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勉強に挫折は必要

挫折の経験は山ほどあります。ありますというか、現在進行形で年がら年中いろーんな挫折をしている最中。しかし私は挫折というものが不可避であり、不可欠であり、楽しいものだと捉えていますので、今回は「挫折の楽しみ方・有用性」を含めお伝えしたいと思います。

私の出身校は仙台一高というところで、県内のいわゆる最上位校に位置します。そのため「エリート中のエリート(ベジータみたいな感じ)」だけが通えるところだと思われています。しかし、私の通っていた中学校は普通の公立中学校でありましたが、毎年2,30名が仙台一高に合格しておりました。そして当時の一高は男子校。

さて、ここでお気づきでしょうか?単純計算でいくと、学年(女子含め)50位くらいでもギリ合格できそうな感じです。

中学生のとき最初はそれなりに一位を目指して勉強していたはずですが、何度かトライしてもできなかった(一桁さえ難しかった)。早々に上位は諦めて「とりあえず入れればいいか」とシフトチェンジ。無理をせず30位くらいを浮遊する作戦をとりました。するとやるべきこともグッと減り、当時一生懸命やってた部活との両立もバッチリ。非常に充実した中学生活を送ることができました。

物事を0か100で捉える人にとって挫折は「0」(むしろマイナス)ですが、実際はそうではなく、挫折は思考を整理するきっかけになります。私の場合、「志望校合格」が目標だったのであって、それを達成するのに学年トップを狙う必要はなかったわけです。どうやったって一位が取れない、という挫折によって、何がムダで何が大切かを確認でき、それを知ることによって生活全体の質が向上したのです。

こう書くと「要するに合格点を狙ってけってことね」と捉える人もいるでしょう。そうです。そうなんですが、その過程に「挫折」は不可欠だと思います。

・とりあえずフルパワーでチャレンジしてみた。でもダメだった。それでも目標を達成できるBプランは何か?

と考えるのと、

・なんとなく合格点を狙っていけばいいんでしょ?一生懸命とかダサいじゃん。挫折も辛いし。

みたいなアプローチでは雲泥の差が出ます。断言してもいいですが、後者の場合に志望校に合格できる可能性はゼロに近いでしょう。挑戦しないと全体像や頂上は見えません。それでは必要・不必要を判断できるはずもなく、ただ全体が「なんとなく」になってしまうだけです。

一方で前者は全体(頂上)を把握した上で作戦を練るので、必要・不必要の判断の質が向上します。こういう「前のめりの挫折」の繰り返しこそ、皆さんの勉強に必要なのではないかなぁと思います。

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