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お坊さんにも教えたい、お悩み解決。

実家に

「莫妄想 ああでもない、こうでもない、なんでもない」
と書かれた小さな書が飾ってある。
父が四国のお遍路さんに行った時に手に入れたらしい。

この書が好きで、
スマホで撮影して、
時々、自分で見返していたことがあった。
「ああでもない、こうでもない、なんでもない」
本当にそうだなあと思ったのだ。

が…実は私はこの時
大きな勘違いをしていた。

「莫妄想」を
「ばくもうそう」だと思ってたんである。

禅の教え 〜 妄想することなかれ。

知っている人も多いと思うけど
「莫妄想」とは禅の言葉で「まくもうそう」と読む。
「妄想すること莫(な)かれ」という意味。
妄想を断ち切れば、それか悟りの心境だということらしい。

ここでいう「妄想」というのは
ありえなさそうな空想/想像、と言う意味ではなくて
端的に「さまざまな思い」や悩み、のことだ。

けれど私は
「ああでもない、こうでもない、なんでもない…」
小さなことから、大きなことまで
本当に私たちは ”莫大な数の妄想” とともに生きているなあ。
ほんとうに「ばくもうそう」だ。

と、この書をみるたびに
1つ1つがマンガのふきだしになっている
たくさんの妄想のなかに
自分がちっちゃく座っているみたいな気がして
すごく笑えたのである。

「妄想だらけ」だから
「妄想をストップしたら?」とか
「考え・想いや心の迷いにとらわれずにいこう」いうのが
オリジナルの意味なんだろうけれど、

ワタシ的には

「人間なんて、妄想だらけ。そんなもん。
ああでもない、こうでもないと、いろいろでてくるよね。
まあしょうがないよ。
でもね、どっちにしろ、なんでもないことなんだよ」

と妄想共存論ぐらいに捉えてた(笑)。

妄想は「するもの」?。


苦しい時ほど、考えは増えていく。
それも、否定的な、辛い考えばかりが
次から次へと浮かんでくる。
たまに「よさげな考え」がでてきても
あっという間に、莫大な否定的な考えの渦に飲み込まれてゆく。

それは古今東西、人間の「ありよう」のひとつ。
苦しみから抜け出し、「悟る」ために
「莫妄想 ー 妄想することなかれ」という
禅の教えは、とても理にかなっている。

ただ、残念なことに私たちは
わざわざ意図的に「妄想を生み出している」わけではない。

「妄想」は生まれてしまうものなのだ。

意図的にやっているわけではないのだから
「妄想することなかれ」といわれてもやめることもできない。

妄想を生み出す側へのアプローチ - OAD 。

1つ1つの「妄想」は、苦しみの副産物。

その1つ1つの「妄想」たちを
「これはただの思い」とわきにおくことは悪くない。

そうやっているうちに
次から次へとやってくる「妄想」は「妄想」に過ぎず
「なんでもない」ということに気が付きやすくなるだろう。

それはそれで、苦しみから抜け出す1つの道だと思う。

けれど、わたしはむしろ
莫大な苦しい妄想が
どこから生まれてくるのかを
見極めていきたいと、いつも思う。

そんな妄想が生まれてくるのは、
世界がどんな風に見えているからなのか。

そんな風に世界を捉えている
その人の心の中には
どんな気づいていない自分がいて
何に怯え、何に苦しみ、何を言えずにいたのか。

その気づいていない声に、
封じ込めてきた怒りや、悲しみや、寂しさや、無力感や
言えなかった思いに、耳を傾けてあげたいと思う。

そうして世界の見え方が変わり
苦しい妄想は、自ずから生まれなくなる。

それが、 Open Awareness Dialogue。

妄想を生んでいる誤解を解く。

ああ、お坊さんにも教えてあげたい。
修行期間、短縮できると思うよ〜!
↑お坊さんの煩悩に訴えてみる(笑)。

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