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何もかも意味がないのではないかという朝

何もかも意味がないまま終わっていく気がする一日の始まり。
5月頭のくせに馬鹿みたいに雪が降って、外はびっくりするくらい静かだ。

大学生の頃、仲の良い友達と札幌に行った。
八戸港から苫小牧港までフェリーに乗って、道内の移動は友達が車を運転してくれた。
今思えば、まだまだ冬の北海道をよく運転してくれたなぁと感謝しかないし、当時の自分は今以上に自分本位で気が利かなかったろうなと悶えるくらいに恥ずかしくなる。
穴があったら入ってもう今世紀は出てきたくない。

なんで5年以上も前のことを今さらこんな形で残そうと思ったのかというと、単純に季節が冬に逆戻りして、雪の匂いを感じて、ふと当時を思い出しただけの話なんだけれども。

昔から写真が好きで、かつてはスマホ、今ではフィルムカメラを駆使して、旅行する時なんかはなんとなくパシャパシャやったりしている。
けれど、昔の写真の方がなんというか、
「あ〜この頃めっちゃ楽しそうだな」
という気持ちになる。

素人ながらに最近は構図とか撮り方とか露出がどうのこうの考えるようになったのだけど、
なんでだろう、昔くらい楽しそうな写真が撮れなくなってしまった。
別に私は仕事として写真を撮ってるわけじゃないし、誰かに撮った写真をあげるわけでもないし、
時たまスマホの写真フォルダをひっくり返して、思い出に浸るだけなのに。

Instagramで写真を載せて、たまーに「素敵な写真だね」と褒めてもらえたことに調子に乗って、
エモいと思われそうな写真を撮って、

それで私はどうしたいの?

昔は送電線とか電信柱とか、道ゆく人とか、そういうのが写っても全然気にしなかったし、
むしろ電柱なんかは好きで撮ったりしていて、
当時の写真は構図とか撮り方どうこうではなくて、もはや手ブレがひどかったり、連写機能使いまくったりしてたんだけど、それでも楽しかったと思う。

ショッピングモールの天井を見て、日の差し方が綺麗だな、とか

初めて来たススキノ、おもしれ〜!とか

工場地帯好き〜!とか

あそこ、船来てるよ!とか、

そういう小さいことだって楽しくて、
もっと世界が輝いていた気がする。

輝いている世界を追ってる自分が好きだった。

社会人になって、仕事、キャリア、転職、景気、実家のこと、親のこと、結婚して子供が産まれた友達たちのこと、転職して遠くに行く友達のこと。
ありがちな悩みや社会に自分が埋没していく気がして、もうどうしようもないなという諦観と絶望が混ざりに混ざって、何を生み出すでも、何を極めるでもない日々をこなしている。

八木重吉だったか。
ため息ばかりの私ならいっそ死んぢまった方がいいのかしら、なんて散文を残していたけれど。

私以外の人たちみんな、何を思って生きているんだろう。
この、明るい未来が見えない現代で何を糧に生きているのか、縋り付いて訊ねたくなる。

全部捨てて、本当に何もかも捨てて、世捨て人みたいな暮らしをすれば救われるのか。
あの時ああしていれば、あの日あんなことしなければ、誰しもが後悔を抱えて生きていることは知っているのだけど。

かつての、幼い頃の私が、高校生の私が、大学生の私が、社会人一年目の私が、今の私を見てため息を吐いている気がして本当に嫌だ。

世界はもっと美しくあるべきだろ!
と叫び出したくなる。
私の目がどんどん曇っていくから、何を見ても美しくない。私は私自身が醜いから代わりに美しいものを追っていたんだろ。アホらしいね、今の私は美しいものを追いかけて、自分がそのひとつであると錯覚してたんだね。

誰もいなくなってしまったな、と思う日もある。すぐに会える距離にいる友達はごく僅かになった。でも、私は今案外自由で、ふと我に返って身悶えするようなさみしさに打ちひしがれることもあるけど、また真っ青な海に沈む夕日でも見に行ければ、それでもういい気もする。

仲の良い友達は皆それぞれ家庭を持ったり、仕事をしたりしているけど、昔、馬鹿みたいに酒を飲みすぎて人目も憚らず、往来で抱き合って泣いた日もあった。そういう馬鹿な日々を少しずつでも重ねてゆけたら、それが私にとっては幸せだったんだ。今更かな。
神様はこの世の生きとし生けるものを「せーの」のかけ声で殺してくださらなかった。せめて一緒に死ねたなら、そうやって泣く私を慰めてくれたあいつらだった。めんどくさい人間だったね、私は。

何もかも無駄だったと、これから生きる日々もきっと何の糧にもならないまま続いてゆくのだろうけれど、今はただ、全て知らないフリをして、この最果てを行け。

自分の絶望と続く生活に発破をかけて、
これを今日の日記とします。

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