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溶け込む

「自分が何者であるか」

これは人生において、誰しもが一度は考えたことのある永遠のテーマではないだろうか。

だが、これをまじまじと「私・僕って誰なんだろう?」と問われると、
「いきなりどうしたの?」と驚いてしまうものだ。

人から問われると「うーん。答えがあるものだろうか。」と悩むような質問も、独りになると答えのない迷路に迷い込んでしまうことがないだろうか。

そんな迷路に迷いこんでしまうと、まるで自分が空気と溶け込んでしまうような感覚に襲われてひどく怖くなることがある。

人には
「周囲と同じでいたい。」
「どこかに所属したい。」という欲求が本能的に備わっている。

そんな本能に私は物心ついた時からずっと逆らってきたように思う。

例えるなら、右利きの人が左手で一生懸命に字を練習する感覚に近い。

そして27歳の今、私にとって左手で字を書くことはそんな大したことじゃなくなった。

しかし、ふとした瞬間に右手が出てしまう。

それがつまり、一般常識に寄せていく自己防衛なんだろうと思う。
目の前に岩があって避けないなんてことは怖くて出来ない。

が、しかし。

ここ最近はその岩を避けるのではなく、次に通る人の邪魔にならないように、「どうしたらその岩を動かせるか。」についてよく考えるようになった。

自分の希望や流儀だけで物事を判断せず、他人の存在を尊重し集団の中に溶け込んでいく。

いるのかいないのか分からなくてもいい。

それでも、主体的に何かの役目を果たしていく事で人生における壮大なクエッションに溶け込んでいくスタイル。



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