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ごみ捨て場、あるいは宝石箱【これは日記】

久しぶりに友人たちとオンラインでお喋りをした。そこでした話が私の中で背中を丸めていた創作意欲をつついたのか、夜は久しぶりに、本当に久しぶりにパソコンの創作関係のフォルダを開いてみた。
そこには過去に書いた小説とか、書きかけで諦めた小説とか、物語の構想だけ書き留めたメモとか、ぽつぽつと作っていた短歌なんかのワードファイルがあった。
いくつかのファイルを開いて、久しぶりに自分の書いたものを読んでみる。すぐにバックスペースキーを連打してしまいたくなるところもあれば、情景や感情が見えてきて、悪くないんだけどな、なんて思うところもあった。
書いては放置してきた物語のかけらの集積所を眺めて、ちょうど15年前(もうすぐ命日だ)に亡くなった母との会話を思い出した。

私は母が亡くなる直前に、母と観に行くつもりで舞台のチケットを取っていた。2009年ラーメンズ第17回公演『TOWER』だ。
母は小林賢太郎が好きだった。私がラーメンズにハマった時に母に動画を見せたら予想外におもしろがってくれ、ある時実家に帰ったらDVDBOXまで購入していた。確か小林賢太郎テレビの初回も、実家で録画しておいてもらったものを一緒に観たはずだ。
そんなこんなのハマりようだったから、一緒に生の舞台を観に行こうと誘い、チケットを取ったのだ。

でも結局、初めての母との観劇は叶わなかった。チケットが取れたことを報告するメールに、たくさんの絵文字つきで返信があったのを覚えている。6月の公演を楽しみにしていた母が亡くなったのは、3月だった。

確か小林賢太郎テレビの密着ドキュメンタリーパートを観た母は、こんなことを言っていた。おもしろいことの種は石ころみたいにあちこちに転がっているけど、だいたいみんな見向きもしない。でもそれが実はかけがえのない創作の種なんだと気がついて、石ころが宝石になると信じて磨き続けられる人が、プロなんだろうね。確かそんなようなことだ。
きっとドキュメンタリーに記録された小林賢太郎の作品づくりに対するストイックさを見て、そう思ったんだろう。

母は俳句をやっている人だったので、創作にはきっと一家言あったんだと思う。けど、その時の私は自分で何かを作り出そうなんて思ってもいなかったから、まあ、聞き流していた。
でも何年もして自分で書くようになってから、この時の会話を、折に触れて思い出す。

今日久しぶりに自分の書いたものや書ききれないまま放り出したいくつかの文章を見て、またこの会話を思い出した。種を見つけた。磨き始めてもみた。でも「これが宝石に? まさか」という疑いに負けた私は、石ころを磨く手を止めた。それを繰り返した私の放った残骸が重なった集積所が、パソコンの中のあのフォルダだ。

成仏させてあげたい。尊いなと思ったはずの物語の中のキャラクターや情景を、きちんと成立させてあげたい。私が私を信じて磨き続ければ、きっとできるはずなのに。


#日記 #創作 #エッセイ

子供の就寝後にリビングで書くことの多い私ですが、本当はカフェなんかに籠って美味しいコーヒーを飲みながら執筆したいのです。いただいたサポートは、そんなときのカフェ代にさせていただきます。粛々と書く…!