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結局、距離を置くのがいちばん早い

ただ生きているだけなのに、舐められてるな〜と感じることが多い。こっちが勝手に舐められていると感じているだけで向こうはそんなつもりはないのかもしれないけれど、「舐め」が滲み出ちゃってるなーと思ってしまう。「こいつならこれくらい言っても大丈夫だろう」という雰囲気を勝手に感じ取ってしまって、勝手に悔しい気持ちになる。

私が舐められやすい人間だなと感じ始めたのは子どものころだ。「舐める」という言葉は知らなかったけれど、言語化できないモヤモヤとして「舐め」を感じていたように思う。親からも、先生からも、クラスメートからも、「舐め」の気配を感じていた。

舐められてるなと感じるのは、例えば、アポなしで何時間も目的のない電話に付き合わされている時や、「死にたい」などの強い言葉によって「そんなことないよ」という言葉を無理やり言わされている時、私の大切な人たちのことを馬鹿にするような発言をされた時……。そんな時に、はらわたが煮え繰り返るような思いがする。いい大人なのに、「どいつもこいつも舐めやがって!!!」と地団駄を踏みたくなってしまう。

その一方で、私が自ら舐められても仕方ないような振る舞いや態度をとっているのかもしれないとも、昔から思っていた。10代の頃なんかは、「あぁ、こんなんだから舐められるんだよな」と、勝手に自己嫌悪に陥っていたこともある。それと同時に、「どいつもこいつも舐めやがって」と、強い憤りも感じていた。今思えば完全な一人相撲なのだけど。

30歳が見えてきた今ではもう、流石に自己嫌悪に陥ることはないけれど、強い憤りだけはいまだに残っている。ちょっと舐められたくらいで憤るなんて情けないなと思いつつも、それだけ自分にとって「舐められる」と言うことが怖いことなのだなとも思う。

舐められる怒りや恐怖を感じていながらも、心の底ではこれは認知の歪みだとわかっているのだ。本当に舐められていることもあると思うけれども、「私は舐められるような人間だ」という自己評価が、自分が舐められているという被害妄想を強めているだけなのだと、本当は気づいている。

そうはいっても、「舐められている」という被害妄想によってもたらされる負の感情は決して気持ちの良いものではなく、我慢したところでそのマイナスを上回るようなプラスを得られるとは到底思えない。だからここ1年くらいは、「自分を舐めてかかってくる人間からは離れるべき」という理念に基づいて動くことにしている。

そうしたら、びっくりするほど周りから人間がいなくなった。その人と関わることで自分が気持ちよく生きられないと思った時はLINEもブロックした。流石にブロックまで行ったのは一人だけだけど、なんか違うなと思ったら距離を置くことで、心の平穏を保つことに成功した。

なんか違うなと思った人とは距離を置く。これ以上にコスパよく心の平穏を取り戻す解決方法は無いんじゃ無いかなと思う。より劇的に解決する方法は自分を変えることだけど、それは時間も労力も半端じゃなくかかるから。

でも私は曲がりなりにも社会人なので、距離を置けない関係性もある。職場の人とはなかなか距離を置くことができないけれど、まあそれがなかなかに「なんか違うな」という感じで、「舐めやがって!」というイライラが日常の中でゼロになったというわけではない。お金をいただいているから何とか我慢できているという感じだ。

でも、それでいいような気もする。20年以上そうやって生きてきたのだし、ちょっとくらい生きづらさを抱えているほうが、人生楽しくなりそうな気もするからだ。

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