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わたしと釜芸

#02 それってアートだよね。だから。

江藤まちこ

アートとは?という問いは、陳腐なほどに永遠の命題である。学生時代は芸術学を選んで勉強していた。社会人になる頃にはバブルは崩壊していて、とにかく手に職をつけようと凝り固まって昼も夜も休日も働き、アートに対しては長年鑑賞者でいた。でも、好きだった。2015年に家族の都合で東京へ移ることになり、すわチャンスと、アート現場の担い手を育成する学校に通った。運営したり表現する側に、アートの関わり方が拡がった。数年前、20代の頃に通っていた神戸の美術講座の講師であった方に再会した際、その方は「戻ってきたのね」と言ってくださった。大きくぐるっと回って遅れてスタート地点に立ち、そして帰阪した後のこの6年間は、わたしにできるアートのかたちとはどんなものだろう?と問い続けた日々であり、それは並行して釜芸に身体を入れて釜芸を身体に通して考え続けた日々であった。

帰阪してすぐ、2017年4月末に初めて釜芸に来た。それからのち、庭には井戸ができ、焚き火場ができ、本間にブックカフェができ、コロナ禍下の年月があり、ココルームのスタッフも交代し、かまぷ~(Kamagasaki Art Manegement Professional の略。釜芸運営チームのメンバーを指す。)としての携わり方や役割も少しずつ変化してきた。協力しあう仲間もいつも変動する。

わたしの日中の仕事も変わった。3年前まではアートスペースのスタッフと化粧品メーカーの催事のバックオフィスを掛け持ちでやっていた。その後から今までの3年余はIT関連企業の販売促進の仕事をしている。

ココルーム/釜ヶ崎芸術大学をかんたんにいい表すことは難しい。理解ができていないことも多い。わからないままにくりかえす日常と遷り変わりのなかで、「そういうことなのかもしれない」と、釜芸との関わりを通して気づくことが幾度もあった。

最初の2年ぐらいで、わたしは「釜芸に来て傷つくということがないな」とふと感じ、その理由はこの場では「思いやりが標準装備」なんだと考えるに至った。雑多な業務を忙しくこなすスタッフはいつも笑顔で接してくれ、かまぷ~どうしはそれぞれの事情を深く聞くわけでもなく協力しあい、釜ヶ崎で生きる人の流儀は詮索しないことであるから、であう人にあれこれ尋ねられることもない。一定の礼儀が存在していることを感じていた。一方で、一定の礼儀が保たれない場合は、釜芸であっても歓迎はしないことも理解した。場を維持していくには当然のことだと思う。

わたしが最初に釜芸の表現手法を体験したのは、詩の講座であった。「こころのたねとして」を略して「こたね」とも呼ばれる、上田假奈代さんが釜ヶ崎で過ごす日常のなかで生み出した手法である。こたねは2人一組になって相手にインタビューし、聞いた相手のことを詩に表現する。釜芸の恒例講座の一つ、合作俳句も、上・中・下の句をそれぞれ別の人が詠む、3人で合作して完成する俳句である。自分一人で創作するのではなく、人との関わりのなかで表現を試みる。そうすることで、ほどよい無責任さと相手を思う真剣さもあいまって、一人の創作ではありえないような表現の転びが生まれる。そして、笑う。泣きもする。そう、わたしは初めて詩の講座に参加した時、相手の方がつくってくれた音楽が響いているような詩の朗読を聞いて、鼻をツンとさせていた。

釜芸では、現代アート作品が溢れるレストラン世沙弥(せさみ)※を訪れて表現活動をするツアー企画を定期的に行なっている。二度目となった2021年10月11日の世沙弥ツアーでは、3人で一つの造形作品を上書きして制作する試みをおこなってみた。詩や合作俳句のような複数人でおこなう創作を、ことばから飛び出して、造形にも応用してみるということだ。すると、オーナーの和田大象さんが材料に書物や生の柘榴の実を提供してくださって作品は立体にもなり、それぞれ自由な表現の創作物をつくりあげていった。
ここでわたしは、協働で創作することで、一人でなにかを制作するときに感じてきた自分自身への呪縛、評価や見た目を気にするということからも放たれるということを体験した。自分から自分を引き剥がしてみることと、そうすることで得られる自由について、好きな盆踊りや踊り念仏になぞらえたりして、ずっと考え続けている。

また、釜芸の企画も、假奈代さんはじめスタッフとかまぷ~とで話し合って決められていく。長く印刷物やWeb・映像・空間などの制作ディレクションを仕事にしてきたわたしは、デザイナーやライター、施工会社などのブレーンと共にチームで仕事をしてきた。粘り強い話し合いから出てくる良いアイデアや、協働して得られる喜びを何度も経験していて、なにをするにもチームでやりたいと思う方だ。釜芸には常に協働する楽しさがある。

2021.10.11. 釜ヶ崎芸術大学2022「世沙弥ツアー 現代美術が放つ刺激をどうする?」で合作した作品

2018年、ビールの空き缶で酒をあおる酔っぱらいの通天閣の精巧なからくり人形をつくるからくり博士が講師になった。これまで学生であった側の釡のおっちゃんから学ぶということが始まり、2019年、都会の真ん中の緑あふれる庭に井戸を掘るのも、随所で釡のおっちゃん達の経験と知識に導かれて進められた。主客の逆転が起こっていて、今では教える側と学ぶ側に境界はなくなっているようにも思われる。そもそも、講座を進行する上田假奈代さんも、わたしたちかまぷ~も、ファシリテートしながらも、参加者と一緒になって詩をつくり、句をつくり、考え、表現する。全員でやる。この大学のふりをしている芸術大学は、「主客が存在しない」のではないかという考えを持ちつつ、頭のなかで検証している最中である。

昨年からかまぷ~仲間の松本渚さんと”いわにたまご”というユニット名で、「はたらく」をテーマにした講座を担当させてもらっている。このテーマは釜芸の講座の実践から湧き上がってきたもので、渚さんと私が講座の継続を強く望んだ。わたしにとってこのテーマは、わたしができることを模索するなかで興味を持ち勉強してきたことと共通性が高かった。そして、多くの犠牲を払いながら時に猛烈にはたらいてきたわたしが見てきたこと感じてきたこと、そして多くの反省を土台に、他者のはたらくことに対する思いを聞き表現に換えてもらうということは、わたしがいまできる役割だと感じている。またとても嬉しいことに、年齢が20も若い仲間と気持ちが符合し協働できるのは、釜芸の場がもたらしてくれたものである。二人でじっくり話し合いを重ねて、めざす方向と場づくりに必要なことを慎重に大切に考えている。講座の企画の段階には、考えた内容を假奈代さんやスタッフの岡本風愉さんとまたじっくり話す。そこで出てくる企画のアイデアに、そして講座の参加者それぞれが放つ個性あふれる表現に、また驚き、考えの小さなたねをもらっている。大事に丁寧に続けていきたいと思う。

2022.6.4. 釜ヶ崎芸術大学2022「呱々の声⇄人 それぞれのはたらくを語る」の様子

こういうふうにして、頭のなかは実践と検証と生まれてくる仮説とがいくつもの渦を巻いていて、またそれを実験し、実践し、検証しと、更新を続けている。小さなたねにふとであい、仮説が生まれ、そういうことなのかもしれないとハッとする瞬間、あるいはしみじみと、それってアートだなと思う。

大学生の頃にいつも持ち歩いていたファイルの端には、「いつも心に芸術を♡」と書いて、横にオレンジ色のドキンちゃんを描いていた。釜芸の活動を通してわたしのできるアートのかたちが顕れだし、へなちょこながらも考えて協力しあって実践してさまざまな表現にであい、それってアートだよねと感じるキラリとした瞬間にであい続けている。その先にあるなにかに、気持ちは向かっている。だからわたしはかまぷ~なのである。

※創作料理 世沙弥(せさみ)・世沙弥美術館:大阪市淀川区塚本にある少人数限定の隠れ家レストラン。オーナーの和田大象さんが蒐集した現代美術作品が所狭しと置かれ、創造的空間で創作料理を楽しめる。作品を鑑賞する美術館としての利用も可能である。https://taizoo.com/

江藤まちこ
大阪市生まれ。2017年4月に初めて釜芸を訪れ、釜芸をどのように継続運営していくかを教授も参加者もみんなで協議する教授会に参加し、その日からかまぷ〜になる。長く主にコミュニケーションとその手段を考えることを仕事にしている。関心事は、自由、アート、美術、表現、舞台芸術、即興芸術、踊り念仏、盆踊り、身体と精神、治癒、鎮魂、弔い、margin、間、協業、協働、文楽、能楽、伝統芸能、煎茶など。



現在、ココルームはピンチに直面しています。ゲストハウスとカフェのふりをして、であいと表現の場を開いてきましたが、活動の経営基盤の宿泊業はほぼキャンセル。カフェのお客さんもぐんと減って95%の減収です。こえとことばとこころの部屋を開きつづけたい。お気持ち、サポートをお願いしています