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「B」が教えてくれた、"言葉の先の人と向き合う"ということ

自分は「B」とどんなふうに向き合ってきただろうか。好きか嫌いかといえば圧倒的に嫌いだ。でも。最近ちょっと許せるようになってきた。長い間、ずっと、自分の「B」を厭うていた。

「B」とはブスのことだ。

尼神インターの狩野誠子さんの本『B あなたのおかげで今の私があります』を読んだ。誠子さんのBとのたくさんのエピソードが綴られている。誠子さんの書く文章はポジティブで、読みやすくて、とても綺麗だったから、あっという間に読み終えてしまった。

芸人さんの書く本だから、笑いどころがたくさんある本なんだろうなと勝手に思い込んでいたけど、その予想は裏切られてしまった。くすりと笑ってしまうような文章もあったけれど、どちらかというと感極まって目頭が熱くなってしまうことが多かった。誠子さんの幼少期から現在までの写真が並べられているSEIKO's ALBUMでは、思わず涙が出た。

Bを嫌って疎ましく思っていたこともあった誠子さんが、今ではBを愛して、Bがいない人生なんて考えられないというほどまでになっている。そうなった経緯やBの捉え方の変遷を読んでいたら、自ずと、私がBとどう向き合ってきたかを考えていた。

私はBに対して、未だに良い印象を持てないでいる。許せるようになってきたと言っても、嫌いなものは嫌いだ。でも、誠子さんとBのエピソードを読んでいたら、私もBのことを好きになれるような気がした。

誠子さんは、Bをポジティブに捉えるやり方を知っていて、悪いことばかりじゃないってことを教えてくれた。Bのまま自分を愛することは難しいことじゃないのだ。


読んでいた中で、とても胸に響いた一文がある。

誠子はそのとき思った。東京の芸人にとってBと言わないのが優しさで、大阪の芸人にとってBというのが優しさなのかもしれない、と。そして今の誠子にとって「ブス」という言葉は、かつて辞書で引いたときの「ブス」の意味ではなくなっていた。芸人としての彼女を想って言ってくれる「ブス」。今まで出会ってきた芸人みんながこの言葉にいろんな意味と優しさを与えてくれた。同じ言葉であってもその奥に秘められた想いを探したい。言葉の先の人と向き合いたい。

最近、ブスということ自体がタブー視されるようになってきたように感じている。私も、ブスと口に出すこと自体に嫌悪感を感じるうちの一人だ。だけど本当は、「ブス」という言葉自体が悪いわけじゃなくて、「ブス」ということが優しさであることもあるのだ。私は芸人さんじゃないから、そもそも周りに「ブス」と言ってくる人はほとんどいないけど、「ブス」と言われたとき、相手がどんな意図で、どんな想いで言っているのかを考えることはしたことがなかった。

「ブス」と言われたとき、自分がBだってことは痛いほどわかっていたからこそ、全部真に受けてしまって、相手のことを「この人は私にわざわざブスと言ってくる酷い人だ」と思い込んでいた。でももしかしたら、その人たちの放った「ブス」には、奥に秘められた優しさがあったのかもしれない。知らんけど。

「同じ言葉であってもその奥に秘められた想いを探したい。言葉の先の人と向き合いたい。」という最後の一文は、「ブス」に限らず全ての言葉に当てはまることだと思う。言葉はツールでしかないのだから、みんながみんな辞書通りの意味として使っているわけではない。言葉の先の人とちゃんと向き合わなくては、本当の意味でのコミュニケーションは取れないのだ。


私は大学生の時、どんどん魅力が増していく誠子さんが好きだった。誠子さんと同じ髪型になりたくてバッサリ髪を切ったこともある。でも最近はその熱も覚めて、誠子さんをテレビやSNSなどで追うことは無くなっていた。本を出したということを知ったのは、好きな芸人さんが「良かった」とTwitterで言っていたのをみたからだ。

それで久しぶりに誠子さんのことを思い出して、「好きな芸人さんがお勧めしてたし、読んでみようかな」くらいの軽い気持ちで読み始めたのだが、読み終わった今、大学生の頃以上に、誠子さんのことが好きになっている。

この本に出会えて良かった。多分この先、Bに関する辛いことがあったときはこの本のお世話になるんだろうなと思う。人生のバイブルの一つとして、これからも大切に読みたい一冊だ。

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