日常と、「どうですか」とたずねること

この世の中もそのうち落ち着くのかなあ。
自粛慣れ、なんていうけれど、もう何が元々の普通だったのか私にはわからなくなってしまった。いろいろあるけれど、まあ映画も観れるし読書も進むし。私は実家と住まいが遠くないからかもしれないけれど。

唯一恋しいのは、夏の夜。

まだじりつきの残る夕方、友だちと駅前で待ち合わせをして、早々に冷えたお店の中でお酒を飲んで笑う。真っ暗の空でもまだべたつく肌と呼吸のしやすくなった風を感じながら、「もう一軒いっちゃうか」とはしゃいでスキップで街を抜ける。そういう夏。

ハイになるほどアルコールが効いているわけじゃない。でも刹那的な、今が一番しあわせかもなと本気で呟いてしまうような、マスクのないそのままの夏が恋しい。

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エッセイが好き。小説の合間に、覗きに行くように読むのが好き。

今は原田マハさんの「ジヴェルニーの食卓」をメインに置きながら、石田千さんの「夜明けのラジオ」に浸っている。


くらし。人の暮らしが目の前に見えるように読める。汗だくの台所でつくるアンチョビとオリーブオイルのスパゲティ、バスの中からみる土砂降り、鴨居にぶらさがるアイロンをかけたシャツ。そんな描写はなかったと思うけれど短パンから伸びる裸足でフローリングを歩く石田千さんすら浮かぶ。

暮らしそのものが自分。誰も私の代わりに「暮らしていくこと」などできないと、ちゃんと覚えておこう。見えないものと同じくらい、見えているもの、覚えているものも大切にしておこう。

とてもとても好きな文章があるので、少しだけ抜粋する。

たとえば、いま、風邪をひいて寝込む。友だちや家族は、おそらく心配をして、具合をあれこれ気にかけてくれる、そして、すっかりよくなったら、こんどはおなじような気持ちになって、どうですかとたずねる。
そのやりとりがかなわないひとが、すぐそばにいる。そう知っているのに、こんなに寒い日、なにもしていない。

もっとも大切なのは、お金や食べものをさし出すことではない。がんじがらめの孤独のとなりにすわって、耳をかたむける。ただそれだけのことに、富士山をめざすほどの勇気がいる。

時は金なりでいまの世ができ、ひとに対する接し方を遠ざけた。そうして節約した時間を、どう使ってきたのか。あたたまった胸に手をあててみる。

手持ちの時間の、使いみちが決まらないときは、すぐそばの、だれかのために使う。できることから始めてみる。寅どしに決めたこころがけは、なかなか難しい。

『夜明けのラジオ』より「わけあう時間」

いまの自分を丁寧に守って、そうして誰かを想いたい。


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