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退職読書日記 ♯2

退職…

その単語を現実的な思いで口にしてから一か月半が経ちました。

退職目指して荒野を進む私の意欲は、
燃え盛ったり、ちょろ火になったりしつつも、

「このままワーママは無理ぃ」

という思いはやはり消えることはないのでありました。

一旦消えた?と思った火も
炭の中ではまだ燻っていて、
空気送ると赤々となる状態ですかね。

この一か月半でいろいろ考えてみたり
考えるのをやめてぼーっとしてみたり

いきなり焦ってみたり、
どうでもよくなってみたり。

落ち着きのない不安定な脳内、
結論はまだ出ていない。

が、退職思考以前の私は
流れゆく日々のなかで、
とにかく来たボールを打ち返す倍速千本ノック状態だったので

「わたしとは、働くとは、育児とは何ぞや」

という自問が浮かぶこともほぼなく、

まれにあったとしてもその「?」をつまみ上げてまじまじと見つめるなんて作業は、

時間・体力・脳みそという、思考に必要なあらゆるリソース不足でできていなかった。

そいういう生活に
「TAISYOKU」
というワードを撃ち込んでみたら
それを軸にいろんなこと考えるようになりました。

だから、落ち着きなくあれこれ考えが巡っている今の状態も、

思考停止だった日々からしたら良い状態だと、そう思っています。

行き詰まったら、なにかしらのifを立てて検証してみるのっていいやり方なのかもしれない。

人生において「自分の乗り越えパターン」の手数を増やしていくのが大人ってやつかもしんないぜ。

さて、「いろんなことを考えるようになった」の一つとして

「退職したら今の問題解決するの?」

ということがある。

現在抱えている問題って、そりゃまあたくさんあるけど、

悩まし順位のかなり上位にランクインしているのが子供との関係です。

小学校に入学して慣れぬ生活、
子供にどうやって接する?ってこと。

正直、親子ともに疲れているのか、
双方イライラして怒りっぽくなりました。

私の導火線は日に日に短くなって、毎日同じことで怒っているのが馬鹿らしい…のにやめられない!

✔朝の支度に時間がかかる
✔ランドセルの片づけと翌日の準備をしない
✔漫画ばかり読んで宿題などのやるべきことをやらない
✔注意を無視する
✔それらを叱ると逆ギレされる


それを何度も何度も繰り返すものだから、こっちも常に戦闘態勢になってきて。

どうせいつもどおり、駄目なことばっかりするんだろ?
というスタンスになっちゃって。


こんな毎日、よくないと思いながら毎日叱り続けて

叱りループから抜け出せなくてやばい。

これって、退職して時間に余裕ができたらなくなるの?

早くしなさい!が減って穏やかになるの?

私は腕を組んでムンと考えました。

ポクポクポク・・・チーン

「いや、これ別に退職関係ないわ」

たしかに、時間に追われることは減るかもしれない。

私の体力ゲージの減りもマシになるかもしれない。

でも、それって「叱りまくる」を引き起こす何丁ものトリガーのうち、

どれを引くかってことのような気もする。

こっちに時間的余裕があったとしても、漫画ばっかり読んでる子供には変わらずムカつくはずだ。

つまり、働かなくなっても、
私が私のままならこのまま叱り続けるってことだわね。

「退職」がすべての問題を解決する万能ロイヤルストレートフラッシュだと思ってたら大間違いだよ、危ない危ない。

ということで?この本を読んでみました。

「〈叱る依存〉がとまらない」
怖いタイトル~。私のことやんけ~。
表紙のマゼンタピンクスライム、私だろ~。

背中に
「叱る依存がとまらない」
って刺繍した特攻服着て生活しているような私は

すがるような思い、
そして怖い思いで読み進めてみました。

以下、備忘録として簡単にまとめます。
(正確な要旨じゃないです、わたしフィルターかかってます。)

世の中には

「叱るってよくないけど、叱らないと伝わらないことがあるから、叱らないといけないときもあるよね」

という認識があるが

それ、違うんだそうで。
倫理的・道徳的な理由からではなくて、
そもそも単純に「叱る」ってことには効果があまりないそうです。

そして、効果がない割に副作用はとても大きいとのこと…

子供は叱られるとその場の恐怖とか苦痛から逃れることで頭がいっぱいになっちゃって、

「本来どうすればよかったのか」という、学んで欲しい具体的な事柄に意識は向かわず

「叱られたときにどうするか」というその場しのぎの対処法を学習してしまう。

子供に学ばせるには叱っても効果ないんですね…

「叱る」が機能するときって
「危機介入」と「抑止」
だけなんだそう。

「危機加入」っていうのは、危ないことしたときに「やめなさーい!」ということ。

「抑止」っていうのは「こういうことすると叱っちゃうからな~」と予告して予防的に使うこと。そして実際には叱らない。

この二つのパターンしか「叱る」っていうことが効果を生まないらしいです。

げ~。
私が毎日声を荒げてるのは無意味~。ただ声帯痛めつけてるだけ~。

そっか、意味ないんだね!
じゃ、今から叱るのやめまぁす。ニコニコ。

・・・ってなります?
ならないに一万ペリカですわ。

だって、あのハ??って一瞬に、
「効果ないからやめとこ♪」

って我に返ってコスパ・タイパ重視で自分をコントロールできる自信ない。
ないよ。

叱るって瞬発的なものだし、手っ取り早いし…

この本には「効果ない」ってわかったとしても
なんで叱ってしまうのかってことも書いてある。

叱ってしまう理由は次の2つが大きいようだ。

①叱ることで得られる自己効力感が気持ちいい。相手が自分の思い通りの望ましい行動をしたわ~、やったー!思い通りにしてやったぜ、ってやつですね。

②処罰感情が充足して気持ちいい(勧善懲悪の物語でスッキリするのと同じ。)

つまり、叱ることが報酬に繋がって、気持ちよくなってやめられなくなるということらしい。

しかも、その快感だけが叱る依存を起こしているわけではなくて、
「叱る側(あたい)」の方に叱りたいニーズがあって、
「叱られる人」を見つけて叱る。

という構図らしいです。

気持ちよくなりたい、という叱る側(あたい)の欲求があって、そして叱るべき人をロックオンして叱って、すっきり充足する。

叱る側のニーズっているのは、疲れとかストレスとか、うまくいかない現実とか、そういうの。

要は平たくいっちゃえば
ストレス溜まってる人(あたい)が、口実作って叱って鬱憤晴らしてるだけってことですね!!!

しかも、叱って得られる報酬は依存性が高いもんだから、

どんどん叱ることをやめられなくなって。
叱る方も叱られる方も慣れが出てきて、エスカレートしていく。

こわい~。
きっと私この状態なんだなって震えましたね。

叱られる側は慢性的に強い苦痛にさらされているから、心身のストレスも大きく、成長にも影響が…ひー

でもねぇ
ここまでわかっても、怖いって震えて反省しても、それでも叱ることをやめることはできないんだろうな。。。

なぜならそれが依存だから。

じゃあ

「やめたくてもやめられませんでした、残念!」

で終わっていいのか!?

よくない~。好転させたい~。

この本には、「叱る」を手放すための方法もいくつか説明してくれていました。

たぶん、すぐに全部実行はできないけど、意識するとしないとでは違うはず(と信じたい)

気を付けるべきはコレだ!!

1「危機介入」で叱るときもその状況がなくなった瞬間に叱るのをやめる!例えば、危ないところに上ったのなら、降りた瞬間に叱るのをやめる。

2 「抑止」で叱るときは、どんなことをしたら叱られるのか、あらかじめ伝えておく。何をしたら叱られるのか、どんな行動が求められるのか、何を大事に考えるべきか、という学んで欲しい具体的なことを事前に伝えておく。これは、叱った後にその流れで伝えるのはNG。
 叱られたときって理解力が下がっているし攻撃的になってるから素直に聞くことは難しい(わかる。。。)

3 問題が起こりそうなことを予測して防ぐ。叱ってしまう事態がなぜ起きるのか考えておく。子供の不適切な行動は「できない」のか「しない」のかを判断して対応する。
 まだできないことについて叱ってもできるようにはならない。できないことにはできるようになる方法を工夫してサポートする。
 因みに「過去にできたことがある」という事実だけでは「できる」とは判 断する根拠として十分ではないとのこと。
 子供って能力やスキルは環境やその時の状態に左右されやすいから「できるのにしない」って思って叱っても、そもそも「できない」ってこともあるそうです。「しない」のか「できない」のか迷ったら「できない」ものとして対応するのが無難なんだとか。

 「できるのにやらない!」ってキリキリすることがあるけど、あれって「できない」だったのかなあ。こういう視点を持つのも大事ですね。

あと、最後に「叱る自分を叱らない」!
たくさん叱ってしまう自分に罪悪感を感じて反省するのって立派で有効そうに思えるけど、そんな態度は役に立たない。

これ、わかる~。決意って意味ないですよね。
私も何度手帳に「怒らない!」って書いたことか…
そして何度自分を裏切ったことか…
裏切りの黒い手帳。

今こうやって、叱るを手放すための方法を書き留めたけど、
私はまた、今日も明日も叱るだろう。

叱りたくなったとき、とっさに「処罰感情…ッ!」とは思い出せないだろう…

2なんてさ、抑止のために前もって教え諭してたのに結局悪事働かれた日にゃ、

「あんだけ言っといただろが!」と余計にむかつきそう。

そして、また叱ってしまった…と、
この本を読んで、叱ることの悪さを理解しただけにより一層「やってしまった感」を味わって自己嫌悪になりそうだ。

でも、それでも知らなかったよりは知った今の方が、
好転に近づいたのだ、と思おう。

本を読んだり、知識を得るって、
それまで知らずに済んでいた物事の嫌な面に気付いてしまうことでもあるけど

知らずにのほほんとして誰かを傷つけたり何かを損なっているよりは、

気付いて知って、それでもまだ傷つけて損なってしまう自分を認めるほうが痛いけど、いい。

これを打っている今、
子供は宿題をやると机に向かっていたはずなのに
いつの間にかぬいぐるみを抱いて机の下にもぐっている。
ナニシテルノカナ???


 やるっていったことやりなさい!宿題終わらないよ!!
▶「どうした?なんか手伝ってほしい?」と声を掛ける

私の育児クエストはまだまだ続く。
万能ではないけど頼もしいアイテム、本を携えて勇者オカンは進むのだ。


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