卒論で本当に私が書くべきこと、あるいは吐瀉物

(本当の)おわりに

 こんにちは、もしくはこんばんは、先生。奥野田です。こんなにもどうしようもない私の卒論を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。というか、大変申し訳ございませんでした。先生の貴重なお時間を奪ってしまって。そして、願わくばもう少しだけ私の駄文にお付き合いくださいませ。
 さて、これから書くことについて、簡潔に申し上げると「この卒論の中で唯一私が本当に書きたい、吐きたいと思ったこと」です。私は少しでも酔っ払うとすぐに吐いてしまうのですが、そのときに出た吐瀉物みたいな、そういったぐちゃぐちゃだけどたしかに私の身体の中から、ある程度の形を保って出てくるようなことを今から書き表そうと思います。
 それは、一言で表すなら「自己嫌悪」です。私はこの大学4年間、本当に何も頑張れませんでした。言うまでもなく、この卒論もそうです。なんとなく大学に入って(親の金なのに生意気な発言ですよね。以降も失礼な発言が続きますが、予めご了承ください)、ペットショップの水槽の中身をぼーっと眺めるようになんとなく過ごしていたら、卒論の提出日の2日前となってしまいました。それはあまりにも突然のことで、現在の私の卒論の進捗状況を考えるとどうやっても内容的に間に合わないし、無理やり間に合わせるにしても気力がなさすぎるしということで、すっかり諦めてこんなのを書いています。明日は、友達と一日中遊ぶ予定です。とっくに卒論を終わらせて、卒業はほぼ確定していて、優良企業の内定をもらっていて、面白くて魅力的で、大学生の恋愛とやらも一通り履修済みの友達とです。
 思えば、今まで私の周りには、嫌がらせのように私より圧倒的に優れている人間ばかりいました。私も優秀、というわけではなく、私以外のみんながちゃんとしてて優秀なのです。そんな環境にいれば普通、自分も頑張らなきゃという気持ちが湧いてきて成長するのだという話をよく聞きますが、残念なことに私には当てはまりませんでした。私は心底腐っているので、他人の努力を見ては勝手に苦しみ、他人の成功を見てはそれを憎しみ、他人の不調を感じ取っては相対的に私の調子が良くなっておりました。典型的な自分軸で生きていない人間の一種で、無為無能で、生きる価値があるか否かの究極的な問いが仮にあるとしたら、間違いなく否、ですね。とにかくそんな人間なのです、私は。
 先生のゼミでは、定期的にみんなの卒論の進捗状況を各々が報告していましたね。みんな、ちゃんと頑張ってた。それすらもなんだか懐かしく感じます。そのとき、私の卒論は他の人たちのと比べて明らかに稚拙で、救いようのない出来だなと度々痛感していました。実際、私がクソみたいな卒論っぽい可燃ごみをぐだぐだ読み上げながら報告していたとき、先生は非常に困惑していましたね。どこからつっこめばいいのかと。私も私とて、自分で書いておきながら内容が全く理解できず、勝手にみんなのと比較しては、もはや一種の趣味と化した自己嫌悪に浸って、卒論から目を背ける日々を過ごしておりました。本当に、どうしようもないですよね。
 変な話ですが、私は自分の卒論に何度も殺されかけました。正確には、無理やり書き殴った自分の卒論を見ては、何もかもが支離滅裂で心底呆れてしまい、書く気どころか読む気も失せては、衝動的に窓から飛び出してやろうと思ったことが何度もありました。私はアパートの結構高い階の部屋で一人暮らしをしているので、割と簡単にいつでも死ねる環境だったりするのです。それでも落下している最中にこんな軽い気持ちで飛び出すんじゃなかったと後悔しながら、迫りくるアスファルトを見ることしかできない私の姿を想像すると、どうしても怖くて踏みとどまりました。生きるのも死ぬのも、どっちも同じくらい怖いので、今はどっちも半分ずつって感じの状態です。はは、何を言っているのか、わけわかりませんね。これだから私は。
 気づいたら日を跨いでいました。そろそろ終わりにしたいと思います。これを書いて、先生に何かを伝えたかったわけではありませんし、何かを要求したかったわけでもありません。単なる私のゲロです。規定の文字数を満たすためだけに並べ立てられた哀れな言葉たちの列を無理やり目で追った後に、私のゲロまで見なければならないなんて、実にかわいそうですね。改めて、本当に申し訳ございませんでした。できれば単位ください。

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