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コール・ミー・バイ・ウァッダファック

 僕、と言うと、なんだか自分がサブカル男子になったような気持ちになって、少し恥ずかしい。三六歳にもなって、まだ世の中の若者側にいるような気でいる、って周りから思われそうで。
 私、と言えば、すっかり染み付いた口調も相まって、オネエだからそう自分を呼ぶんだろうと、他人から分かったような顔で納得されてしまいそうでやっぱり嫌だなと思う。
 俺、だなんて言えない。それは小学生の頃からずっと避けてきた言葉だ。物心ついた時から、男性になることに漠然とした恐怖や忌避感があった。女の子になりたかったわけじゃないけれど、女の子みたいな男の子だった自分が、あの大人の「男性」とやらに近づいていくのが怖かった。子どものままでいたかった。

 一人称には、いつまで苦しめられるのだろう。

 僕、ぼく、ボク、私、あたし、アタシ。いろんな一人称を使ってきた。
 実験的に、またあるときは無意識に、同じ文章の中で混在させたこともある。ブログだけじゃない。原稿料をもらって書いた文章にも、僕がいたり、私がいたりした。

 ある時ブログのコメント欄で「私だか僕だかはっきりしろよ(笑)」と言われた。そうか、世の中の人はそんなこと気にするんだ、とちょっとびっくりした。
 そんなのどうでもいいだろ、ほっとけよ、って思った。
 そのときはたしか二十代前半だったから、強気でいることが価値のあることだと思ってたんだと思う。もし今同じことを言われたら、もう少し悩んでしまうんじゃないかな。

 十七歳で初めて英語圏に移り住んだときは、she と he の使い分けに苦労した。高校の教員に向かって何か言うときも、sir や ma'am、miss をしょっちゅう間違えていた。

 それまで日本語では常に「ミー」が果たして男なのか女なのか、何者なのか、を決めて表現していなければならないことに悩まされていたけれど、英語では、今度は「あの人」や「この人」、「あいつ」「こいつ」のひとりひとりがはたして女なのか男なのか、何者なのか、を自分で推定して、それを日々表現し続けなければならなかった。

 しんどいよ。どっちも。
 しんどくない?

 え、しんどいよね?
 そっか。しんどくない人もいるか。しんどくない人は、別にもう読まなくていいや。しんどい人だけ残ってくれ。残った人数分、おいしい紅茶でも沸かすよ。一緒に飲もう。

 ティーカップなんて無いから、ゴツいマグカップだけどいいよね。レモン浮かべてさ。砂糖の代わりに蜂蜜にする?

 あ、いいこと思いついちゃった。ウイスキーちょっと入れようよ、酒飲める人はさ。体の中からあったまろ。お酒飲まない人は、そうだな、生姜擦って入れよっか。ジンジャーティー。あったまるよ。別にあったまりたくないって人はそのまま飲んでもいいし、氷あるから自由に使ってね。

 そんでさ、しゃべろ。ユーとミーでさ、ユー自身やミー自身、そしてあいつやこいつ、あの人やこの人について。

 そんでウィーの話もしていこ。ウィーがゼムに対する抗議デモやったときの思い出話でもしようよ。
 そうそう、あれあれ。あいつの失言事件のときの。えー、あんときミーの動画ユー見てくれてたんだ。ありがとうー。

 そういやあの日さ、ユーとユー、ディズニー行くの優先したんじゃなかったっけ?(笑) だよねだよね、帰りのロイホで合流してなんか缶のクッキー配ってたよね、ウケる。
 でもあのクッキー美味しかったー。