神社でクィアがレボリューション

 夢で私は、アメリカのどこかの大学のキャンパスを歩いていた。
 複雑な細工が無数に施された古い木造の建物がいくつも並んでいる。黒い鉄の門や格子。くすみきった窓々が、夕方のかろうじて沈んでいない陽の光に赤く染まっている。私は数学の教員に会う用事があり、急いでいた。

 教員のオフィスがあるのは、キャンパスの東端だった。人文学の建物からは、歩いて20分はかかる。そのあいだにある自然科学の建物、社会科学の建物、図書館にカフェテリアが付いた建物には全て中央にアーチ型の通路があったので、学生の人混みをかきわけながら、私は一目散に走っていた。

 現代の学問は、人文学、社会科学、自然科学の三つに分類される。数学、天文学、哲学、音楽学の四つの分野を東端の建物に集約しているのは、この大学が古典的な学問を特別に崇高なものと認識していることの現れだろう。

 図書館まで走ると、一階のカフェテリアが学生でごった返していた。中に入りきらず、建物の外のベンチや芝生、アスファルトにも無数の学生がたむろしていた。通路部分も人で埋まっていたので、仕方なく南寄りのドアから一度カフェテリアに入って反対側に出ようと思った。

 ドアに入る直前、私は芝生に植えられた木々の影で何人もの裸の男性がまぐわっているのに気づいた。ぎょっとしたが、周囲を見ると、誰も気に留めている様子がない。
 気づくと、私の隣に友人のメレディスがいた。入学初日、私にキャンパスを案内してくれたのがメレディスだった。急いでいたはずなのに、私はなぜかまた入学初日みたいに、メレディスに疑問をぶつけた。

「あれって、この大学では普通なんですか?」

 メレディスは私の示す方角を一瞥し、「だって、毎週金曜日の午後6時からは、この辺はクィアスペースだもの」と事もなげに言う。
 そうか、そうですよね、と私はなぜか納得する。
 見渡すと確かに学生たちは、紫のアイシャドウをしていたり、黒のレザーのパンク風の服を着ていたり、顔中に無数のピアスをしていた。日本ではあまり見ないような、肥満体系で露出の激しい服を着た仏頂面の女性や、乳首の見えるベストを着たフェミニンな男性もいる。
 クィアスペース。言われてみれば、一見グループに分かれているようだが、通りがかった者と声をかけあったり、グループ間を行ったり来たりしている者もいる。ここに毎週金曜の夕方に集まるのは皆クィアで、緩い人間関係で全体が繋がっているのだろう。

 メレディスに促され、カフェテリアのドアを開けた。わっと人々の声が一気に耳を刺す。熱気。汗とメイクとレザーの匂い。だだっ広い空間を埋め尽くすように配置されているはずの木製のテーブルと椅子が、今は学生たちの姿で一切見えない。建物全体がクィアたちによって占拠されているかのようだった。
 所々に、カップルなのか初対面なのかは知らないが、キスをしている者たちがいた。と思えば、明らかに政治の話をしているグループもいる。また、白人ばかりが目立つこの大学にしては、驚くほどに人種が多様だった。

 メレディスに連れられ南の端まで行くと、メレディスの友人たちがいた。ジョシュとレベッカは椅子に、トリステンとキャットはテーブルにあぐらをかいて座っていた。

 四人は私を仲間に入れてくれた。「なんの話をしていたの」と聞くと、今度ダウンタウンにある神社で開催される地域のイベントのことだと言う。
 そのイベントは毎年この時期に行われるもので、地域の子どもたちは半強制的に参加させられるのだそうだ。当日は司祭が自ら参加者にしらすおにぎりを配り、その代わり、とても保守的なスピーチを聞かなければならないと言う。
 メレディスを含め、この五人は小さい頃から毎年参加させられてきたそうだ。昨年はトランスジェンダーがいかに嘘つきであるかという話を聞かされたらしい。

「参加しなきゃいけないわけじゃないんでしょ?」

 私がそう問うと、トリステンとレベッカが同時に「そうだけどねえ」と顔を歪ませて目をぐるりと上に回した。

 当日、私たち六人は普段に増して一際クィアな出立ちで神社に向かった。ジョシュなんて、ほぼ何も着ていないのと同じだった。あまりクィアな印象のなかったメレディスも、この日は金髪をピンクに染め、オールバックにしていた。

 参加者の椅子は、神社前の広場を囲むように円形に置かれていた。私たちは少しでも目立とうと、一番前の席に並んで座った。
 イベントが始まり、司会の挨拶が終わると、司祭が出てきた。
 真っ白な布に金の装飾が下品なほどに施された何かを着ている。司祭がマイクに向かって話し出すと、あまりの大声に、神社を囲うように生えた木々から鳥が何十匹も飛び立った。

 司祭は「懸念」と称して、彼の理解の範疇を超えた存在を次々に否定した。ムスリム、フェミニスト、中国人、そしてクィア。一番会場が盛り上がったのは、「このままだと、あんなクィアたちのせいで、私たちの国は滅びてしまうのです」と司祭が叫んだ瞬間だった。
 私は両脇に座っているメレディスたちを見た。こんな言われようをしていることに、腹が立たないのだろうか。五人はしかし諦めたような顔を浮かべている。何年も耐えてきた彼らのことを考えると、責めることはできないように感じた。

「では、歌いましょう」

 司祭がそう言うと、会場の人々が次々に立ち上がった。メレディスたちも、精一杯気怠そうに立ち上がる。私もそれに追従した。
 他の参加者が入場時に配られた冊子を開きだしたので、私も慌ててズボンの後ろポケットから冊子を出す。そこには今から歌う曲の歌詞が書いてあった。恥を捨てた差別主義者が思いつくままに綴った暴言のような内容に、私は一目見て吐き気がした。

 イントロが流れ始める。
 私は我慢できずに、着席した。それどころか、目一杯不満そうに、ふんぞり返ってやった。周囲がどよめく。目線を感じる。気づけば反対側の参加者たちも驚いた顔で私を見ている。非難するような目を向ける者もいた。あまりに驚いたのだろう、イントロが終わり、本来なら大合唱が始まるところに至っても、歌い出したのはせいぜい十数人だろうという声の厚みだった。
 司祭が異変に気付き、参加者たちの目線を辿る。私を見つけると、彼の目には憤怒の炎が浮かんだ。

 突然の私の抗議行動にメレディスたちは動揺している様子だった。ごめんね、部外者の特権だよね、と思っていると、私をじっと見ていたキャットが着席した。それを見たジョシュが続き、レベッカ、そしてほぼ同時にメレディスとトリステンが座った。六人が座れば十分嫌がらせ成功だろうと思っていたら、私の左隣に座っていた寡黙そうなオタク男子——勝手にそう呼ぶのもよくないけれど——がストンと席に着いた。するとドミノ倒しのように、周囲の参加者たちが次々に座り出したのだ。
 それはぐるりと会場全体に広がり、とうとう立っている参加者は十二人になってしまった。そう、あまりに愉快だったので数えたのだ。気が付くと、さっきまで不満を全身で表現していた私たちは、打って変わって目を見合わせ笑っていた。逆に、立っている十二人はとても不満そうに、がなるような声で歌っていた。

 司祭には曲を止めることもできただろう。しかし彼はそうしなかった。顔をずり上がった生え際いっぱいまで真っ赤にして、最後まで歌った。意地なのだろう。アウトロが終わりを迎えると、司祭は怒りを全身で表現しながら、ドスドスとステージを降りて神社の裏に消えていった。

 会場がシンと静まり返った。司会もどうしていいか分からず、キョロキョロと周りを見渡している。

「今年はおにぎりもらえないだろうね!」

 キャットが放った一言に、参加者が皆一気に爆笑した。
 メレディスと私が顔を見合わせて大笑いしていると、「そりゃそうだろ!」「今からしらすおにぎり持って出てくるの想像できる!?」などの声が聞こえた。

 きっと皆、誰かが座るのを待ってたんだろう。