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時間がない

もういろいろ言い繕うのはよそう。自分が「死ぬ」という現実を見据えてしまってから、ぼくはその意味を真剣に考えている。

もちろん、死ぬ「可能性」は誰でもある。明日突然事故にあう人もいるかもしれないし、そういうことをいい出したらきりがない。

ただ、医療の側から、面と向かって「死ぬ可能性が高い」と指摘されたのは初めてだったので、一瞬のけぞり、その意味をしっかり受け止めて、いま文章を書いている。

死を受け止めて生きるとは、たとえば「あと2年生きられる」となったとき、あと2年で何ができる? と考えることだ、と言ってももいい。やることが自分の好きなことだけでも、2年しか続けられないということである。

こうなったら、

・「がんばって寿命を伸ばす」か、
・「無駄を省いて効率的に生きる」か。
・「何かを諦める」
しかない。

実際にぼくは96.5Kgだった体重がいま、84.5Kgにいまなっていて、「2年で死ぬ」とは栄養士さんも医師も言わなくなった。

ただ、5年で死ぬ可能性(しかも突然死)ということを考え合わせたとき、「5年で死んだ時、自分は何ができるのか」

ということを真剣に考えていた。

就職はどうするの?

「いまから体を直して来年から2年くらい職業訓練をして、3年働ける」

この未来にぼくは希望を持てない。

「たかが5年で死ぬかも」

っていう人が、いまから障がい者として職業訓練を受けて、2年の就労移行支援をへて、健常者より低い賃金で障がい者雇用が3年できたことで、納得して死ねるとおもう?

ほんとうに自分だったらどうするか。真剣に考えていた。

私が一番しっくり来たのは、「本を読むこと」だった。

5年って言ってもよくわからない。
5年の間に、何冊本が読めるのか?

と自分に聞くと、めちゃくちゃ危機感が湧いてきた。

「あ、大学時代に経験した感覚だ」

と思う。

                ※

大学の時、ぼくは漱石の研究をしていた。

まあいろいろあったんだけど、特に4年生になってから、就職活動をする以前に勉強をしていて、何一つ身についてないという自覚があって、4年生のときに完全にノイローゼになった。どんなに嘆いてもあと1年しかない。

そこからがんばって、朝起きてから午前4時まで、血尿が出るまで本を読んでいて、結局、何一つ身につかなかった。

そもそも国文学の研究範囲というのがめちゃくちゃ広くて、近代文学を選んだ自分を後悔したくらい。

ぼくは当時の知識人たちよりは、「日本の現代語」についてはネイティヴだったけど、それは実際は、言文一致で漱石たちが作った言葉ではないか。と思って、漱石を読むたびに神経衰弱になった。

彼らは幼いときから、漢文・和文・それに洋(当然原文、英仏露独あたりのいずれか)文をすらすら読めたり、翻訳できるくらいの教養を身につけていて、男性はほぼ帝大(いまでいう東大)出身のエリートだった。

比較するわけじゃないけど、ぼくでは到底たちうちできない。いや、いまから漱石のレベルに追いつこうと思った時点で、追いつけたとしてあと何年かかる? という事実に絶望してしまう。

10年?

「しかし、勉強ができる期間はあと1年しかないぞ」

ということになる。

漱石も子規も俳句をやっていたし、実はいまジャンルとして消えてしまったんだけど、ふつうに「漢詩」も書ける。

文学の範囲は広い。彼らは漢文も素読できたし、和歌も意味は普通にわかる。それでいて、英仏独露のどれかの言語をおもいっきり翻訳できるくらいの言語レベルはあった。

ジャンルなんてものはそもそもない。

それでいて、漱石や二葉亭四迷が苦心して「書き言葉」にしたのが、いまのわれわれが喋っている「現代日本語」である。

まだ100年ちょっとの歴史しかないけど、じぶんはもう昭和生まれなので、「現代日本語」の「現代仮名遣い」しか教育されてない世代だ。

漱石は当たり前のように旧かななので、全集を読むのも大変だった。

これで、漱石はまだ「易しいほう」なのだ。少なくとも作品を読むと意味がわかる。

友人の子規も当然読んだ。(大学のときにすでに短歌のことは知っていた)ただ彼の本を読んで、短歌を自分でやる気にはならなかった。むしろ絶望して、「短歌なんてジャンルはないんだ」と思うしかなかった。

「現代短歌なんてものはない」

第二芸術論以前に、短歌がまだ続いていることを大学生の僕は知らなかった。俵万智さんしかしらない。その俵さんも、どこで短歌を習っているかなんて全く関心がなくて、小説家志望の人が「突然短歌書いてみた」みたいにしか思ってなかった。

だって「歌詠みに与える書」って、いきなり候文(そうろうぶん)じゃないですか…。

そして、のっけから言ってることが「古今集はくだらなくて万葉集はいい」みたいな価値判断の話だから、そもそも「古今集」も「万葉集」も意味がわからない大学生の自分に判断がつく話でもない。

田舎で18歳まで太宰以降の現代小説しか読んでない私が、いきなり和文を解釈しろと言われても...。

「ああ、時間がない。枕詞? 掛詞? 縁語?」

和文はムリだと思った。

漢文は和文よりマシだと思ったけど、でも全然ムリ。漱石の漢詩は読んだ(全集の最後に乗ってる)けど、良さをわかることもできず...。

              ※

当時は樋口一葉の「たけくらべ」さえ、かなり苦労していて、あれは古文の文体で、会話だけ現代語みたいな擬古文だとはいうけど、登場人物が5人の少年少女。今で言う「群像劇」だから、誰が何をしゃべっているか把握するまで、文を理解しないといけない。

(ちょうど俵万智さんが、樋口一葉体験について語っていて、ああ、よかったと思う。同じような体験をしている)

まったくおっしゃるとおり。一葉はもっとも魅力的で、文章も優れている作家なんだけど、その文章の良さを初読で理解できる現代の日本人はおそらく少ないと思う。何回かめくって投げ出す人は多い。俵さんのおっしゃるとおり、耳で聞いて、良さをわかるのが多分近道だと思う。オーディブルを作ってほしいくらい。

              ※

そして私は、小学生の頃から寺山修司という人をよく知っていて、大好きな作家だったけど、彼が「短歌」を作っていることを知っていたか、あやうい。そもそも「短歌」「俳句」というだけで、読まなかったと思う。

「え、寺山さんって詩人なの?」としか思えず、ひたすら彼のエッセイを愛読していたし、寺山さんが作詞した浅川マキの「かもめ」を愛唱し、ひたすらフォークソングにはまっていたのが私の寺山修司の原体験である。

・彼が競馬が好きで、ミオソチス(忘れな草)という名前の牝馬を愛したこと。

・寺山さん周りの交友関係は知っていて、虫明亜呂無、山口瞳、色川武大。彼らが文学者である以前にめっぽうな競馬好きだということ。

・アングラ、という概念の創始者、天井桟敷はみたことがないけど、名前はしっていた。

という三点。まさかあの寺山さんが、短歌の世界で前衛短歌の三傑になっていて、いまでも歌人は寺山さんの短歌の話しかしない、ということにびびっている。

            ※

そして、国文学科は和・漢だけではなく、洋もめちゃくちゃ理解しないといけなくて、ほんとあの頃、ポストモダン思想が流行っていた。ポストモダンの人はほぼフランス語の人が多い。

実際翻訳を何冊買ったか。

ジャン・リュック・ナンシーと西谷修、
ロラン・バルトとみすず書房、
ジャック・デリダの「グラマトロジーについて」、「フッサールの初期論文の研究」
ドゥルーズ「アンチ・オイディプス」
をはじめ、いくつものフランス哲学者の翻訳本。

全部買って最後まで読もうとしたけど、通読できたのはバルトとフーコーの「言葉と物」くらいで、あとはもうわけわからん...。ただ、東京にいてこの文物に触れないのは嘘だ、と思って熱病のようにフランス現代思想やベンヤミンからはじまるメディア論(なかには貴重な本もあった)、そして彼らの概念を理解するため、ヘーゲル、カント、ニーチェなどは岩波で持っていた。

全部、いっしょうものです。

そう。4年で理解できることではない。研究者が一生研究していることをつまみ食いして4年で卒業??

改めて戻ります。

4年で、「和文・漢文・洋(翻訳)」、さらに、「哲・文・史」すべてを詰め込んだ結果、わたしはパンクした。

うちに膨大な書物を溜め込んでしまい、家に入れなくなったこともある。
寝てる間に本が雪崩れてきて、起きたら埋もれていたこともある。

このなかから何を取捨選択するか、なんて自分にはできない。結局、4年で目立った成果も挙げられず、神経衰弱になって(そこだけは漱石みたい)1年留年し、5年。

「どうせ結婚するんでしょ」と言う感じで、親がお金を出してくれて大学院に行ける女子学生たちを羨ましく思いながら、ぼくは大学をほぼ逃げ出すみたいな形で卒業した。

(多分、あの頃大学院なんかにいったら、ほんとに入院してたと思うから、いいところで社会に出てよかった)

そんな経験がぱーっと蘇ってくる。

                 ※

で、そんな私が小林秀雄にであって、「この人すげーな」と思ったけど、大学のときに「小林秀雄? 印象批評の人でしょ?」 というテクスト論を学んだ学生の一瞥にびっくりして、「いや、そうかもしれんけど、この人の読書量に俺は勝てないよ」という純粋な脅威と、彼に対する無理解に驚いた。

結局歌人として枡野浩一さんの作品にであって、「自分でもやってみよう」とおもって歌人になったはいいけど、「歌人になる以上は」と思って、短歌以外の読書体験を全部封印した。

歌人になったつもりで、あの国産車が一台買えたであろう投資をした哲学書の数々も売ってしまった。

(しかもあれだけの量の本を叩き売りして、古本屋の買い取り値が14000円?)

そんな私が、あと5年を取捨選択しろと。

                      ※

普通にやってたら勝てない。

歌人のフリなんかしても、そもそも29歳で歌人になったぼくは、同世代で短歌をはじめた人たち(学生短歌会出身の人)より、10年以上始めた時期は遅い。

いまさら、歌人のフリをしろと。そして短歌の話しかしないで、「おまえは文学を舐めて、逃げ帰った」と文学に言われたような思いのまま、大学で体験したことを、墓まで持って帰れと。

できるかそんなこと!

そう思ったら悔しくて、就職しないまま5年で死ぬよりも、このまま何も語らずに「つまらない歌人」として生きる5年間のほうがはるかにカッコ悪いと気づいた。

そう、実用的かどうか、なんてどうでもいい。
文学が社会の役に立つか、なんてどうでもいい。

いや、うちのおじさんが親父が死んだときに怒鳴り込んできて、「文学はなんの役にたつんだ」といきなり喧嘩になって、「いますぐ就職しろ」と、強引に中退を迫られた時、

その彼らが「社会の役にたっている」と自負していたが、その基準がたかが「定職についていること」でしかなかったという事実に、ぼくは唖然とした。

戦後世代ってこうなんだ。戦後生まれの団塊の世代なんてこのくらいの教養しかないんだ、と思った。

親父は俺に「勉強しろ」と言って、何も言わずに大金を俺に投資してくれたのに、このまま5年、わずかな賃金を得るためにあくせくして死んだら、墓場で「親父が投資してくれた事実」すら、その面目すら潰してしまう。

46歳になって何もなし得ないことと、
働けないこと

どっちがみっともないんだい?

そう自問した。

結論はあきらかだ。

文学がやりたくて文学部に入った。

しかし、周りの目を気にして、そのアドバンテージを活かしきれないまま46歳になった。かろうじて短歌をやっている。趣味程度のものだ。

いまは売れっ子でもなく、病気で、貧乏で、発達障害で、それに流されて「何も言わず」に人生を終わる自分のほうがみっともない。

あと5年で何するの?

結論は「本を読む」しかない。

そう思った。

ぼくはいま、ひたすら勉強している。

そう。歌人ではなく、文学のなかで短歌をどう捉えるか。

そしてぼくが「わかる」と思った感性は一体なんなのか。

5年で答えをある程度出せずに死んだら、みっともない。

               ※

 本当のことを言おうか
 詩人のふりはしているが
 私は詩人ではない

         -谷川俊太郎『鳥羽』

按ずるに筆は一本也、箸は二本也。衆寡敵せずと知るべし。

         -斎藤緑雨(異論はあるけど…)

ぼくは、決めた。

残りの人生、たとえ困窮しようとも、定職につくより学業を優先して生きる。生活保護になったっていいじゃない。私は就職より、得意で可能性があるものに賭けるしかないのだ。

そして苦手なことをことごとく得意にしていく。

いま色々書いているけど、

「発達障害は片付けできないは本当か?」

とか

「タバコをやめる心構え」

とか。

そしてたまに「文学らしきもの」

を書くかもしれない。

いま、短歌はほとんど読んでいない。ちょうど文学部で勉強している最中に、ことごとく現代小説が退屈に見えて、もう文学やめようと思った事態に似ている。

いまだから語れる理由もあるだろう。

いまなら、文学のジャンルは、

小説、短歌、俳句、詩、随筆

だけじゃないことも言えるだろう。

短歌の賞取りレースがいかにくだらないか、
それを小説で起きたできごとに当てはめて説明できるだろう。

(それとも私がロードス島戦記やフォーチュン・クエストの魅力を語れないとでも…。)

そう、すべての読んだ書物や経験したできごとをかけて文章を書く。決してお金のためではない。

そしてその後、みんなが私をどう言おうかなんて関係ない。

そういう心構えで臨むことにしたのだ。

(実はいま新たな症状が出て、また治療中です。更新頻度は遅いけど、
書けなくなるより書いたほうがいい。またがんばります)

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