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ガラスの宇宙船でたまたまそこにいた人と旅に出る 「ピアニスト」向井山朋子展 メゾンエルメス

オランダを拠点に活動する向井山朋子さんのエキシビション。ピアノを、立春の日から毎日50〜120分、時間帯を一時間ずつずらして弾く、というパフォーマンス。真夜中にも朝方にも弾く日がある。平日の昼間ももちろん弾く。観客に優しくない。このハードルを乗り越えて集まるのはどんな人達で、どんな演奏がされ、どんな時間が流れるのかとても気になり、銀座のメゾンエルメスへ足を運ぶ事にした。

とはいえ、私もそのハードルを乗り越えるのはなかなか難しく、土曜日の17時から演奏が始まる回に参加した。

会場に入るとすでに演奏は始まっていて、この会場では今までみたことがないほどたくさんの人が集まっていた。人だかりで展示空間がどうなっているのかまったくわからない。音だけが聞こえてくる。 ミニマルなメロディが繰り返され、ふと転調し、音が響き、跳ね、新たなメロディが聞こえて、またもとに戻っていく。日が落ちていく海を眺めていくような感じ。鳥が飛び、雲がなびき、風が吹くような。または長時間のフライトでずっとエンジン音が聞こえているような。頭の中は瞑想か過集中のような状態になる。音の響きや広がりが、彫刻の立体感や建築の空間、絵画の色彩やマチエールのようにも思えてくる。 音楽に合わせて脳内では振り付けをはじめてしまう。私は絵や彫刻や建築が身近でバレエを習っているからでこういう変換になるんだけど、そういえば音楽家は音をどう聞いているんだろう。

この日の演奏はオランダの作曲家のSimeon Ten Holtの「Canto Ostinato」という曲。インタビューで本人がこの曲について話している記事があり、演奏の様子もyoutubeにある。だけど私が聞いた会ではこの映像よりももっとクリアに、ゆったり弾いていたと思う。その時自分で感じた感触のようなものはなるべく忘れたくない。こういう体験に取っての記録は、記憶を再生するための栞にしたい。

しばらくすると手前にいた人たちがぽつぽつと移動し始めて、展示空間を見渡せる位置に来れた。会場にはさまざまなピアノが運び込まれている。アップライトピアノ、グランドピアノ、蓋のないのや脚のないもの、積み上げてあるもの、吊るしてあるもの、などなど。向井山さんは一番奥の山になったピアノの一つに真剣な表情で向かっている。照明に照らし出されてピアニストの周りだけがふわりと明るい。


ピアノの間に目を向けると、みっしりと観客が座っている。ピアニストの方を見る人、目をつぶってメロデイを聴く人、眠ってしまった子供をあやしながら聴く人、自分もうとうとしている人(気持ちよくて寝ちゃうのわかる)、習い事のリュックを背負った小学生、デート中のカップル、学生。老若男女いろんな人がいるが、会場中が集中しているのが感じられる。ステージもなく椅子もない、演奏会としては特殊でハードな環境の中聴きにくる、というハードルを越えた一体感があるように思えた。

ピアニストの背後の赤と白のストライプがときたま動く。これはたぶん道の向こうにある不二家の看板だけど、レンゾ・ピアノのガラスの建築を通すとなんだか幻想的に見える。

ピアノの音色と、揺れ動く光と、ピアノを聴く人たちを眺めていたら、この空間が宇宙船にもなったような気持ちになった。飛行機よりも巨大な乗り物で、たまたま居合わせた人たちで、無事に目的地へ到着するのを祈っているような。

突然音がやみ、静かにピアニストが立ち上がると演奏は終わった。拍手の中、観客をかき分けて向井山さんは退場。観客はいそいそとおしゃべりをはじめ、日常の時間が帰ってきた。


この翌週、朝7時からの回にも出かけた。あまりにも夜に似合う音楽だったから、朝聴くとどう変わるのかが気になったから。

今度はピアノのあるエリアの中まで入ることができた。演奏するピアノの下に座って聞いている人がいた。セロ弾きのゴーシュの、セロの振動で病気を直すネズミの子供を思い出す。あんな聴き方、他ではなかなかできない。

朝の光は、暮れていく夕方のように瞑想的にはならない。メロディも、夜の底に降りていくような静かさではなく、夜通し走り続けて夜明けがみえた、切迫感と希望、と聞こえた。

演奏が終わったのは8:30頃。二度目の鑑賞ではメロディも覚え、演奏の一時間半で捕まえた音の感触を反芻しながら朝の銀座を歩いた。


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