束の間、よく調べてみると検査薬だけでは妊娠確定とは言えず、さらに一週間経った頃に婦人科を受診して診断してもらうことになりました。

診察当日は朝からドキドキソワソワしていました。

「ああ、今からだと産休は秋頃になるかな」
「仕事どこまでできるかな」
「でもやっとだ」
「楽しみだな」
「旦那さん、喜ぶかな、サプライズ報告しちゃおう」
「両親も、すっごく喜ぶよな、丁度年末帰る頃に妊娠報告ができる」
なんて思いながら順番を待っていました。

名前を呼ばれ、採血をされ、いざ先生に話を聞くと、ぼそっと小さな声で呟くように言われました。

「残念ながら、妊娠していません」

「え?…….すみません、どういうことですか?」
「妊娠検査薬は反応しましたが、妊娠を表すhCG値の値が少なく、今回は残念ながら……」
「それは……?」
「流産ということになります」


りゅうざん


一瞬頭が真っ白になりました。そして人間はショックなことがあるとなぜか冷静になるのだと知りました。私は小さく「そうですか……」と答え、帰り支度を始めました

「もしかしたら、子宮外妊娠の可能性もあるので、来週もう一度いらして下さい」

私は、蚊の鳴くような声で「はい」と答え、そそくさと診察室を後にしました。
その日はどうやって家に帰ったか覚えてません。ずーっとぼーっとしていて、家に着いたらシャワーを浴びて早めにベッドに入って寝ました。
しかし、寝付けるわけもなく、真っ暗な部屋で一人布団の中で丸まって何度も何度も考えていました


何がいけなかったんだろう、
妊娠がわかってからもっと色々気を使っていたら結果は変わっていたのだろうか、
葉酸をたくさんとっていたら違ったのだろうか、
あの日無理して仕事に行かなかったら良かったのだろうか、
友達と遊んだあの日、キャンセルをして体を休めていれば良かったのだろうか、
毎日もっと厚着して過ごしてたらよかったのだろうか、

後悔の気持ちは無限に湧いてきます。
手に握ったスマートフォンで「妊娠 初期 流産」を何度も検索しては、もともとの染色体異常が原因で母体のせいではないという文字を繰り返し辿り、そして先ほどの後悔反芻して、またスマートフォンを見て……の繰り返し。

そして、旦那が帰ってきていつもと様子が違う私を見て「どうしたの?」と尋ねてきました。
その時、涙が次から次へと出てきて、くしゃくしゃに泣きました。
しばらく何も言えなくて旦那を混乱させました。


そして、絞り出すように「流産しちゃった」と一言伝えました


あんなに悲しくて苦しい告白は、人生で初めてでした。


旦那さんは「とても、とても残念だったね」と優しく言って抱きしめてくれました。
そして、いつから妊娠に気が付いていたのかも問われました。私は妊娠が確定するまでは伝えるのは良くないと思って、検査薬の反応が出ても内緒にしていました。今日、病院でちゃんと確定してから伝えようと思っていたのです。

「一人で抱えて…だから余計辛いでしょう、今度はちゃんと言ってね。そしてちゃんと二人で最初から気持ちを受け止めていきたいよ」と言われました

そうだね、そうだったね。ごめんね、ごめんね…….。

涙は止まらなくて、ずっと泣いて一晩過ごしました。


一週間後、再度診察に行き、化学流産が確定しました。
「そのうち生理がきますので待ちましょう。もし一週間以内に生理が来なかったらまた連絡して下さい」

病院に行った二日後に生理がきました。ですが、普通の生理よりも腹痛がひどく薬が効かず、結果丸二日寝込みました。
生理の内容もいつもの感じとは異なる、粘性の高いもので「ああ、一瞬でも赤ちゃんであったカケラたちなのかも」と思いながら心と身体、両方の痛みでまた涙が溢れてきました。

その後一月不妊治療をお休みして、ゆっくり心と体を休めました。

ですが、ことあるごとにフラッシュバックするのです。
あの時の悲しみが、人肌の水のように染み出てきて私を包み込み、ふわふわと浮遊した何とも言えない感覚になります。

ああ、ああ……

たらればなんてないけど、考えてしまう。あの子がちゃんと育っていたら…生きていたら、と……。
この涙を本当の意味で乗り越えられる日はちゃんと来るのだろうか。


そうして二ヶ月が経ち、不妊治療を再開して一ヶ月。
今月は通常通り生理がきて妊娠ができませんでした。

旦那さんは「焦らず、じっくり頑張ろう」と言ってくれますが、私はどこかで焦っています。そして、12月に起こった出来事から本当の意味で抜け出せていません。
本当に初期の初期の流産なのに、こんなに苦しむのはおかしいことなのでしょうか?
みんなあっさり乗り越えられるものなのでしょうか?

今はもう四月、桜も満開になったというのに、私の心は冬枯れの悲しい景色のままです。


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