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文学カレー それは文学を読みたくなるカレーです。

カレーとは何か。それを定義するのは難しく「汁気のあるなしにかかわらず、カレー粉で味つけされた全ての料理」と「カレーの歴史」という本の中には書かれています。カレーを最初に食べた日本人は山川健次郎だと言われています、会津藩士で白虎隊として西軍と戦い、後に東京帝国大学総長となった山川。明治4年に国費留学生としてアメリカに渡る船でカレーが出されたそうです。
 明治初期にイギリスからカレーが伝わったと言われています。明治5年に書かれた「西洋料理指南」には具材として、鳥、エビ、カキ貝とともに赤ガエルと書かれており、これは当時のフランス料理の影響があったのではないいか言われています。この料理書が出てから150年。様々な料理人の創意工夫のおかげで、カレーはラーメンと並ぶ国民食と言われるまでになりました。この流れは留まることをしらず、今日この瞬間もプロの料理人だけではなく、多くのカレー好きがスパイスの魔術をかけるべく、切磋琢磨しています。
近代文学も、明治になって日本に入って来ました。明治18年に書かれた坪内逍遥「小説神髄」によってはじまり、明治20年に書かれた二葉亭四迷「浮雲」が近代文学の嚆矢と言われています。日本の文学者は様々な西洋文学の影響を受けながら、日本語で文学を書いていきました。それら文学者の様を小林秀雄は「みんな眼高手低に苦しんだ」と中村光夫との対談で述べています。目標は高いが実力が足りないことを意味するこの言葉は、まさに産みの苦しみに藻掻いた、明治の文学者の姿を言い表しているのでしょう。
カレーと文学。まったく異なったように見える、二つの事柄は、実は似たような経緯で入り、発展し、今に至っています。文学カレーシリーズは、食と言葉の融合を試みているコクテイル書房がお届けする、新しい読書の入り口への提案です。食べることで読みたくなるカレーを目指し、日々努力を続けていきます。

文学カレー漱石
 
夏目漱石に捧げるカレーを目指してつくりました。漱石の大好物だった牛肉をメインの具材に選びました。牛肉にもこだわり、漱石の代表作の一つ「坊ちゃん」の舞台だった、愛媛県の和牛「愛媛あかね和牛」を使っています。生涯胃痛と神経衰弱に苦しんだ彼の心と身体に寄り添うように、スパイスを選び配合しました。野菜は細かく刻み、ルーに溶け込ませ、辛さを抑えて、油分を少なめにするなど、出来る限り胃への負担を軽くしました。隠し味には、これも好物だったいちごジャムを入れ、また、留学先のイギリス産の黒ビールを加えて、彼の地で味わった思いをかすかな「苦味」として加え、味に奥行きを与えました。パッケージの中には文士の似顔絵が描かれたポストカードと、漱石とカレーの関りを書いた小冊子が入っています。

文学カレー朔太郎
 
下北沢のシェア型書店ブックショップトラベラー店主和氣正幸さんと共同で開発。詩人、萩原朔太郎は、明治12年前橋市で生まれ、昭和17年に現下北沢(北沢2丁目)が終の棲家となった。この関係で下北沢の文学ご当地カレーという面もある。大正6年に刊行された処女詩集「月に吠える」の中にある「雲雀料理」という詩があります。
 
「5月の朝の新緑と薫風は私の生活を貴族にする。
したたる空色の窓の下で、私の愛する女と共に
純銀のふぉうくを動かしたい。
私の生活にもいつかは一度、あの空に光る、
雲雀料理の愛の空を盗んで喰べたい」
 
この詩の世界をカレーで表現しました。空を飛ぶ雲雀の様を、鳥の手羽で表し、食後には五月の朝のようにさわやかになれるカレーとなっております。また酒好きの朔太郎のために、二日酔いの朝にも食べることができるよう、肝臓にいいスパイスを配合。お酒好きの方にもおすすめです。
 

文学カレー「太宰」
 
太宰が見た風景をカレーにしました。故郷の津軽は雪深い土地です。雪景色をホワイトカレーにしました。「津軽の食材が一番だ」と妻に語っていた太宰。その思いを組んで地鳥「津軽鳥」を入れました。また三鷹の終の住処「畑の中の家」。帰り道は三鷹の野菜を見ながら帰ったことでしょう。三鷹産の野菜も入っています。温めたカレーの上に、太宰のハートを散らすように、小袋のピンクペッパーをつぶし、散らしてください。太宰からの恋文のようなカレーになっているはずです。パッケージの裏面は、太宰の処女作「晩年」の奥付をベースにつくりました。

歴史カレー「澁澤栄一」
 
オートミールを毎朝食べていた渋沢栄一。終生フランスとの友好に心を砕いた渋沢の思いにこたえ、生クリームの入ったフランス風のオートミール入りカレーリゾットをつくりました。故郷の群馬のネギや野菜を入れ、朝食にも最適なあっさりとしながらもコクのあるように仕上がりました。パッケージにもこだわり、基本デザインは明治初期の主要な輸出品だったお茶を入れた「茶箱」から取り、文明開化の象徴だった日本橋の街並みを描きました。


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